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Author:-rainbird-
時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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哀愁の遠景に浮かびあがる人々-藤沢周平「夜の橋」

「夜の橋」

藤沢周平「夜の橋」
(中公文庫)


藤沢周平の小説、ことに短編小説を読むと、
内容とは別に、他の小説家では感じられない、
ある特別なものを感じる気がします。
特別な、そう、一種の哀愁のようなものでしょうか。
藤沢作品ではよく「雨」や「橋」「雪」の風景が使われます。
他にもそういうあらかじめ哀愁を含んだ風景が使われることが多いし、
藤沢周平自身も節度のある抒情へ、
自分を駆り立てる描き方をしている気もします。
小説は人間を描くものですから、
藤沢作品にも当然そういう風景のなかに人々がいます。
たとえばを陽光を往く人、雨にたたずむ人、
橋を往く人、雪にたたずむ人。
そこには何かしらの感情を胸に抱えた人々がいます。
時代を隔てた哀愁の遠景にぼんやり浮かびあがる人々の姿。
読者はその人々の人生を、
時代を隔て、遠景としてつかのま垣間見るわけです。
そしてそうやって垣間見るごとく読む側も、
なんだかそのこと自体、とても切ないような、そんな気になります。
それがある特別なものの正体ではないだろうか思います。
でもこれは他の時代小説家にはあまり感じたことはありません。
もちろんそんなのは自分だけであって、他の人はまた違うのかも知れません。
まあ、ファンというのはそういったものでしょうけれど。
さて「夜の橋」この短編集には何度読んでも泣いてしまう
「泣くな、けい」が含まれています(笑)
藤沢周平が50歳前後に書かれたものが集められ、
市井もの、武家ものが混在している短編集ですが、
今回はなんだか女の生き方がいろいろ。

「夜の橋」

腕のいい錺職人の民次は博奕にはまったのがもとで、
女房のおきくと別れた。
うるさく言う者も居なくなった民次は賭場への出入りも頻繁になり、
今では盆の手伝いまでするようになっていた。
そんな民次のところへ、ある日おきくが訪ねてきたと、
隣家の女房が知らせてくれる。
民次は気になっておきくが勤めているという飲み屋に行った。
民次と会ったおきくは、
あたしを嫁に欲しいと言っている薬種問屋の番頭がいるのだが、
お前さんはどう思うかと聞かれる。
民次はそれはいい話じゃないかと答えたが、内心穏やかではなかった。
しばらくして、出入りしている賭場でおきくの言った薬種問屋の番頭、
兼吉を見かけた民次は、
兼吉の様子が、およそ堅気の番頭とはかけ離れていることに気づく…

夫婦再生の物語ですね。
性根を入れ替えない元の亭主を、
諦めきれないで待っているおきくの心根に、
しみじみと胸打たれます。
おきくの相手である兼吉が、不相応な大きな金を張り続け、
博奕にどっぷりと浸かっていることを知った民次は、
兼吉が店の金にまで手を出しているのではないかと疑い、
兼吉を待ち伏せ、おきくから手を引くように脅します。
それには成功しますが、思いもかけない落とし穴が待っています。
ある事件の罪を引き被れと、賭場の胴元に無理強いをされる民次。
それを頑として聞かなかった民次は半殺しの目に遭います。
這うようにしておきくの店近くの橋に辿り着く民次。
それを見つけたおきく。
傷ついた民次を抱えて言う、おきくの最後のセリフがとてもいいです。
夜の橋をよろけながら遠ざかっていく二人の姿が印象的です。

「泣くな、けい」

相良波十郎は、ある夜、女中のけいを手籠めにする。
妻は病気療養で留守だった。
けいは強情な涙ひとつこぼさない娘で、
波十郎がこのことは誰にも言ってはならんと、
口止めすると、部屋の隅で涙も見せずひっそりと頷いた。
けいが相良家に奉公に上がったのは十五のときだった。
目ばかりが大きい浅黒い娘だったが、
武家での奉公は三年の間にけいを娘らしく成長させていた。
次の日、妻が亡くなったとの知らせが入る。
妻の葬儀も済んだしばらく後、
御納戸役の波十郎は藩主の家宝である短刀が無くなっていることに気づく。
上役の命で波十郎が研ぎに出した後、行方不明になっていたのだ。
波十郎は短刀の行方を追うが、けいが何かを知っているようだった。

家宝の短刀は亡くなった妻の浮気相手が、
城下の刀剣商に売ったことが判明します。
でもすでに隣藩の侍が買い求めた後でした。
波十郎は謹慎処分となり、隣藩に買い戻しに行けない。
そこで買い戻しの重大な役目をけいに託します。
初めは嫌がったけいも、
短刀が戻らなければ切腹という波十郎の頼みを聞き、
波十郎から百両を預かると、隣藩へと旅立ちます。
でもけいはそれからまるで消息を絶ったかのように
待てど暮らせど帰ってきません。
もうこれまでかと思ったとき、
けいが物乞いのような姿で帰り着きます。
そして刀を取り戻したことを波十郎に報告すると、
堰を切ったように号泣します。
じつはけいが訪ねていった隣藩の侍は江戸詰となり、
すでに旅立った後でした。
けいはそれを追い、遙か江戸まで行きます。
十八の娘が三百里の道をたったひとりで往く。
それも百両の金や家宝の短刀を抱えながら。
辿り着いた途端、心細さを思い出すように号泣し、
いつまでも泣きやみません。
その一途さとけなげさに、
思わず物語だということを忘れ、涙せずにはいられません。
なぜこんな物語が思いつけるのでしょう。
けいはずっと波十郎が好きだったんですね。
たまりません(笑)

「暗い鏡」

鏡研ぎの親方である政五郎には、
たったひとりの姪であるおきみがいた。
政五郎の弟、清七の娘だが、清七も女房も早くに亡くなり、
身よりのないおきみを政五郎が引き取って育てた。
政五郎はだらしのない清七にさんざん迷惑をかけられていた。
そのせいかおきみにはあまり構わず無関心だった。
おきみは早くに政五郎の家を出て、女中奉公をはじめる。
それ以来政五郎の家にはあまり寄りつかなかったが、
政五郎は気にもしなかった。
おきみは不器量で、嫁にもいかずすでに二十八になっていた。
そのおきみが、ある日殺されたという知らせが入る。
駆けつけた政五郎に信じられない事実が告げられる。
おきみは場末の娼婦で、客に殺されたというのだった。
女中奉公をしていたはずのおきみが、なぜ娼婦にまで落ちていたのか、
納得のいかない政五郎は、おきみの足跡を辿りはじめる。

たったひとりの姪であるおきみに、あまりにも冷淡だった、
胸を噛むような後悔に苛まれながら、
政五郎はおきみの転落の人生を追います。
そこに浮かび上がってくるのは、淋しいひとりの女の生涯です。
わずかな身内に頼ることも憚り、孤独を胸に抱えて、
性悪な男にすがって生きるしかなかったおきみの人生の、
惻々とした哀しみが迫ってきます。
死んだおきみの部屋には、
政五郎が気まぐれにやった手鏡が、
大事に置かれていました。
その暗い鏡は、
おきみの人生の何を映し出していたのでしょう。

「夜の橋」の後書きで、
藤沢周平は短編小説は仕上げてみるまではどうなるかわからない。
賭博のようなものだと書いています。
たしかに短編小説を書くという行為は、
とてもスリリングな行為なんだろうなと理解できます。
今回はネタバレを通り越して、ほとんどダイジェストになってしまいました(笑)
読むという行為も、書くことに劣らずスリリングであるとしたら、
この読書録はかなりぶち壊しです。
ご容赦を(笑)

そのほかの収録作品

「鬼気」
「裏切り」
「一夢の敗北」
「冬の足音」
「梅薫る」
「孫十の逆襲」

(もっと書評を読んでみたい方はこちら)
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2009-03-02(Mon) 15:48| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 3

浪人という人生-藤沢周平「竹光始末」

「竹光始末」
藤沢周平「竹光始末」
(新潮文庫)


さて今回は「竹光始末」です。
映画「たそがれ清兵衛」の原作のひとつ
「竹光始末」が収められている短編集です。
「竹光始末」が使われているのは、映画のラスト近く、
清兵衛が上意討ちに行くクライマックスの部分です。
田中泯が鬼気迫る怪演を見せた余呉善右衛門はこの短編に登場します。
豹変一発、あの「せいべぇーっ」が怖かったですね(笑)
この作品集は藤沢周平が「暗殺の年輪」で直木賞を受賞した後、
勤務していた会社を辞めてからの2年間に書かれた作品が集められています。
筆一本の生活に入った直後ですから、売れる面白い小説を書くために、
初期作風からの脱皮が試みられている作品群、ということが言えそうです。
藤沢周平の初期作風はストーリーは暗く重く、結末もたいていが悲劇(笑)
自分自身でもこれを負のロマンと呼ぶくらいでした。
幅広い読者層からはとうてい受容されそうにない。
そこで作風を少しずつ変えていったのではないか。
短編なんかにも見て取れるように、ストーリーテリングとしては言うことなし。
日本人の深奥に訴えかける見事な情景描写。
そしてそこから生まれる上質の叙情性。
それらのうえに、
今度はそこはかとないユーモアをちりばめていくことを始めていった。
人物造形の点でもユーモラスなキャラを創造していく。
そういう変化の時期だろうと思います。
この直後に名作「用心棒日月抄」が書かれ始めるんですが、
あの作品、全編どことなくユーモラスです。
この作品集には「用心棒日月抄」の原型のイメージが、
そこかしこに潜んでいる感じがします。

「竹光始末」

ある日、海坂の城に柘植八郎左衛門を尋ねて、
みすぼらしい風体をした浪人一家が現れた。
浪人は小黒丹十郎と名乗った。
門番が柘植は城で物頭を勤めていると告げると、小躍りする一家。
聞けば新規召し抱えのためにやって来たと言う。
門番は訝しげに場内にある柘植の役宅を教える。
柘植の家に来た浪人一家。
海坂藩で新規召し抱えがあると聞き、
周旋状を持って柘植八郎左衛門殿を尋ねてきたと口上する小黒。
応対に出た柘植の妻は柘植の留守を告げた。
小黒の顔はそれを聞いたとたん、泣きそうに歪む。
素性卑しからぬ小黒と、後ろに控える美しい年若き妻。
そして粗末な衣服を着ても恥じる様子のない、
利発そうなまだ幼い姉妹を見て同情が湧く。
柘植の妻は主にはきっと伝えるので、
それまで城下の宿で待っていてほしいと言い、
少しの古着と、一家の風体を怪しんでいざこざが起こらぬよう、
門番への書き付けを渡した。
柘植八郎左衛門は家に帰ってくると、
妻から小黒一家の来訪を告げられるが、
新規召し抱えのことを聞いて驚き、そして渋い顔をする。
海坂藩の新規召し抱えは、一ヶ月も前に終わっていたのだった。

長い浪人生活の苦節を生き延び、
やっと仕官が叶うと勇んでやってきたが、
締切はとっくに過ぎていた(笑)
遅れてきた浪人一家(笑)
あまりの間の悪さ。もうこれだけでかなり切ない。
家族を飢えさせないために頑張り続け、
そしてどんなときにも武士としての矜恃を忘れない男と、
その彼に全幅の信頼を置いている家族。
そのつながりの暖かさと、家族の切なさが伝わってくる作品です。
丹十郎と家族が海坂の城を訪ねてきて、
城の門番から柘植八郎左衛門が物頭だと聞かされると、
小黒丹十郎が家族に向かって
「聞いたか、物頭をなさっておられる」と言うと、
若い妻と子供たちが手を握りあい、子供たちは足を弾ませる。
自分たちが頼りにしようとしている人間が、
地位の高い人間であることを喜ぶ小黒の気持ちを、
我がことのように喜ぶ幼い子供たち。
こういう姿を描くことで、
何でもない情景がすごく奥行きのあるものに感じられます。
浪々の長い旅路。どんな思いでここにたどり着いたか、
この家族の切なさが見事に見え隠れする場面です。
本当にうまいですね。こういうとこ(笑)

「遠方より来たる」

三崎甚平は海坂藩の足軽だった。
もとは六十石取りの侍だったが、
浪人の末、身分を落として海坂藩に足軽として仕官した。
妻子も出来て、城の門番として貧しいが平穏な日々を送っていた。
その甚平の足軽長屋に、ある日曽我平九郎なる人物が訪ねてくる。
豪放に再会を喜ぶ平九郎。
ひげ面の大男で、みれば垢じみた浪人の姿。
たが平九郎の顔に覚えの無かった甚平はとまどう。
そして記憶を呼び起こし、やっと思い出す。
大坂冬の陣で、たった一度出会った人物だった。
曽我平九郎は百石取りの侍だった。
足軽でも構わないから仕官を世話してくれと、
甚平に頼み、平九郎はその日から狭い足軽長屋に居候を始める。
だが大飯食らいで、遠慮のない平九郎に、
甚平の女房好江はだんだんと不満を募らせ始める。
平九郎の無遠慮と好江の不満に挟まれながら、
平九郎のために奔走する甚平だったが……

この作品の魅力は、なんといっても曽我平九郎という男のダメぶりと、
その平九郎に振り回されて右往左往する甚平と、
勝ち気に家を切り盛りする甚平の女房の好江とのやりとり、
その妙にあります(笑)
平九郎は豪放磊落、腕っ節もかなりありそうに見せて、
じつは虫も殺せぬ大変な臆病者。
ハリボテの虎もいいとこ、みたいな男です(笑)
でも最後は人としての筋はきっちり通す、
という愛すべき人物として描かれます。
この平九郎は後の「用心棒日月抄」で主人公の相棒、
ひげ面の大男で、子だくさんの浪人細谷源太夫にとても似ています。
おそらくモデルではないかと思うのですが、どうでしょう。
ま、細谷源太夫のほうは、
ハリボテの虎というわけではありませんが(笑)

「竹光始末」や「遠方より来たる」は似たような世界として、
山本周五郎の「雨あがる」なんかを連想する方がいるかも知れません。
剣術の達人ながら、あまりの人の好さが災いして、
長く浪々の身をかこつ三沢伊兵衛。
そしてそんな伊兵衛を明るく支える妻のたよ。
ことに「竹光始末」はなんとなく世界が似ています。
どちらも仕官を成し遂げたい男と、それを支える家族の物語。
較べて読んでみるのも面白いかもしれません。
昨今の大不況は多くの失業者を増やし続けていますが、
江戸時代の初期も大名の改易や移封の連発で、大量の浪人が溢れ出て、
主家を求めて全国をさまよったといいます。
原因は違うにしてもリストラを余儀なくされ、
働き先を求める現代の勤め人と、なんら変わることはありません。
「竹光始末」や「雨あがる」を読んでいると、
いつの時代でも、浪人であれリストラ労働者であれ、
次なる希望を支えるのは家族だという気がしてなりません。

そのほかの収録作品

「恐妻の剣」
「石を抱く」
「冬の終わりに」
「乱心」

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2009-02-07(Sat) 19:35| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

人の心の闇へ-藤沢周平「神隠し」

「神隠し」

藤沢周平「神隠し」
(新潮文庫)


昭和49年~53年の間に書かれた短編11編を収録した作品集。
直木賞受賞が昭和48年ですから、
直後の4年間に書かれたものということになります。
藤沢作品の初期のものは結末が暗いというのが相場ですが、
この作品集に収録されている作品もまた暗くやりきれないものが多い。
というより、ちょっと怖いかも(笑)
だいたい主題の多くが人の心の闇、その怖さに迫ったもので、
とくにやっぱ女はコェーわ(笑)と感じる向きもいるのではと……
いや失礼(笑)
でもこの作品集は数ある短編集のなかでも印象的なのものが揃い、
総じて粒よりです。
この短編集を藤沢周平一番の短編集にあげる人もいるくらいですから、
その充実度は推して余りあると思います。
ラジオの朗読なんかにもこの短編集の中から選ばれることも多いようです。
すべての作品をコメントしたいぐらいですが、
ここではとくに印象的だった3編を。

「昔の仲間」

大店の紙屋を営む宇兵衛は以前から腹具合が悪く、
同業の寄合があったその晩に倒れる。
医者の見立てによると胃の腑に腫れ物ができ、
すでに手遅れだと言われた。
余命はあと半年。
覚悟を決めた宇兵衛は身辺を整理すべく、
ひとつひとつ気がかりなものを数え上げた。
店は順調で娘の縁談も決まっている。
気がかりなものは無いはずだった。
だがそのとき一人の男の顔が浮かんでくる。
松蔵という昔の仲間だった。
宇兵衛と松蔵は三十年前に質屋へ押し込みを働き、
四百両という大金を手にし、山分けする。
二人はその金を元手にそれぞれ商売を始めたのだった。
そのとき今後一切顔を会わせないという約束だったが、
もし松蔵が落ちぶれていたら自分が死んだ後、
店に押しかけてくるかも知れない。
そうなれば店は潰れる。
怖れを感じた宇兵衛は、古手屋を営んでいるという松蔵を確かめに行く。
だが、松蔵はとうに店を畳んでどこかへ姿を消した後だった。
宇兵衛はわずかな手がかりを頼りに松蔵を探し始める。

とても上手くできた短編です。
宇兵衛はようやく松蔵を探し当てるのですが、
当の松蔵はとっくに宇兵衛の顔なんか忘れているわけです。
そこへ宇兵衛がやってきて俄に思い出す。
わざわざ会いに行かなければそのまま無事たったのが、
会いに行ったことで途端に思い出させてしまった。
この何ともいえない皮肉(笑)
寝た子を起こすとはこのことです。
結局宇兵衛は松蔵を刺殺してしまい、
松蔵に目をつけていた岡っ引きに捕らえられる。
人生の皮肉を扱った藤沢作品はいくつもありますが、
この短編は構成のうまさでひときわ光彩を放っている感じがします。
長い人生で人はいくつか旧悪を心の中に隠し持つことになりがちです。
それがなにかの弾みで噴き出し、気にかかって仕方の無いことになる。
そういうところを捉えているわけですが、
まあ誰しも覚えのあることですから、
自業自得とはいえ妙に宇兵衛が気の毒(笑)

「疫病神」

腕のいい表具師の信蔵は弟子も二人いて、店も家のなかも順調だった。
そんな信蔵のところへ小間物屋に嫁いでいる妹のおくにが、
行方不明だった父親の鹿十が見つかったと知らせてくる。
姉のおしなの亭主である長吉が、
近くの町にある湯屋の釜番をしている鹿十を見つけたのだ。
鹿十は腕の良い表具師だったが、三十半ばを過ぎたあたりから人が変わった。
飲む、打つ、買うの道楽が始まり、仕事を怠け、意見する女房を殴り倒した。
そのうちふっと姿を消してしまい、それから十八年が過ぎていた。
姉弟が相談した結果、とりあえず信蔵が鹿十を引き取ることになる。
信蔵の家にやってきた鹿十は、
はじめは大人しく孫の相手をしている好々爺のようだったが、
ある日信蔵の弟子に鹿十が金を借りたことが露見する。
そして妹のおくにがやってきて、
鹿十が店にやってきて、五両の金を借りていったこともわかる。
信蔵は鹿十になぜ金が必要なのか問いつめるが……

いやじつに不気味で恐ろしい親爺です(笑)
これほど人の怖さを感じさせる短編は、
藤沢作品の中ではまだ読んだことはありません(笑)
はじめは大人しくしていたが段々と荒廃した人間の本性を現してくる。
あちこちで金を借り、家の金を盗んで博奕につぎ込む。
意見をしても黙って薄ら笑いを浮かべているだけ。
信蔵にとってはもう恐怖です。
その恐怖が増幅してくるあたりがなんともいえない。
結局鹿十が原因で家の中が荒れ始め、信蔵の女房は子供を連れて実家に帰り、そのうち弟子もやめていく。
鹿十の存在が信蔵を徐々に破滅へと導いていきます。
しかし親ですから放り出すわけにはいかない。
まさしく信蔵の背中にぴったり張り付いた疫病神のようです。
まあ、これほどの疫病神というのは実人生では滅多にお目にかかることはないと思いますが、
ここまで書かれると、あらためて人の心の闇、心の荒廃というものにうすら寒いものを感じます。

「小鶴」

神名吉左右衛門と妻女の登米の夫婦喧嘩は派手で、家中でも有名だった。
ささいなことが原因だが、近所に憚りなく、大声をあげて争う。
だからといって二人の夫婦仲が悪いわけではなく、
夫婦仲良く寺参りに出掛けたりもする。
夫婦にとって悩みは跡取りの子供がいないことだった。
ある日仕事に行った吉左右衛門がひとりの若い娘を連れて帰る。
娘は小鶴と名のったが、そのほかのことは問われても答えることができなかった。
どうやら記憶を失くしているようだった。
夫婦は小鶴を家に住まわせ、実の娘同然に可愛がる。
小鶴は美しい娘だった。
夫婦は小鶴を娘として神名の家にそのまま引き取ることを考え始める。
夫婦喧嘩が原因で養子の話など皆無だった吉左右衛門の家に、
そのうち降るように養子縁組の話が持ち込まれ始める。
小鶴目当てのことだった。
気がかりは、夫婦がいつものように喧嘩を始めようとすると、
小鶴が泣いてそれを制止することだった。
ひとつの縁組が決まりかけた矢先、隣国から二人の武士が訪ねてくるが……

この作品、有り体に言えばかぐや姫伝説が下敷きになっている物語です。
ユーモラスでもあり、
子の無い家に突然やってきた若い娘に思い入れする老夫婦が切なくもある。
癇癪持ちの吉左右衛門が小鶴の前では相好を崩したりする場面、
小鶴を伴って外出し、人から美しく気だての良い小鶴のことを誉められると、
自慢げになる登米の心の動きなど、軽妙な描写で読ませます。
そして二人の武士が訪ねてきたことで明らかになる小鶴の過去。
ある事件のトラウマが小鶴の記憶を失くさせている原因だと判明すると、
吉左右衛門夫婦の喧嘩が派手だということが重要な伏線だということがわかり、思わず唸ってしまいます(笑)
本当にうまく書かれてます。
最後は何もかも思い出し、隣国へ去っていく小鶴を夫婦は見送ります。
たしかにかぐや姫伝説はかぐや姫自身より、
かぐや姫を受け入れ、去られる老夫婦の気持ちの方が切ないですね。

このほかにも拐かしに遭った娘を助けに行くと、
娘はちゃっかり拐かしたやくざ者に馴染んでたという「拐し」、
娘の婚礼の夜、長い間連れ添った妻が、若い頃一日だけ姿を消した。
気がかりだった亭主がそのことを聞くと、妻が意外な告白をする「告白」
大店の美しい妻女が行方不明になるが、三日後に何事も無かったように帰ってくる。
だが妻女は行方不明になる前よりいっそう凄艶さを増していた。
その謎を探るひとりの岡っ引きの姿を追った「神隠し」など、
やっぱ女はコェーわ(笑)の面白さてんこ盛りの短編集です。
文庫の解説で伊藤桂一がモーパッサンのことを引き合いに出してますが、
そういう匂いは確かにしますね。
フランス文学を代表する短編小説の名手モーパッサン。
藤沢周平は小山本周五郎だと言われた時期がありましたが、
思うに小モーパッサンだといっても差し支えないと、
そんな風にも思えるほど良く出来た短編集です。

そのほかの収録作品

「拐し」
「告白」
「三年目」
「鬼」
「桃の木の下で」

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2009-01-12(Mon) 19:06| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

介護侍の愛-藤沢周平「たそがれ清兵衛」

「たそがれ清兵衛」

藤沢周平「たそがれ清兵衛」
(新潮文庫)


たそがれ清兵衛という名前は時代小説のファンならずともよく知られています。
歴史上の人物それ以外の侍で、
これほど広く名前が知られている人は他には見当たりませんね(笑)。
これはまあ山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」のおかげでしょう。
映画「たそがれ清兵衛」はこの作品集に収録されている「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」そして「竹光始末」という短篇、この3作品がベースになっています。
最初にこの映画を観たときはちょっと驚きました。
舞台となっている庄内地方の風景や言葉、着物や髷、
そして登場人物の物腰まで、
そのすべてのたたずまいに深い陰翳がある。
なによりも想像できうる限りの時代の雰囲気。
それが良く出ていました。
それは時代考証の恐るべき確かさ、
おそらくこれに支えられてのことだと思います。
藤沢周平と山田洋次。
映画「たそがれ清兵衛」はこのふたりが出会ったことの幸福を感じた映画でした。
山田洋次監督の時代劇3部作の中では、
個人的には「たそがれ清兵衛」が一番好きです。
この作品集は昭和58年から昭和63年まで、
小説新潮に掲載された8つの短篇が収められています。
少し秘剣シリーズと共通するところもありますが、
不名誉な綽名や特異な風貌で侮られている侍たちの、
ここ一番にふるう一刃、そして愛。
秘剣シリーズとはまた違った味わいのある作品群です。

「たそがれ清兵衛」

勘定組五十石の平侍、井口清兵衛は、
下城の太鼓が鳴るとすぐさま帰り支度をはじめ、
いつもそそくさと帰ってしまう。
同僚たちとの付き合いもせず、
たそがれ時になると早々と家路につく清兵衛を、
家中の者は「たそがれ清兵衛」と綽名していた。
清兵衛が下城の太鼓と共に早々と帰宅するのには理由があった。
妻の奈美が労咳を病み、長い間床に臥せっていたからだった。
清兵衛は道々に夕餉の買い物を済ませて帰宅すると、
臥せっている妻の奈美を抱え、厠に連れて行く。
奈美は清兵衛が帰宅するまで厠を我慢して待っているのだ。
それが済むと家の掃除や夕餉づくりに立ち働く。
夕食を終えると奈美をもう一度厠に連れて行き、
それから内職に励むのだった。
清兵衛は奈美を湯治に連れて行きたいと考えていた。
それには今少し金が足りない。
それを思って清兵衛は夜が更けるまで内職に精を出す。
そんな清兵衛がある日家老の杉山頼母に呼ばれる。
用件は今度の重職会議のあと、
専横が目に余る筆頭家老堀将監の上意討ちを命じるというものだった。
清兵衛は無形流の達人でもあった。
だが清兵衛は重職会議のある時刻は妻を厠に連れて行かなければなりませんと言って、その命をいったん断るのだが……

清兵衛は「たそがれ清兵衛」などと侮られながら、
いわば立派な介護侍です。
この小説の面白さというのは藩の大事である上意討ちと、
妻を厠に連れて行くという介護侍の価値観が拮抗するところにあります。
要するに死を賭ける上意討ちと厠(笑)
清兵衛は当然妻を厠に連れて行く方を取ります。
奈美は清兵衛が帰るまで厠を我慢して待っているわけです。
清兵衛はそのことの切なさをよく理解しているし、
本当はずっとそばにいてやりたいとも思っているでしょう。
奈美は両親に死なれて五歳のときに清兵衛の家にやってきて、
妹同様に育っています。
紆余曲折あって清兵衛の妻となった。
肉親でありながら妻であるという奈美に対して、
清兵衛は二重の深い愛情を抱いている。
本当にかけがえのない存在なんですね。
家老杉山は上意討ちは奈美の厠を済ませてからでいいし、
成功の暁には奈美の病に対しても援助すると申し出て、
結局清兵衛はその条件を受け入れて上意討ちに臨みます。
全部妻の奈美のためです。
介護侍の価値観が上回る(笑)
最後湯治に行った奈美を清兵衛が訪ねていきます。
清兵衛がその村はずれにさしかかると、
村の入り口の一本の松の木の下にずっと立っている女がいる。
奈美です。
清兵衛が来るのをずっと待ってたんです。
なんという夫婦愛。涙が出ます(笑)

「祝い人助八」

御蔵役伊部助八は家中の者から「ほいと助八」だの
「ほいとの伊部」だとか陰口を叩かれている。
ほいととは物乞いのことである。
実際助八はかなりうす汚れている。
衣服は垢じみ、身体からは異臭が漂ってくる。
それもこれも原因は助八が妻を亡くしたためだった。
家中の者の中にはいつも薄汚れている助八に同情するものもいた。
だが事の真相はそうではなかった。
亡くなった妻の宇根は恐るべき悍婦だった。
宇根は100石という家柄の実家をいつも鼻にかけ、
とにかく口やかましく、
助八のやる事なす事そのすべてに宇根の叱責が絶えることは無かった。
その宇根が亡くなったことで、
助八は思いもかけない開放感を味わっていたのだ。
宇根から叱責を受けることも無いので、
助八は気随気ままに、
放埒でだらしの無い生活を楽しんでいたのだ。
そんな助八にある日幼なじみの倫之丞の妹、
波津が訪ねてくる。
しばらく見なかった波津は臈たけた美しい人になっていた。
波津は御番頭の甲田家に嫁入ったが、
夫の豊太郎が乱暴者で実家に帰ってきていた。
波津を家まで送った助八は、居合わせていた甲太郎が、
倫之丞に果たし合いを申し込むのを聞き、
代わりに受けることになるが……

この「祝い人助八」は映画「たそがれ清兵衛」の主筋となっているので、
物語はいまさらですが、ざっと書きます(笑)
助八は香取流の跡目です。
でもだれも剣や木刀を握っている助八を見たことがない。
こ汚いですし、誰もがまさかと思ってる(笑)
でも波津をめぐっての甲太郎との果たし合いで、
その剣がスゴイという評判が立ち、
清兵衛と同じでまた上意討ちにかり出される(笑)
それもその上意討ちの命を断れば、
甲太郎との果たし合いを私闘と見なし、
処罰すると半分脅されながら(笑)
死地に赴く助八を身繕いをして送り出す波津。
その波津に助八は結婚を申し込むのですが、
すでに波津は縁組が決まっていた。
諦めて上意討ちに向かう助八。
ともすれば挫けそうになる心を励まして。
何時間にも及ぶ死闘を制して、
助八がぼろぼろになって帰ってくる。
誰も居ない家が待っているだけかと思いきや、
家の前の暗がりから、
黒い人影が下駄を鳴らして駆け寄ってくる。
波津でした。
命がけで出かける男と思いがけなく待っている女。
使い古されたような場面ですが、
なぜか藤沢周平の小説に限っては、
妙に不変の切なさを感じます。

この短編集の主人公たちは、
その外見や行動から不名誉な綽名を付けられています。
でもそんな不名誉な綽名からは想像もつかない剣技の冴えを見せ、
死地を乗り切っていく。
同じような構成を持つものに秘剣シリーズがありますが、
こちらは綽名の由来からおこるなんともいえないユーモア、
そして綽名によって貶められている侍たちが見せる剣の力量
この落差がなんともいえませんね。
書きませんでしたが、
初老の星「ど忘れ万六」なんかもかなりいい味出してます(笑)
短篇なのに主人公たちの存在感や彫りの深さが際だち、
何度読んでも美味しい短編集です。

そのほかの収録作品

「うらなり与右衛門」
「ごますり甚内」
「ど忘れ万六」
「だんまり弥助」
「かが泣き半平」
「日和見与次郎」

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2008-12-22(Mon) 19:59| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 2

名も無き人々の人生-藤沢周平「夜消える」

「夜消える」

藤沢周平「夜消える」
(文春文庫)


昭和58年から平成2年ごろに書かれた単行本未収の作品を集めたもの。
晩年期に位置する作品集です。
江戸の市井に生きる名も無き人々の人生を、
老練の筆で淡々と綴った短編集。
さして感動する話があるわけでもありません。
どちらかというと心が塞ぎそうな短篇が多い。
でも脳裏にいつまでも残る印象的な短篇がそろっていて、
藤沢周平の多彩な世界がうかがえます。
珍しい幽霊ものもありますし(笑)

「夜消える」

兼七は腕の良い雪駄職人だったが、
深酒が原因で雪駄を収めていた問屋にも見放された。
飯も食わず、風呂にも入らず、夜昼となく酒を呷り続ける。
廃人のような亭主のその姿に、
身体のなかに何か得体の知れないものが棲みつき、酒を欲しがっている。
おのぶは不気味な気持ちに襲われることがあった。
娘のおきみは酒浸りの兼七を嫌って、料理屋の住み込み女中になるが、
兼七はその支度金まで酒代にする。
だがそんな亭主をおのぶは見捨てることが出来なかった。
そんなとき娘のおきみに嫁入りの話が持ち上がる……

重度のアル中です(笑)
でもなぜ兼七がそんな風になったのか、説明はありません。
それが妙に不気味なんです。
ただ無惨な酒浸りの姿だけを描く。
ある日おきくと夫婦になろうかという男に、
自分に酒代を無心している父親の姿を見られる。
おきくは祝言は考えさせて欲しいと言われたとおのぶに泣きついてくる。
父親がいる限り嫁入りは出来ない、
おとっつぁんなんか死んでくれたらいいのにと泣く。
気がつけば、酒を買って帰ってくるはずの兼七が戻らず、
台所の上がり口には満杯になった一升徳利が置いてあった。
それっきり兼七はいなくなる。
夜の闇に消えてしまいます。
話を聞かれたんでしょうね。
三年後、無事に嫁入りした娘の幸福そうな姿を見ると、
ふと娘を憎む気持ちがよぎるおのぶ。
でもおのぶの気持ちより、
消えた兼七が気になって仕方ありません。
すでに常人ではない兼七が何を思って夜の闇に消えたか、
そしてどこへ行ったか。
娘にしてやれることは自分が消えること……
酒浸りではありませんが、同じ娘を持つ身ですから(笑)
いつ兼七になるとも限らない。
そう思うとどこか自分というものが頼りなく、
これがとても哀しい話だということが身に沁みます。

「踊る手」

ある日信次が遊びから帰ると、
裏店の隣家である伊三郎の家の前に人だかりがしている。
一家が夜逃げしたのだった。
何にも無くなった家の中に残されていたのは、
寝たきりの伊三郎のばあさんだけだった。
置き去りにされたのだ。
ばあさんはとりあえず長屋の女房たちが面倒をみることになり、
食い物を運ぶ。
しかし絶望している老婆は一切手をつけようとしない。
困り抜いた信次の母親は、信次に食べ物を運ばせ、
ばあさんになんとか食べさせて欲しいと頼んだ。
信次はそんな役に選ばれたことを誇りに思い、
ばあさんのところへ食べ物を運ぶのだが……

なぜか強烈な印象が残る小説です。
子供の信次の視点からこの小説は描かれています。
老婆と子供。この組合せで老いることの切なさが強調される。
子供にはなぜ置き去りにされるか不思議な訳ですから、
置き去りにされた老婆の絶望が余計ストレートに伝わってくる。
最後にひとまず落ち着いた伊三郎が、
おばあさんをこっそり迎えに来ます。
夜逃げしてもはじめからそのつもりだったんでしょう。
長屋の人々を当てにもしている。
ここらへんは人情ですね(笑)
そして題名の「踊る手」の由縁。
信次はばあちゃんを背中に紐でくくりつけた伊三郎と家の前で出会います。
ほい、ほい、ほいと伊三郎はおどけた足どりで、路地を遠ざかっていく。その背に紐でくくりつけられたばあちゃんが、伊三郎の足に合わせて、さし上げた両手をほい、ほいと踊るように振るのが見えた。
そして見送った信次も嬉しそうにほい、ほいと手を振り、
踊りながら家の中に入っていく。
なんかこの場面が書きたかったがために、藤沢周平はこの小説を書いた。
そんな気がしてなりません(笑)
じつに印象的です。

ちょっと心が塞ぎそうな短篇もありますが、
それでもこの作品集はたいへんわかりやすい、
理解しやすい物語が収録されているので、
ここから親しむというのもいいかもしれませんね。
なぜ藤沢周平が小説の職人といわれるのか、
この作品集を読むと腑に落ちると思います。
それにつけても読後、何日か経つと小説の中の情景、
たとえば突然夜の闇に消え、それっきり消息のわからなくなる男の後姿。
そういう情景が何かの拍子にふっと浮かび上がってくることがあります。
それが妙に寄る辺ない(笑)
後からじわじわとボディーブローのように効いてくる。
そういうところのある作品集でしょうか。

そのほかの収録作品

「にがい再会」
「永代橋」
「消息」
「初つばめ」
「遠ざかる声」

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2008-12-06(Sat) 18:26| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

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