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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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夫婦の味は「無用の用」-宇江佐真理「卵のふわふわ-八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし」

「卵のふわふわ-八丁堀喰い物草紙・江戸前でもなし」

宇江佐真理「卵のふわふわ」
(講談社文庫)


こういう題名というのは時代小説にありなんでしょうか(笑)
宇江佐真理という人は、自分では本の題名をつけるのは上手ではない、
と言っていますがなかなかどうして、
とくにこの題名などはちょっと意想外でいて、
でも自分の小説の資質をよく表している気がします。
それにしても「卵のふわふわ」とは(笑)
おそらく宇江佐真理とは知らず、題名見ただけでは読みませんねきっと(笑)
でもこれがまたじつに泣かせる一品(笑)
ファンならお気に入りの一冊という方も多いんじゃないでしょうか。
八丁堀同心の妻を主人公にしているので、捕り物小説とおもいきや、
夫と妻、嫁と舅、そして嫁と姑。
食べ物をうまく介在させた家族小説ですね、これは。
宇江佐真理、2004年の長編小説です。
喰い物草紙と銘打ってるだけに、出てくる食べ物もなかなか美味しそうです。
卵のふわふわはだし汁に卵をとけ込ませるだけの料理だけど、
懐かしそうな感じで、思わず食べたくなります。

のぶは隠密廻り同心椙田正一郎の妻。
八丁堀に嫁に来て6年になる。
だが二度も子供を流産してからは、
夫の正一郎の仲はぎくしゃくとしたものになっていた。
そんなのぶを優しく労り、慰めとなっているのは舅の忠右衛門の存在だった。
忠右衛門は無類の食い道楽。
姑のふでは口は悪いが、根は優しい人だった。
のぶは二人の存在に助けられ、椙田家の嫁としてここまでやってこれた。
のぶは偏食である。そのことで棘のある言葉を言う正一郎に、
心根の冷たさを感じ、のぶはいつしか離縁を考えていた。
そんなのぶがある日、不義まで疑う正一郎の言葉に傷つき、
家を出ることを決心するが……

夫が冷たくて、舅が優しい。往々にしてあることです。
いわば平凡な題材なんですが、それを女性の地位が低く、
家長制度のきつい武家社会、
そういう不自由な環境である時代に持ってくると、
なぜか新鮮な題材になってきます。
そこに食べ物を通してのサイドストーリーを絡ませる。
上手い運びです。
読み始めからもうだいたい結末の見当はついているのですが(笑)
それでもこの小説を読んでいるときの、
ある種の幸福感はなにものにも代え難い。
上質の少女漫画を読んでいる、そんな幸福感にも繋がっている気がします。
宇江佐真理はつくづく不思議な時代小説家です。
正一郎は若いときの恋に傷つき、
少なからず女性不信のトラウマを抱えている。
のぶは正一郎が若いときの恋の相手が忘れられないのではないかと思い、
正一郎は正一郎で、本当はのぶのことを愛しく思っているのに、
なぜか素直になれず、のぶを傷つけてしまうことばかり。
不器用な男なんですね。
最初読者は本気で正一郎憎し(笑)
なんて思わせてしまうあたり、なかなかです。
舅の忠右衛門は擦れ違うふたりの気持ちに気づいていて、
それとなく和解させようとしますが、無理強いはしません。
何事にも自然体の忠右衛門。
最後の章「珍味 ちょろぎ」で忠右衛門が好きだったちょろぎが出てきます。
ちょろぎは巻貝に似たシソ科の多年草の根です。
漬物なんかにすると、際立って美味しいわけではありませんが、
妙に癖になる食感。
で、黒豆なんかに添えて出す。
すると黒豆そっちのけでちょろぎばかり食べてしまうといったことになる。
行方不明となった忠右衛門を偲び、正月に集まっているとき、
おせちに黒豆と添え物のちょろぎが出る。
全員で黙りこくってちょろぎを食べます。
椙田家に出入りしている太鼓持ちの今助は、
忠右衛門になぞらえ、添え物のちょろぎを「無用の用」と言います。
ふでは怒りますが、のぶはなんだか納得したような気になる。
そして読者も忠右衛門の存在とは別に、ある意味、
夫婦の味というのも「無用の用」なのかも知れないと思ったりします。
いい場面です。

ところでのぶは舅の忠右衛門から「のぶちゃん」と呼ばれています。
これだけで忠右衛門の心のなかで、のぶの存在がどうであるか、
手に取るようにわかります。
宇江佐真理は主人公の名前を登場人物に
「~ちゃん」と呼ばせることが多いですね。
これが暖かみというか、人肌というか、
宇江佐真理の人情もののトーンを決めている、
ひとつの重要な成分になっている気がします。
たとえば「春風ぞ吹く」の村椿五郎太だったら
「ごろちゃん」
「無事、これ名馬なり」の村椿太郎左右衛門だったら
「たろちゃん」
「斬られ権三」の権三は
「ごんちゃん」
「泣きの銀次」だったら「銀ちゃん」という風に、
(きりがありませんが(笑))
他の登場人物に親しみを込めてそう呼ばせます。
もうすでにその呼び方で、主人公がどういう人物であるか、
そしてそんな風に呼ぶ人たちは主人公に対して、
どのような気持ちを抱いているか。
そこですでに人情というのが感じられるわけです。
人情というのはどこまでいっても人と人との関係ですからね。
不思議なもので、
実生活でも自分の回りにそういう風に呼ぶ人がいるとすれば、
かなり親しく感じているし、愛情も感じていることが多いです。
嫌いなやつに「~ちゃん」なんて呼ばないですからね(笑)
宇江佐真理はそういうことを了解して、うまく小説の中にとけ込ませています。
これがほのかなユーモアも感じさせ、
愛らしく、
わかりやすい小説になっている要素だと思います。
この小説、個人的にもお気に入りの一冊です。

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2009-03-15(Sun) 15:41| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 4

泣き銀はツインピークス-宇江佐真理「泣きの銀次」

「泣きの銀次」

(講談社文庫)


宇江佐真理のデビュー作は「幻の声―髪結い伊三次捕物余話」
これで直木賞候補になり、
宇江佐真理は一躍時代小説の新たな書き手として注目を集めたわけです。
で、この「泣きの銀次」は宇江佐真理の長編2作目の作品。
この小説の成り立ちについては、
「泣きの銀次を書いた頃」というエッセーで宇江佐真理自身が語っています。
なんと宇江佐真理はこの「泣きの銀次」で作家デビューを目論んでいたそうです。
少なくとも「髪結い伊三次」よりは前の作品。
当然伊三次シリーズに与えた影響は大でしょうね。
この小説の魅力はなんといっても銀次という岡っ引きの設定です。
大店の小間物問屋の跡取りでありながら、
妹の死をきっかけに十手持ちとなった変り種。
この男には極めつけの奇癖があります。
それは死体を見れば、なぜかところ構わず大泣きしてしまうこと(笑)
「泣きの銀次」というありがたくない綽名を頂戴しています。
でも韋駄天走りであり、剣を取ったら馬庭念流の遣い手。
「地蔵橋の泣き銀」と呼ばれるほどの腕っこきです。
このネーミングがカッコイイですね(笑)
やはり人物設定が秀逸。

大店の小間物問屋「坂本屋」の跡継ぎであった銀次。
ある日妹のお菊が習い事の帰りに暴漢に襲われて殺される。
銀次はお菊の死体の前に身も世もなく泣きじゃくった。
そして自分の手でお菊を殺した下手人を挙げると心に決め、
事件を担当していた定回り同心の表勘兵衛の小者になり、
岡っ引きとしての道を歩むことに。
それから十年。
銀次は今でも死体を見たら泣きじゃくる。
「泣きの銀次」というありがたくない綽名も頂戴している。
だがそんな銀次を、あれが「地蔵橋の泣き銀」と、人は二つ名で呼ぶ。
腕っこきの岡っ引きとなった銀次。
相変わらずお菊殺しを追っている。
お菊の事件の前後に起こる猟奇的な殺人事件を調べていくと、
いつしか叶鉄斎というひとりの学者に繋がった。
お菊を殺したのはこの男ではないかと銀次は目星をつけるが、
鉄斎はなかなか尻尾を出さない。
そんなとき、毒を使った押し込み強盗の未遂事件が起こる。
狙われた酒屋の内儀は、
昔吉原にいた番頭新造の雛鶴で、銀次の元恋人だった。

お菊殺しの犯人との駆け引き、
銀次の実家「坂本屋」も狙われる毒を使った押し込み強盗事件。
この二つの事件を主軸に物語は展開します。
でもある時点まで読み進むと、事件の内容はだいたい見えてきますので、
捕物帖として本格的な謎解きを期待するとちょっとがっかりします(笑)
岡っ引きとしての銀次の活躍はあまりなく、
それよりも人情捕物帖として読むほうがずっとわかりやすくていい。
この小説の読みどころは銀次という人間の魅力、
そして銀次を取り囲む人々でしょう。
銀次はもとは遊び人の若旦那。
わがままなところも抜けきってないのがご愛嬌(笑)
ですが、でもそういう銀次が仏に当たっては、
自分では制御しがたく泣きじゃくる(笑)
妹を失ったときの慟哭が脳裏を離れないんですね。
どんな命であれ、それを愛しみ、涙を流す。
こういう銀次の個性は、
今までに歴代の捕物帖の岡っ引きには無かった要素。
意表をついたキャラクターと言えそうです。
物語の大筋は捕物というより、
銀次と銀次に捕物のイロハを教えた老岡っ引きの弥助の娘、
お芳との恋物語が主といっていいように思います。
お芳は大の岡っ引き嫌い。
母親の臨終に弥助が来なかったことで、
弥助を恨み、岡っ引きという存在を嫌っています。
これはまあ、刑事ドラマなんかでよくあるパターン(笑)
でもこれが舞台が江戸時代となると、
なぜかこの手垢のつきまくった設定が、
妙に新鮮に見えるから不思議です。
岡っ引き嫌いの岡っ引きの娘と、
もと大店の若旦那出身の岡っ引き(笑)
じつにユニークな取り合わせです。
そういうお芳と銀次が、お互いの存在が次第に大きくなり、
そしてかけがえの無い存在だと、気づいていく。
その過程の言葉のやり取り、仕草がとても沁みて来ます。

ちなみにこの泣く岡っ引きという設定は、
話題になったアメリカのTVドラマ「ツインピークス」がルーツだそうです。
昨今は海外TVドラマが大流行ですが、
「ツインピークス」はその草分け的存在でした。
「世界で最も美しい死体」というキャッチフレーズで、
クセ者監督のデヴィッド・リンチが作ったやつです。
監督自身も出演してましたね(笑)
この「ツインピークス」に登場する、
気が弱く、凄惨な場面に遭遇すると、
思わず泣き出してしまうアンディ保安官補がヒントだとのこと。
そういえば死体写真を撮りながら、
保安官補が泣き出してしまうとこがあったような……
あんまりよく覚えてませんが(笑)
泣き銀のルーツは意外なところにありました(笑)
続編も出ていますが、銀次の10年後だとのこと。
お芳との間に生まれた子供たちもたくさんいて賑やか。
子供が登場すれば、宇江佐真理の独壇場ですからね。
とても楽しみです。
不惑の銀次。
さてどんな風になっているのやら(笑)

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2009-02-19(Thu) 11:01| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 4

いのち永代、恋せよ深川-宇江佐真理「深川恋物語」

「深川恋物語」


(集英社文庫)
宇江佐真理「深川恋い物語」

1998から1999年にかけて「小説すばる」に掲載され、
2000年に第21回吉川英治文学新人賞を受賞した宇江佐真理の作品集です。
思わず唸ってしまうほどの作品揃い。
どの作品もそれぞれに素晴らしい出来だと思います。
なによりも物語に描かれている人々が生き生きとして、
物語が生気を帯びてます。
もともと宇江佐真理は江戸の雰囲気を描くのはとても巧みですが、
物語としてはあれっと思うような、
残念な終わり方するような作品もあります。
正直言うと群を抜くストーリーテラーというわけじゃない(笑)
それがこの作品集はちと違います。
何かが乗り移ったかのような、描写も筋もすこぶる付きの上手さです(笑)
本の表題は「深川恋物語」とありますが、
物語は恋の話ばかりじゃなく、
胸温まる話、切なくほろ苦い話など、
深川に生きる人々の哀歓が綴られた、まさしく珠玉の作品集。

「下駄屋おけい」

永代橋近くの深川佐賀町にある太物屋、
伊豆屋のひとり娘おけいは大の下駄好きである。
伊豆屋の向かいに下駄清という小さな下駄屋があり、
そこに働く口の利けない下駄職人、
彦七の造る下駄がおけいのお気に入り。
下駄清のひとり息子巳之吉はおけいの幼なじみ。
その巳之吉がこの春家から十五両という大金を持ちだして居なくなった。
居なくなってはじめておけいは巳之吉への想いに気づく。
おけいは深川中を探し回るが、ついに巳之吉は見つからない。
おけいのもとには大店の履物問屋から縁談が来ていた。
おけいは巳之吉を諦めて嫁に行こうと決め、
彦七に最後の下駄を注文する。
おけいはむつかしい注文をつけたが、
いつもの彦七ならたちまち出来上がってくるはずなのに、
今回ばかりは何度手直ししても、
なかかおけいの気に入るものが出来上がってこない。
五度目の手直しで、やっと気に入ったものが出来上がってくる。
おけいは彦七に礼を言おうと、店から帰って行く彦七の後を追い、
とうとう家まで行く。
そこでおけいの見たものは……

収録作品のなかではもっとも宇江佐節が良く出ている作品です。
明るく、ほんわかコミカル(笑)
上質のコミックを読んでいる感覚さえします。
おけいの厄介な注文の下駄を拵えていたのは、
じつは女にだまされた後、深川に舞い戻り、
彦七の家でひそかに下駄作りの修行をしていた巳之吉でした。
巳之吉は注文主がおけいとは知らず、
一生懸命下駄を拵えていたわけです。
おけいと巳之吉の会話がいいですね。
最後はほほえましいハッピーエンドで終わります。
大川端の佐賀町。その川べりの町にある大店の太物屋と、
向かいにある小さな下駄屋。
そのふたつの家にほがらかな陽光が差し、
大川の川面もきらきら照り映えている。
そんな感じの物語ですね。

「さびしい水音」

小さい頃から絵を描くのが好きだったお新。
亭主である大工の佐吉は、
お新の父親に絵を描くのだけは大目にみてやってくれと言われていた。
お新は佐吉に内緒でおもちゃ絵の内職をしていた。
そのことが佐吉に知れると、
じつはもっと描いてくれと頼まれていると打ち明ける。
家のことも手を抜かないお新に佐吉は理解を示す。
お新のおもちゃ絵は評判になり、
そのうち画集を出さないかという話が舞い込み、
お新は画集を完成させる。
その画集は思わぬ評判を呼び、
お新のもとには大勢の版元が押しかけて、
注文は引きも切らなくなった。
ふたりは裏店を出て、表通りに一軒家を借り、
家の中のことも人を雇って任すようになった。
羽振りの良くなった二人、お新は着物を揃え、
佐吉は下の者に酒や飯を奢るようになっていく。
そのうち怪我をして働けなくなった佐吉の兄、
貞吉の嫁のお春が頻繁に金の無心に来るようになっていた。
だが、きちんとした師匠についていなかったお新は、
たちまち仕事に行き詰まる。
ふたりの生活費やお春の無心に耐えかね、
お新はある絵の注文を受けることに。

結局お新がわじるし(春画)を描くことをきっかけに、
佐吉とお新は別れることになります。
お新は絵を描くことは好きだが、
絵の仕事をこなしていくことに、どこか自信が持てない。
それにこの時代は、絵師や戯作者でもちょっと目立つことをすると、
すぐに手鎖の刑ですから、そういうのも怖い。
生活は派手になり、お春からは遠慮のない無心もくる。
一方佐吉はちゃっかりお新の稼ぎを当てにしているところもある。
理解があるようで、要するに普通の男なんですね。
まあ、こういうふたりですから、万事がコントロール出来なくなっていき、
心がどんどんすれ違っていきます。
そのすれ違っていく心の過程、その描写がとても上手い。
表題の「さびしい水音」というのは、お新が佐吉と別れてから出した画集、
その中にある一枚の絵の題名です。
深川の堀に架かる橋の上から、
堀をじっと覗きこんでいるひとりの男の絵です。
そのさびしい水音を聞いていたのは、
果たして佐吉だったのか、お新だったのか。
ラストまで気合いのこもったとてもいい小説です。
ま、宇江佐真理も主婦で作家ですからね。
いろいろあるかも知れないですね(笑)

「狐拳」

深川三好町の材木問屋信州屋の内儀おりんは、
長男の新助の吉原通いに手を焼いていた。
吉原の大黒屋にいる振袖新造、小扇に惚れての吉原通いである。
おりんももとはといえば深川の芸者あがり。
強くも言えなかった。
おりんは信州屋の後添い。
新助は亭主の竹次郎の連れ子である。
おりんは二十歳のときに子を産んだが、植木屋の夫婦に貰ってもらった。
そのぶん新助を大事に育てた。
亭主の竹次郎に相談すると、
竹次郎は小扇を身請けして新助の嫁にすればいいとあっさり言う。
おりんは反対したが、やがて小扇は身請けされ、
いったん知り合いの家に世話になることに。
しばらくして嬉しいはずの新助が浮かない顔をしている。
おりんが問いつめると、小扇が信州屋の嫁にはならないと言っているという。
おりんはさっそく小扇に会いに行くが……

最後はなにやら温かいものがこみ上げてくる物語です。
小扇はじつは捨てたはずのおりんの娘、おふくでした。
金に困った植木屋の夫婦に、吉原に売られたのです。
それをおふくから聞かされて卒倒するおりん。
ようやく信州屋に来たおふくに、おりんは語ります。
新助とうまく行かないとなったら、わっちと一緒にこの家を出るしかない。ただの嫁じゃない。わっちの娘だもの。そうするしかないだろう?
親子とか、家族とかそういうものに囲まれて暮らす幸福を、
かけがえのないこととしてしみじみと感じさせてくれます。
狐拳はラストにおりんと小扇が賑やかにやる、
藤八拳、庄屋拳とも呼ばれるじゃんけん遊びに似た拳遊び。
お座敷遊びとしてとても流行したそうです。
歌麿が描いた浮世絵「狐拳三美人」なんかでも有名ですね。

このほかにもスイカの凧をどうしても空に揚げたかった小さな娘。
だがその願いが叶う前に亡くなってしまう。
そのせめてもの供養に、
思いをこめて青い空にスイカの凧を揚げる「凧、凧、揚がれ」
思わず泣いてしまいます。
これが一番好きかもしれません(笑)

この小説、深川のあちこちの地名がたくさん出てきます。
時代小説の市井ものは江戸の深川という場所が舞台になることが多い。
宮部みゆきも時代小説「本所深川ふしぎ草紙」で、
同じように吉川英治文学新人賞を受けてますから、
深川を冠すればこの賞はまず間違いはないかと。
そんなことはないか(笑)
とにかく深川という場所、時代小説ではメッカですから、
いろいろ読んでいるうちに、自然と橋やら町名やら覚えてしまいます。
後は自然と江戸切絵図。場所を確認したくなるのは人情です。
古地図を片手に時代小説を読むというのは、
またひと味違った楽しみがあります。
最近ではgooが古地図のサービスをしてますから、
お手軽にその楽しみが味わえます。
興味をもたれた方はぜひ。

そのほかの収録作品

「がたくり橋は渡らない」
「凧、凧、揚がれ」
「仙台堀」

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2009-01-22(Thu) 18:01| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 2

望郷と人情-宇江佐真理「憂き世店-松前藩士物語」

「憂き世店-松前藩士物語」

宇江佐真理「憂き世店-松前藩士物語」
(朝日文庫)


2007年に出版された宇江佐真理の長編小説。
藩の移封でリストラされた夫婦の十五年にわたる江戸の長屋暮らしを、
周囲の人々との悲喜交々の交遊のなかに描いた作品です。
曇天の雲間から時折差し込む陽光のように、
江戸の町並みに差し掛かる、はるか北の松前の風景。
望郷の思いが暗路の灯りのように、過ぎ行く歳月を鈍く照らし出し、
その歳月もまた忘れられない人情に彩られています。
望郷と人情が歳月のなかに切々と交錯し、
小説全体がなにか明るい哀しみのようなものに満ちている。
そんな感じです。
それがこの小説を普通の長屋人情ものから、
一味違ったものにしているのかも知れません。
表題の憂き世とはもともと「辛いことの多い世の中」といった言葉ですが、
転じて「はかなき世の中」になり、
最後には「はかなければいっそ浮かれて暮らそう」という浮世になります。

文化四年。
藩主松前道広が長男章広に家督を譲ったにも関わらず、
いまだに藩政を牛耳っているとの咎で、
蝦夷松前藩は幕府より陸奥国の梁川へ移封を命じられる。
石高も九千石に削られ、大勢の家臣の召し放ちを余儀なくされた。
江戸詰であった鷹部屋席の相良総八郎もその一人だった。
総八郎は召し放ち後、郷里とも音信普通となる。
妻のなみは梁川に移った実家にいったん戻されたものの、
執拗な兄嫁のいびりに耐えられなくなり、
総八郎に会いたい一心で江戸に出る。
何の当てもなかったなみは、人通りが多いとされる浅草寺雷門の前に立ち続け、七日目、奇跡的に総八郎と再会する。
浪人となった総八郎は神田三河町の長屋、徳兵衛店に住み、
内職でやっと生計を立てていた。
徳兵衛店に連れてこられたなみと、
松前藩への帰参を願う総八郎の苦闘の日々が始まる。

この蝦夷松前藩の移封というのは、
実際に起こった幕末に近いころのお話です。
背景にはロシアの脅威がありました。
この頃北海道にはたびたびロシアの船が訪れ
(大黒屋光太夫がロシアから帰還したのもこの頃)
幕府は松前藩では対応が頼りないということで、
松前藩を幕府直轄にし、北方防衛に力を入れたい。
藩主への難癖はそのためだろうと思われます。
十五年後に元の地へ帰封となりましたが、こういうのはかなり珍しいケース。
移封時は相当数の家臣召し放ちはあったに違いなく、
リストラ家臣たちのその後の人生は、いかばかりであったかと思います。
物語はなみを中心に、
夫の総八郎と徳兵衛店を仕切る口が悪いが世話好きのお米、
なぜか長屋内で嫌われているおもん、
長屋のおかみさんたちとその亭主連中。
近所の小間物屋の息子のとん七や、皆が集まる居酒屋の親爺。
そして同じように召し放ちになった総八郎の仲間たち。
こういった人たちの泣き笑いの十五年の歳月が綴られていきます。
なかでもお米ととん七は夫婦の人生になくてはならない人となります。
お米は総八郎となみ夫婦に出来た女の子、友江を孫のように可愛がり、
友江もまたお米おばあちゃんといって祖母同然になつく。
友江は成長するにしたがって、長屋全体をひとつの家のように感じ、
どこの家にも出入り自由な子供として可愛がられる。
こういうこと、昔は普通にありました(笑)
それで共同体というものを学び、自分のポジションも学んだ。
ある意味日本というのはとてもいい風土だったんですが、
残念ながらそういう光景はもう何処にも見当りません。
登場人物の中で特筆すべきはとん七です。
とん七はユーモラスだけど、少年のようにピュアな心の持ち主です。
もとからすこし知的障害者気味でもある。
それが酒の飲み過ぎで中風になり、手足に障害が残っている。
ろれつもうまく回らない。それでも懲りずに酒好きは直らない。
周囲もしょうがないな、と半ば諦め顔です(笑)
35歳になっても未だ独身で、姉夫婦の厄介になっているとん七。
でもお米は息子のように接し、長屋の人間も暖かく見守っています。
夫婦に出来た友江を可愛がり、子守はもちろんのこと、
友江のためだったらもうなんでもやる(笑)
その健気で無私の心根は、
最後にある事件で友江を守って命を落とすことにつながりますが、
とん七というこの人物像、読むものの心に鮮明に焼きつきます。
いや近頃読んだ小説のなかでは忘れがたい出色の人物でしたね(笑)
切なくも日々を生き抜き、貧苦のなかで生まれた子供もやがて成長する。
そして一家を見守る長屋の住人たちとの哀歓の日々のなかで、
藩の帰封を待ちわび、そして諦めかけ、それでもまた望みをつなぐ。
小説は彼らに流れる歳月を、その後とか、十年後とかやらず、
時間軸に沿って丹念に描き出します。
小説の中で歳月が少しずつ流れていく感覚、それがすごくいいのです。
最後に帰参が叶い、故郷に戻ることになった一家。
成長した友江に故郷の野山を指差しながら、
その名前をひとつひとつ教えていくなみを想像します。
一家の歳月を追ってきた読者は、あれからここまで歳月が流れたという感慨を、なみと共有するような気持ちになると思います。
ちょっと沁みた、いい長編小説でした。

余談ですがとん七は映画「たそがれ清兵衛」で下男の役を演じた怪優、
神戸浩をかなり彷彿とさせます。
なぜか(笑)

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2008-12-27(Sat) 02:08| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

女の江戸-宇江佐真理「玄治店の女」 

「玄治店の女」

宇江佐真理「玄治店の女」
(幻冬舎文庫)


最近立て続けに宇江佐真理のものを読んでます。
とにかく読んでると気持ちがいいんです(笑)
なぜそうなのかなと考えてみたんですが、
これはどうも宇江佐真理が書く江戸の町、
その雰囲気のせいではないかと思い始めました。
とにかくその江戸世界はとても端正で柔らかく、どこまでも優しい感じがします。
一方では宇江佐真理の江戸世界は清潔すぎて、
どこか作り物めいているという声もあるようです。
たしかに少し箱庭的ではあります(笑)
でもその端正ですっきりとした江戸世界はとてもライトな感覚を醸し出し、
このライト感覚こそが宇江佐真理の人気の要因ではないかと思います。
腹にもたれない人情ものや恋ばなし、
小憎たらしいほどに愛くるしいガキども(笑)
が活躍する宇江佐真理の小説には、
なくてはならない要素だと思うのですがどうでしょう。
この連作集は幻冬舎のPR誌に連載、2003年に刊行されました。

江戸日本橋の玄治店(げんやだな)に住むお玉は元花魁。
小間物問屋の主、藤兵衛に身請けされ妾となったが、
暇つぶしのために女中のおまさとともに小間物屋「糸玉」を営んでいた。
もちろん商いの上がりだけでは食べていけず、掛かりは本宅から届けられていた。
そんなお玉のところにやってくる女たち。
芸妓屋のひとり娘で八歳の小梅(甘露梅で福助の思われ人だった?)
小梅の三味線の師匠で辰巳芸者のお喜代。
年の離れた旦那と間夫を掛け持つ若い妾のお花。
そして女中のおまさ。
彼女たちが出入りする糸玉は賑やかな声が絶えない。
でも誰もが心の内では人に言えぬ思いを秘め、
それぞれに玄治店の四季に暮らしていた。
そんな折り、お玉は藤兵衛から別れ話を切り出される。
身代が傾きかかっている藤兵衛は冷淡だった。
冷たい藤兵衛の仕打ちに怒ったお玉は、
小間物屋で商いをしながら暮らしていくと、
藤兵衛に啖呵を切るのだが……

お玉の周りに集まる女たちの日常と様々な出来事。
小間物屋「糸玉」の土間や座敷での会話。
四季折々の玄治店の路地。
お玉と小梅が通う湯屋でのやりとり。
なんというか、これがうまく絡まり合って、
「女の江戸」というべき世界を構築してます。
お玉と小梅の手習いの師匠である青木との恋もあり、
ほろっとくるような人情話もありで、
下手すれば井戸端小説で終わってしまいそうなところを、
そこはうまく勘所を押さえて、上々の仕上がりに持って行ってます。
まあ、物語の展開というよりは、
笑いと涙、恋と悩み。
現代でもなにげにありそうな、
玄治店の日常を生きる女たちを見ている方が楽しい小説ですね。
とくにおちゃっぴぃな小梅は特筆です(笑)
玄治店(げんやだな)は今の日本橋人形町界隈にあった地名です。
歌舞伎の「与話情浄名横櫛」
「しがねえ恋が情けの仇」のセリフでおなじみの源氏店の段で有名になりました。
玄治店は切られ与三がお富さんと再会する源氏店のモデルです。
芝居のほうは鎌倉雪の下ですから、源頼朝で源氏、
それと玄治をかけたということですね。
もっとも歌舞伎より往年の歌手、
春日八郎の「お富さん」の歌詞、
「エーサオー玄治店~」
こっちで一挙に有名になったというのが正しいと思います(笑)
「与話情浄名横櫛」のお話は実際にあった事件だといいますから、
玄治店というのはやはり妾宅が多く、
粋な黒塀、見越しの松、
やはりそういうのがたくさんあった場所ではないのでしょうか。
閑静で婀娜(あだ)な女たちが住まう町。
でも妾というのは日陰の身ですから、
そういう寂しさもつきまとう町。
この物語はやはりそのイメージをうまく借景にしてます。
最後にお玉は伊勢へと向かった青木を追いかけます。
(お玉が年上だし、このあたりは切ないですね)
お玉が去った玄治店。
でもなんだかこの町、雰囲気いいですから、
いつまでもぶらぶらしていたい気分(笑)

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2008-12-03(Wed) 01:16| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

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