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Author:-rainbird-
時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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江戸の禍福-藤沢周平「霜の朝」

「霜の朝」

藤沢周平「霜の朝」
(新潮文庫)


この短編集には昭和49年から56年にわたって書かれたものが集められています。
なかには初期のものも含まれていますが、おおむね藤沢周平が円熟期に入ったころの作品が主になっています。
全11編、初期のころにあった、匂い立つように鮮明な風景描写は少し影をひそめたとはいえ、言葉が言外のものを吸って円くなり、人の機微に自然に出入りする筆はすでに練達の域です。
収められた短篇はさまざまな色合いを持ち、それぞれに短篇の妙味が味わえる構成です。
あまり悲劇的な結末に終わらないのも読後にさわやかな感じを残していいですね。
とくに印象に残ったもの、しみじみ考えさせられたものをふたつ。

「禍福」

大店の履物屋、井筒屋のやり手の手代だった幸七は、今はしがない小間物の行商人に落ちぶれていた。
近頃は品物もさっぱり売れず、行商の帰りに井筒屋時代に取引のあった店の旦那に会うと、5年前の借金の話を持ち出される始末。
幸七は身の不運を嘆くほかなかった。
その不運のきっかけは女房のいそえを知り合ったことから始まったと幸七は考えていた。
井筒屋の手代だっとき、井筒屋の一人娘との縁談が持ち上がったのだが、
そのときにはいそえと言い交わす仲となっていて、とても離れられる状態ではなかった。
いそえは妊娠もしていた。
幸七はその話を断るしかなく、その後、朋輩の手代長次郎が井筒屋の主に収まることになる。
幸七はいたたまれず他の店へと移った。
だが移った店はあっけなく潰れ、
喰う金に困った幸七は小間物の行商を始める。
俺の不幸はいそえを選んだときから始まったと、幸七の冴えない日々は続く。
そんなある日、もとの井筒屋で朋輩だった竹蔵とばったり会い、
井筒屋の若夫婦のその後の話を聞かされる。

「禍福は糾える(あざなえる)縄の如し」そういうことわざがあります。
禍(わざわい)が福になったり、福が禍の元になったりして、この世の幸不幸は繰り返す。
幸と不幸は縄を縒り合わせたように表裏をなすものという意味ですが、
この短篇はそのことわざがもとになっていると思います。
話の最後に今の今まで俺は不幸だと思っていた幸七が、
手に入るはずだった幸福がじつはそうではなかった。
そしてなんの疑いもなく自分の人生についてくるいそえの言動にもほだされて、
今ある自分の状況にささやかながら幸福を見いだして終わります。
ちょっと自分の身辺にこの物語を引き寄せてみると、
なかなか深い味わいのものとなります。
禍福にまつわるこのことわざを短篇の骨子として当てはめ、
そして最後になるほどと思わせ、やがてしみじみとした気持ちにさせる。
なかなかこんな風に仕上げることは出来ません。
じつに見事な手際です。

「霜の朝」

奈良屋茂左衛門はある朝、
探りに出していた宗助から宝永通宝が廃されるとの報告を聞く。
宝永通宝は金銀の含有率を大幅に引き下げた悪銭であった。
将軍徳川綱吉は、その差益で幕府の増収を図ろうとしたが死去。
家宣にと政権は代わり、宝永通宝は側用人の間部詮房、侍講の新井白石らによって廃されたのである。
その宝永通宝の新鋳を請け負っていたのが、
奈良屋茂左衛門のライバル紀伊国屋文左衛門であった。
紀伊国屋はこれで終わりだな、と奈良屋は思った。
そこにはひとつの時代が終わったことの寂しさと、
金に執着してきた己れの人生への虚しさが入り混じった複雑な感慨があった。
奈良屋は紀伊国屋と張り合うように競ってきた豪遊の日々に思いを馳せる。

奈良屋茂左衛門は材木問屋として幕府の中枢とつながって巨富を積み上げ、
江戸に奈良茂ありとまでもてはやされた豪商。
紀伊国屋文左衛門も同じ幕府御用達の材木商人で、
東叡山寛永寺における根元中堂の建立によって巨富を築いた人物です。
ふたりはライバル関係でしたが、
遊びの面でも競い合った仲で、吉原などでの豪遊伝説は数知れずと言われています。
この小説は、なんとなく葛飾北斎と安藤広重のライバル関係を描いた
「旅の誘い」や「冥い海」を彷彿とさせます。
遠くでお互いを認めあうが、近づこうともしない。
ただお互いを意識する感情だけが高まっていく。そういう関係ですね。
併せて読むと面白いかもしれません。
ただこの小説ですごく印象的なのはお里という女の子と宗助ですね。
彼らのことは短篇ですからばっさり省いてありますが、
彼らの言葉や振る舞いがとても際だっていて、
奈良屋の持つ金というものをいっぺんにうさんくさいものにします。
霜の朝という題は冷え始めの意味もあると思いますが、
土が霜で浮いているんですね。
踏むとぐっと沈む。
金を追いかけてきた奈良屋や紀伊国屋の、そういう危うさも表しているんじゃないかと……
奈良屋が吉原でお大尽遊びをして、小判をばらまきます。
だがそのばらまいた小判を拾わない女の子がいることに奈良屋は気づき、
お前は小判を拾わないのか、と声をかける。
十二歳のお里は答えます。

「お金は働いてもらいます」

このセリフぐっときます(笑)

そのほかの収録作品

「報復」
「泣く母」
「嚔」
「密告」
「おとくの神」
「虹の空」
「追われる男」
「怠け者」
「歳月」

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2008-10-28(Tue) 01:12| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

悪党の魅力-山本一力「赤絵の桜-損料屋喜八郎始末控え」

「赤絵の桜-損料屋喜八郎始末控え」


(文春文庫)


江戸の損料屋に身をやつした元同心の喜八郎が、手下のいなせな男達と共に事件を解決していく損料屋喜八郎始末控えの第2弾です。
最初のやつはお江戸の経済小説&ミッション・インポシブルのごとく痛快で、それなりの人情話もはいって楽しめました。
いわしを山ほどの七輪で焼き、その煙がもうもうと立ち籠めるなかで執り行われた深川船着場の大祝言。
その場面が目に焼き付き、これはぜったいに続きも読まなければと考えていました(笑)
で、さっそくに手を伸ばしたというわけです。
表紙の歌川豊広の「観桜酒宴図」もいい雰囲気。

寛政元年に棄捐令が発布されてからというものは、江戸の景気はすっかり冷え込み、大店から小商人まで、商いは細る一方で、町々は元気を無くしていた。
そんな中、江戸北東の郊外、押上村に空前の規模の窯風呂「ほぐし窯」が普請されつつあった。
損料屋喜八郎が後ろ盾をしている米屋政八が、その窯風呂に助力している旗本青山家から三千両の融通を依頼され、政八はこれに応ずる。
この話は最初は蔵前一の札差伊勢屋に持ち込まれた話だったが、伊勢屋はこれを断っていた。
喜八郎はその窯風呂普請にきな臭いものを感じ、調査に乗り出すが……

2弾目は短篇をつないだいわゆるオムニバス形式。
最初に起こった事件が縦糸となって、各短篇がつながれている感じです。
でも前の短篇のオチがつかないまま次ぎにいくので、
あれ?……
の連続で、どうも読後感としては後味は良いんですが、ちょっとくすぶったまま肩すかし(笑)
でもこの小説をいなせな江戸の物語として読む。
江戸の町を背景とし、関係図の中で何気なく起こるささいな出来事。
それをあたたかい眼差しで見つめる世話もの、人情ものとして読むならそこそこ楽しめると思います。
その当時はさもあろうかと思うような江戸の四季の描写や、諸国から船で運ばれてくる物産の荷揚場として栄え、また辰巳芸者なんかを産んだ花街としても有名だった深川の風情。
仕事のあいまのなにげない職人同士の会話や、店先で立ち話している手代同士の会話のリアリティ。
これぞ江戸だっていう気がします。
煙草や煙管、着物に雪駄、そんな小物の描き方もなかなかのものでした。
そういう楽しみで読む小説としては申し分ないと思います。
でも果たしてこれが損料屋喜八郎というキャラクターを、ヒーローに押し立てて書かねばならないほどのものだったのかは、ちょっと疑問の残るところです。
登場人物が多くて、かかる比重がどうしても分散気味。
喜八郎という主人公のキャラが思うように立っていかない、これは最初のやつからありましたが、それが今回はもっと印象薄いです(笑)
それに較べて、気弱で情けなく、関西風に言うとあほでいらちの米屋政八の濃いキャラクター。
敵役ながら、義理にも厚く、そこはかとなく影もあって、懐の深い伊勢屋四郎左衛門。
彼らの登場場面が喜八郎より多い気がするのは気のせいか(笑)
とにかく喜八郎より周りがなんとなく良い。
とりわけ伊勢屋四郎左衛門は、このシリーズの本当の主役は彼ではないか(笑)
と思うくらい良いキャラに仕上がってます。
時代小説というのは勧善懲悪ではとても薄っぺらいものになってしまいます。
人間には裏表や本音と建て前、蔭、日向がありますね。
いくら悪でも行う悪にそれなりに背景がなければ、物語に奥行きが出ません。
伊勢屋四郎左衛門は物語に緊張を与えるなうての策謀家として登場しますが、
一方で息子を亡くしたことがトラウマになっている影のある男として描かれる。
欲深い敵役。でも本物を知る粋な江戸の男として喜八郎と並ぶ姿はとてもいい。
だからこの小説の後味が良いんだろうと思います。
そういう意味からいくと山本一力はきちんと勘所を押さえている気がします。
人情話の新しい書き手として、もはや確固たる位置を築きつつある山本一力ですが、この物語でも勘所を抑えつつ、人情話のそれへと大幅に傾きつつあります。
最後の章で、いっこうに進展しない喜八郎と江戸屋の若女将秀弥の結びつきを図り、同時に喜八郎の鼻をあかそうとして伊勢屋四郎左衛門が仕掛ける大芝居。
その大団円の結末は、そんな山本一力の面目躍如だという気がしますね。
思わず口元がほころんでしまいます。
そんなこんなで、次ぎにもし第3弾が出たとしたらやっぱり読むでしょうね(笑)

でも、これ、最初のやつを読んでおかなければ話がさっぱり見えてこないのは、やっぱりマズかろうと思うんですが、どうなんでしょう(笑)

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2008-10-25(Sat) 18:49| 山本一力の世界| トラックバック 0| コメント 0

海坂の四季-藤沢周平「蝉しぐれ」

「蝉しぐれ」

藤沢周平「蝉しぐれ」
(文春文庫)


藤沢周平のファンに、あなたのベストワンは何?と聞くと、この小説をまっさきに挙げる人が多いと思います。
それほどに人気の高い長編小説ですね。
藤沢周平が生み出した時代小説の傑作のひとつといっても過言ではない。
市川染五郎、木村佳乃主演で映画にもなりましたので、
「蝉しぐれ」という題名を誰しも一度は聞いたことがあると思います。
この題名、じつになんというかリリカル、ほんとうに美しい題名だという気がします。
今回読んだのは2度目。再読にも関わらず、最初読んだときと同じく、
夜も寝ないで一気に読み耽ってしまいました。
そして最初に読んだときに胸が詰まったあの箇所で、案の定、やっぱりウッと来ましたね。
物語の最初のほうなんですが、そのあたりに近づき、あ、ダメかも(笑)と思ったときはすでに遅く、胸が詰まって泪がじんわり……
年のせいか涙腺ゆるいことおびただしい(笑)

牧文四郎は十五歳。海坂藩普請組牧助左衛門の長男である。
ある夏の朝、家の裏を流れる小川に顔を洗いに出る。
隣家の裏では同じように同役の小柳の娘ふくが出て洗濯をしていた。
ふくは十二歳。ちいさい頃から物静かな娘であるが、体がふっくらと丸みを帯びはじめた年頃になると、少し文四郎を避けるような態度をとりはじめていた。
文四郎は何かふくに疎まれることをしたかと考えたが、いっこうに思い当たることがなかった。
そのときふくの叫び声が聞こえる。蛇に噛まれたのだった。
文四郎が駆けつけ、ふくの手を取ると指の傷口を強く吸った。
ふくは蛇の毒に怯えて泣いたが、文四郎は蛇はヤマガラシだから心配ないとふくをなだめる。
ふくは家に入り、文四郎は逃げた蛇を探して殺した。
剣の道場と私塾へ通い、貧しいながらも友人たちと楽しく励み語らう日々。
元服を目前に、海坂藩での文四郎の青春は、これからいっそう眩しい時期を迎えようとしていた。
そんな中、突然文四郎の運命を狂わす大きな異変が起こるのだった。

小説の舞台となるのは海坂(うなさか)藩。
そこに生きるある少年藩士の淡い恋、友情、そして成長を描いたものです。
こう書いてしまうといかにも平凡な青春時代小説を想像しますが、
運命に翻弄されながらも、強く生きていく少年の姿はつらつとして凛々しく、凡百のものには無いこの小説の大きな魅力になってます。
海坂藩というのは藤沢周平の小説にたびたび出てくる架空の藩です。
海坂は藤沢周平が結核療養時代に属していた静岡の俳詩「海坂」から名付けたもので、モデルとなったのはおそらく荘内藩。町は鶴岡だろうと言われています。
小説での海坂藩内の風景描写が、ほんとうに鮮明で懐かしく、読む者の深い郷愁を呼び起こします。

この小説にはちょっと哀惜というか、そんなものがすごく感じられます。
ひとつには文四郎や文四郎の父母、友人たちやふく、そういった人々の輪郭が、ある種の叙情を帯びているからではないか、とそう思いました。
そしてそれはどこからそんな感じがくるのだろうかと考えたとき、それはひょっとして海坂藩の風景ではないだろうかと。
つまり藤沢周平の手で描かれ、深い郷愁を呼び起こす海坂藩の四季の風景。
その四季の風景のなかにあるからこそ、誰も彼れものたたずまいが叙情を帯びてくる。
だから哀惜の感が強くなるのだと。
それを秋山駿は藤沢周平の詩魂と呼びましたが、まさしくその通りかもしれません。
もうひとつは文四郎とふくの淡い恋。
夏の終わり、文四郎が切腹した父親を一人で引き取りに行き、荷車に遺骸を乗せて家へと帰っていく場面があります。
人々の好奇の目に晒されながらも、途中で会った道場の後輩に荷車を押してもらい、遠い道のりをへとへとになりながら、ようやく自分の家のある坂の下まで帰ってくる。
父親の遺骸が重く、長いのぼり坂でふたりとも精魂尽き果てる。
そこへひとりの少女が文四郎の家の前から駆けてくる。
ふくです。
ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心に梶棒をひいていた。
そして文四郎とふくの背に、しだくような夏の蝉しぐれ……
遺骸を乗せた荷車引いてんの、みんな子供なんですよ。
だめなんです(笑)
ここにくると万感胸に迫るものがあります。
書き写しているだけでももういけません(笑)
結局ここなんだろうと思います。
この先いろんなことがこの二人にふりかかってきますが、すべての始まりがこのさらりとした2、3行のなかに在ると思います。
とにかくとてもいい小説です。

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2008-10-23(Thu) 00:23| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 1

お江戸はワンダーランド-青木宏一郎「江戸庶民の楽しみ」

「江戸庶民の楽しみ」

青木宏一郎「江戸庶民の楽しみ」
(中央公論新社)


「馬がしゃべった!」そんな噂が江戸の町のあちこちでまことしやかに流れはじめ、それが瞬く間にとてつもない規模の噂になって江戸の町を席巻する。
幕府もほってはおけず、延べ35万人の人が取り調べられたという話。
元禄6年のことです。
お江戸は不思議なとこだ。ほんとありえねーよ(笑)

いったいお江戸の人々はどんな毎日を生きていたんでしょう。
時代小説も市井ものを読んでいると、妙にそういうところが知りたくなってしまいます。
市井万民、爪に火をともすような暗い生活だったのか、
それとも
「いいか誰にも言っちゃあいけねえよ。ここだけの話しだがな、驚くなよ、ほんとに馬がしゃべったんだぜ」
みたいな、落語に出てくる熊さん、八っつぁん、ご隠居の、だぼら話のような軽いノリの暮らしだったのか……
ぜひ知りたくなりまして、
で、この本「江戸庶民の楽しみ」
青木宏一郎という人が書いた本です。
江戸初期の頃から幕末に至るまでの、江戸庶民のレジャー考察というべき本です。
読み始めて気がついたんですが、400ページにも及ぼうかという厚みなのに、
ほぼ半分が江戸のレジャー年表に費やされてます。
でもこのレジャー年表がかなりスゴイです。
江戸初期から幕末までの、こと娯楽に関する出来事が年代ごとにぎっしりと。
よくぞこれだけ調べあげたものだと感心しました。

お江戸は世界一の娯楽都市でした。
これは紛れもない事実です(笑)
江戸のレジャーの流れというのは、初期のころは江戸にいるのは武士が大半でしたから、遊びも武士中心。湯女がいる風呂屋なんかが流行していた。
(形は違えど今でもありますね。あれはかなり由緒正しきものだということになります)
それがだんだん町人が増えてきて、やがて幕府が上方からどんどん商人を呼び寄せる。
つまり関西資本の投入を図り、江戸を活性化させようとしだしてから、遊びの主役は徐々に町人に移っていきます。
時代が経つにつれ武士は貧乏の定番ポジションに追いやられますから、そういう意味でも遊びの牽引車は町人です。
遊びといってもその頃は祭りや行楽が中心。
祭りは祭礼ですから信仰と結びついたものです。行楽というのは、いわゆる物見遊山ということでしょうが、当時はやはり信仰と分かちがたいものがあり、つまりどこそこのお寺に参詣がてら、そこらを見て回るといった程度のものでした。伊勢参りや善光寺参りなんかがそうですね。
娯楽といっても宗教活動と密接に結びついている。
それが元禄期になると町の規模が広がり、整備も整ってくると歌舞伎や勧進相撲、見世物なんかが出始めてくる。
なによりも町人が増えると、そういう興業で利益が出始めますから娯楽が本格化してくる。
あちこちに歌舞伎や見世物の小屋が建ち、遊郭や料理屋などの歓楽街もどんどん増えてくる。
結果として贅沢、退廃がはびこります。
幕府も禁止令とか出して抑えようとしますが、所詮は庶民の底知れぬパワーには勝てません。
禁止しても禁止しても法の抜け道を拵えて何度でも立ち上がってきます。
まるでどこかの日本みたいです(笑)
そうやって人口増加に比例して、徐々に江戸という巨大娯楽都市が出来上がってきます。
おおざっぱにはそういう流れになると思います。
ま、そんな風に出来上がってきた江戸は、何が飛びだすか分からないようなワンダーランドみたいだったんでしょうね、きっと。
市井で暮らす人々にとっては、そのほかにもいろんな娯楽がありましたが、歌舞伎見物とか見世物とか、そんな構えたものじゃなく、身近なものでも楽しむ。
そういう楽しみというのもたくさんありました。
そんな江戸の楽しみのキーワードは
「粋」「宵越しの銭は持たねぇ」「風流」
これじゃないかと思います。かなりかぶってるところもありますが(笑)
粋というのはファッション。
根付けや着物(江戸小紋なんかは粋の極みです)手ぬぐいとか、そういうものに意匠を凝らす。
着こなしもそうですね。
「宵越しの銭は持たねぇ」というのは、江戸っ子気質ですね。
江戸というところはなにせ火事の多いところで、いくら稼いで持っていても、ひとたび火事が起こればすべてがパァーですから、パッとお金を使い切る気質が自然と出来上がる。
当時、初鰹というのは非常に貴重なものでした。値段も目の玉が飛び出るほど高い。
それを名もなき庶民が豪勢に買うわけです。一年分の給金をはたいてでも。
で、近所に配ったりして食べる。これは粋にもつながります。
お金持ちの商売人なんかは絶対買いません。関西資本ですから吝いので(笑)
「風流」というのは具体的な行動としては、見物とか鑑賞でしょうか。
その場合、自分が風流を感じ、行う主体であること。
盆栽なんかもそうでしょうね。盆栽を育て愛でる。これは風流です。
行き過ぎて盆栽バブルもあったようですが。
そして季節ごとの風景。そういうものに風流を見いだす。
春だったら花見や梅見、夏は朝顔だとか花火見物。秋は月見に、冬は雪見と、
季節ごとに風流を感じ楽しんでいく。
ま、なかにはわけのわからない風流もあるにはあります。
「枯野見」という見物があって、寒い時期に冬枯れの光景を、
ふくべに酒なんか詰め込み、何人かと連れだって見に行く。
冬枯れは文字通り、葉も落ちた裸木が並んでるとこですね。
そういうところの端に座ってちびりちびりと飲る……
で、「寒くなってきたな、ぼちぼち帰ろうか」なんて言って三々五々にとぼとぼ帰る。
なにが面白いんでしょう。わけわかりません(笑)
まあ、なかにはそんなものもありますが、
考えてみれば江戸の庶民の暮らしというのは非常に豊かです。
貧しいけれど、めぐる四季に合わせ、さまざまに楽しみを見つけていく生活。
今の時代みたいに金に追われすぎて、
すれっからしになってない気がしますね。
住宅ローンなんていうのも無いし(笑)

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2008-10-21(Tue) 01:31| 江戸はやっぱり面白い!| トラックバック 0| コメント 1

人としての誇り-藤沢周平「隠し剣秋風抄」

「隠し剣秋風抄」

藤沢周平「隠し剣秋風抄」
(文春文庫)


海坂藩で暮らす剣客たちの悲喜交々を描いた連作、隠し剣シリーズの第二集。
隠し剣シリーズも全部で十六編となり、登場する剣客たちもじつに多彩です。
藤沢周平の初期に属するこのシリーズ。
あたたかみと、ほど良い暗さとが同居した滋味溢れる傑作シリーズですが、
通底するテーマは思うに矜持、つまり人としての誇りではなかったかと、そう思います。
不遇であったり、己が身に負を背負わされている主人公たちにとって、
封印された一人相伝の秘剣は人としての誇り、その最後の拠り所です。
そして窮地にその秘剣を解き放つときは、人としての激しいプライドの発露であり、己への生きたことの証だてなんだろうと思います。
この「隠し剣秋風抄」最後を飾るのは「盲目剣谺返し」です。
「武士の一分」という題名で映画化されたのは記憶にあたらしいところ。
一分とは身の面目であり、身分にふさわしい名誉のことです。
盲目となった三村新之丞が妻をたぶらかした元上司に、文字通り武士の一分を賭けて挑んでいく物語なんですが、シリーズの最後にこの作品を置いたのは意味のあることで、シリーズを通して藤沢周平が描きたかったのは、やはりこれじゃなかったかと、そう思いました。
でもまあ、そんなことまで考えなくても理屈抜きに楽しめる傑作シリーズなのは確かです。

「酒乱剣石割り」

作事組の弓削甚六は丹石流の秘剣石割りを伝授されたほどの剣士。
だが悪癖があった。酒乱なのである。
本人には酒を飲んで暴れたという記憶はまるでない。
家では大女の妻に頭が上がらず、口べたでいっこうに風采の上がらない男なのだが、ひとたび酒が入れば、気分が高揚し集中力も増して、朗らかになり、信じられないほど滑舌になる。
しかしそれが頂上を越えてしまうと、途端に訳の分からない哀しみが胸を締め付け見境もなく暴れ出す。そういう男だった。
その甚六が次席家老に呼び出される。
聞けば国に害をなす側用人を討つので、その息子である剣客の成敗を命じるというものだった。
甚六は次席家老から成就の暁まで酒は飲むなと厳しく言い渡されるが……

どうも酒好きのものにとっては身につまされる話です(笑)
小柄でいっこうに風采が上がらない甚六は、さらに酒乱という不名誉なレッテルを張られています。
酒好きなのにいつも飲む金にも困っている。
その甚六にはこれが兄妹かというほど似ていない美人の妹がいます。
その妹がさらわれ、まさしく乱暴狼藉されようかという現場に乗り込んでも、
甚六はまるで剣士としての力量を発揮できない。
そういう情けない甚六が、最後には秘剣で見事に勝ちます。
でもこれは酒の力を借りてのことなんです(笑)
で、その酒乱の勢いで妹の復讐にも行こうとする。
もう自分では止められない。
酒乱ゆえに武士の誇りを賭して彼岸へ飛ぼうとする甚六。
そこになんとも云えない作者の皮肉な、それでいて暖かい視線があります。
いやほんと、この話、身につまされます(笑)

「盲目剣谺返し」

海坂藩毒味役を賜る三村新之丞は、お役目の際、笠貝の毒にあたり盲目となった。
その新之丞には貞淑な妻の加世がいた。
骨身を惜しまず尽くす加世に支えられて生きる日々。
だが盲目ゆえに気配に鋭敏になった新之丞は、以前にはなかった妻のかすかな異変に気づく。
従姉の以寧からも、夫が加世を歓楽街で見かけたと言っていると告げられ、
半信半疑ながら下男の徳平に出かける加世の後を附けさせる。
そして加世が新之丞の元上司である島村と会っていることが判明する。
加世は盲目のために無役となった新之丞のために、
自分の身を犠牲にして島村に取りなしを頼んでいた。
だが島村は加世の弱みにつけ込み、加世の体を弄んでいただけだった。
新之丞は加代を離縁し、武士の誇りを賭けて島村を討つため、
加世のいない寂寥に耐えながら、伝説の秘剣を会得しようと稽古に励み出す。

映画化ですっかり有名になったストーリーです。
いまさらな感じがするけれど、やはりこのストーリーはシリーズの中でも出色のものだと思います。
シリーズ最後の方には「暗黒剣千鳥」もそうですが、秘剣を持っていなくて、
秘剣に対抗する主人公というのも出てきます。
シリーズも回を重ねてよりヴァラエティに富む構成になっているんですね。
新之丞もはじめから秘剣を習得していない主人公という設定です。
その秘剣もまだ誰も見たこともない伝説のもの。
その困難な伝説の秘剣を盲目の身で会得し、
島村に打ち勝っていく過程がカタルシスを呼び、
夫婦の愛をさりげなく取り戻す結末とない交ぜになって、深い余韻を残します。
最後に徳平の配慮で、女中となってひそかに三村家に戻った加世。
その加世が出した料理の、長年親しんだその味で加世だと気づく新之丞。

「食い物はやはりそなたのつくるものに限る。徳平の手料理はかなわん」

そうさりげなく言う場面はやはり泣けます(笑)
この作品は映画になるべくしてなったというほかありませんね。

そのほかの収録作品

「汚名剣双燕」
「女難剣雷切り」
「陽狂剣かげろう」
「偏屈剣蟇ノ舌」
「好色剣流氷」
「暗黒剣千鳥」
「孤立剣残月」

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2008-10-18(Sat) 21:25| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

女を生きる-乙川優三郎「夜の小紋」

「夜の小紋」

乙川優三郎「夜の小紋」
(講談社文庫)


少なからず純文学の香気漂う作品集。
もとより純文学とか大衆文学だとかの分け隔ては意味が無いと考えていますが、あえて言えば、ある種の高貴な雰囲気を兼ね備えたものを純文学だと人々が言い習わしていた、
また事実、読むたびに何かしらの深い示唆を与えられたものを純文学だと言っていた、そういう時代の小説の雰囲気を持った作品集だと思います。
では小難しい小説かといったら全然そんなものではありません。
江戸の町に生きる女たちの香しい姿を良く伝えている、そういう作品集だと思います。

「芥火」

水茶屋上がりのかつ江は、大店の旦那に妾として囲われ、九年の歳月が流れる。かつ江は男を待ち続ける日々に飽いて、着物をあつらえる趣味に没頭していた。
かつ江は男でも金でも、目の前に何か追いかけるものがないと生きていけない性分なのである。
そんなかつ江に旦那から別れ話が持ち出される。
かつ江は潔く身を引き、これから暮らしのためにはかつて自分が住んでいた世界に戻るしかないと思い、深川の町に出物を見つけ、そこで小さな切見世(安い女郎屋)をはじめることにする。
そしてかつ江はかつて自分が働いていた水茶屋の女将で、
いまは娼家を営むうらに相談を持ちかける一方で、
昔馴染みの男からとにかく金を引き出そうと金策に動き始める……

江戸はとにかく海をどんどん埋め立てて広がっていった都市で、
この小説の舞台となる深川あたりなんかもそういう埋め立て地です。
芥や土で海を埋め立てると、まず安手な岡場所を作ります。
娼家が立ち並ぶと、男がどんどんやってきますから、土地が自然と踏み固まる。
ある程度固まったら、さっと移転するなり、壊すなりして新しい町を作る。
そういうサイクルだったわけです。
だからこういう海沿いの町に集められた女たちというのは、かなり底辺層の女たちだということになります。
かつ江はそういう町で生きてきて、生き伸びていくには、自分しか頼るものがないんだということを良く知っている女です。だから男から金を引き出すにしても、ためらいもせず女としてのあらん限りの手管を使う。
でも男にもたれかかって生きるという幻想はあっさり捨てています。
だから生きるためにはどんなことでも厭わない。
女として在ることと、生きるということが区別なく重なってる。
そういう気がします、
娼家の女将であるうらがかつ江に言う言葉があります。
「生きるのが商売だから」
この言葉はなぜか「女を生きるのが商売だから」とも聞こえてきたりします。
したたかでたくましい生き方です。

「夜の小紋」

魚油問屋の次男由蔵はふとしたことで江戸小紋に魅せられ、
親の許しを得て修行することに。
いつか自分が考案した小紋の型を彫り、それを生業としていく夢を持っていた由蔵。
色挿し職人のふゆとも行く末を誓っていた。
たが家を継いだ兄が急死し、由蔵は父親の説得でやむなく家業を継ぐことになり、ふゆとも別れる。
由蔵は商売に没頭していき、いつしか小紋のことも忘れていった。
だがいつかは魚油問屋を兄の子供に引き渡さなければならないと気づいたとき、由蔵の心は自分を失っていく。
そんなある日、なじみの料理屋の女将はやが、おもしろい小紋を見つけたと言い、それをあしらった着物を由蔵に見せると言う。
やがて出来上がってきたその小紋を見た由蔵は驚く……

この小説でもふゆという色挿しの女の生き方が清冽に綴られることになります。
結局ふゆは作中に登場しませんが、
自分を見失いつつあった由蔵を促す存在として語られます。
女には無理だと言われ、仕事場を転々としてでも、
自分の色と意匠にこだわり抜き、
色挿し職人として洗練の高みに登っていったふゆ。
そういうふゆに由蔵は最後はかき立てられるものを感じ、
新たな一歩へと踏み出していこうとします。
それはもう男とか女とか、
情愛の幻想をすでに越えた促しだと思います。
しかし登場しない女の生き方を間接的に語る方法は見事ですね。

他にも「柴の家」のふきという女の生き方も心に残ります。
主人公との交情も胸に納めて、
自分の色を実現するために作陶に賭けていきます。
どれもこれも女のそれぞれの生き方ですが、
世俗のなかで何にまみれようと己れを見失わない、
そういう強い生き方をする女たちが、
この作品集の主人公だという気がしますね。

そのほかの収録作品

「柴の家」
「虚舟」
「妖花」

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2008-10-17(Fri) 00:51| 乙川優三郎の世界| トラックバック 0| コメント 0

お江戸の経済戦争-山本一力「損料屋喜八郎始末控え」

「損料屋喜八郎始末控え」

山本一力「損料屋喜八郎始末控え」
(文春文庫)


山本一力のデビュー作です。
後に直木賞を受賞し、新しい人情話の書き手として注目されることになりますが、あまりそういう面が出せようもないこの作品でも、
たしかな萌芽が見て取れるように思います。

上司の身代わりとして祐筆同心の職を辞した喜八郎は損料屋になります。
損料屋というのは庶民相手に鍋釜や小銭を貸す商売。
時代は田沼意次が失脚し、松平定信が大老になった頃。
すぐに寛政の改革が始まります。
旗本や御家人が札差からの多額の借金に喘いでいた時期です。
そんななか巨利を貪る蔵前の札差、伊勢屋や笹倉屋の陰謀に、
喜八郎を中心としたチームが立ち向かっていくというお話です。

なかなかにスリリングで面白い小説に仕上がってます。
経済小説のようでもあり、スパイ小説のようでもあります。
この物語の下敷きになっているのは寛政の改革で行われた棄捐令。
旗本や御家人が幕府から貰うサラリーの一部は米です。
この支給米は蔵米と呼ばれていました。
米ではいろいろと具合が悪いので、どうしても換金する必要があった。
それで幕府の米蔵から旗本や御家人に代わって、蔵米を受け取り、
米問屋に売却する商売が出てきた。それが札差です。
はじめ札差は代行手数料で儲けていたわけですが、
物価が上がり、旗本や御家人の暮らしが苦しくなると、
そのうち蔵米を抵当に高利のお金を貸すようになっていった。
それで札差は莫大な財力と権力を持つようになったというわけです。
そこに棄捐令です。
棄捐令とは札差に借金のある旗本・御家人らの借金を、
全部チャラにしますというお触れ。
実際の寛政の改革では、
120万両という途方もない金額がチャラになりましたが、
潰れた札差はほとんどなかったという話です。
どこかのリーマン○○とは大違い(笑)
しかし考えてみたらほんとムチャクチャな話です(笑)
今の時代に棄捐令なんかが行われたらさぞかし大変でしょうね。
それこそ大混乱です。
でも住宅ローンを青息吐息で払い続ける我が身とすれば、
ひそかに「ヤッタ!」と快哉を叫ぶかも知れませんが(笑)

ちなみに喜八郎が商う損料屋というのは、
いわば江戸のレンタルショップ。
江戸にはこの損料屋がたくさんありました。
鍋釜や布団なども貸しましたが、面白いのは「ふんどし」(笑)
当時ふんどしはかなり高価なもので、
なかなか気軽に買えるものではなかったようです。
洗い代も加算されますから、賃料も高かったようですが、
それでも買うより格段に安かったということなんでしょうね。

それにしても「いわし祝言」の章で行われる深川船着き場の大祝言の場面。
じつに印象的です。
祝祭的歓喜が充ち満ちて、しばらく脳裏から離れそうにないです(笑)

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2008-10-15(Wed) 00:08| 山本一力の世界| トラックバック 0| コメント 0

侍の夫婦愛-藤沢周平「隠し剣孤影抄」

「隠し剣孤影抄」

藤沢周平「隠し剣孤影抄」
(文春文庫)


言わずと知れた藤沢周平の剣豪小説集第一弾。
次の「隠し剣秋風抄」とともにつとに有名な小説集です。
山田洋次が映画化し、
藤沢周平の名を時代小説を読まない人たちにも広げたのはご存知のとおり。
剣豪小説といっても他のものとはだいぶ趣を異にしています。
まず剣豪といっても登場する主人公たちはたいていが平侍。
それも中以下の下級武士といった設定。
下級武士ゆえに剣の奥義をきわめたといっても出世するわけではなく、
富裕になるわけでもない。身分社会に押し込まれて、
暮らしの中でも汲々としている、うだつの上がらない平侍のままです。
だがひとたびやむにやまれる状況に追い込まれたとき、
一人相伝の秘剣を遣って窮地を切り抜ける
(なかには悲劇に終わってしまう場合もありますが)
この胸をすく飛躍こそが、このシリーズの他にはない妙味だろうと思います。
秘剣のネーミングも全然強そうじゃありません(笑)
それがこのシリーズを親しみやすくしている理由のひとつだと思います。
映画化された「隠し剣鬼の爪」など有名なものもありますが、
他にも深い味わいの作品もあるのでそちらのほうを。

「臆病剣松風」

瓜生新兵衛は海坂藩普請組に勤める百石の侍。
妻の満江は新兵衛が鑑極流の遣い手で、剣の奥義を授けられた剣士だと聞き、
嫁入ってきたのだが、夫が並はずれた臆病者だと薄々気づき、
最近は夫が少々疎ましくなってきていた。
そんな満江に従兄弟の千田道之助が言い寄ってくる。
満江の心は少なからず揺れ動く。
そんな矢先、若殿が命を狙われ、新兵衛に警護の命が下る。
新兵衛が持つ鑑極流守りの秘剣、松風を恃んでのことだった。
新兵衛はその命を怯えながらも引き受けるが……

この作品、なかなかの佳品だと思います。
なにより臆病だというのがいいですね(笑)
意表をついた性格設定です。
臆病な剣客がいるか、というツッコミはさておき、
この秘剣を守りの剣だとしているところにミソがあるように思います。
松風はその場を後退することなく、ただひたすら守り、受け流す秘剣です。
自分からは攻撃しない。
そのことが新兵衛の細かくて臆病な性格とじつにマッチして違和感がありません。
それとふだんは並はずれた臆病者だが、
窮地に陥ったとき、鮮やかな秘剣で切り抜ける。
この落差ですね(笑)
この落差が大きければ大きいほど爽快感があるという仕組み。
たぶんそれが心地良いというか、カタルシスになってます。
夫を誇らしげに思い直していく妻の満江の心の動きも良いですね。

「女人剣さざ波」

浅見俊之助は剣のほうはからっきしである。
その彼が家老の命で藩で秘かに行われているらしい不正を探るため、
茶屋に入り浸っていた。
家老が俊之助が常日頃茶屋で遊び回っているという情報を聞き、
不正の密談が茶屋で行われる可能性が高いため、
俊之助に探索を命じたのである。
探索には浮気相手であるおもんも一緒である。
俊之助の妻、邦江は醜婦だった。
邦江の姉は評判の美人で、それなら妹もさぞかし美人だろうと、
よく確かめもせず娶り、俊之助は裏切られた気持ちになり、
夫婦の間は最初からうまくいっていなかった。
茶屋通いの原因のひとつはそれである。
だが邦江は猪谷流の秘剣「さざ波」を伝授された女剣士であった。
探索が終わると同時に、敵方の武士に俊之助は果たし合いを申し込まれる。
それを知った邦江は、日を変えることを相手に申し入れ、
俊之助の代わりに果たし合いの場に赴くが……

夫婦愛の物語です(笑)
色浅黒く狸に似た風貌を持つ邦江は、
自分が俊之助に疎まれていることをよく知っている訳なんですが、
邦江自身は俊之助を愛しく思っています。
俊之助の母親はそういう邦江を良い嫁だと見抜き、
俊之助を諭します。
こういうところが良いですね。
邦江という醜婦を全否定しない。
誰かがちゃんと正当に評価し、見守っています。
だから読んでいてもきつくなりません(笑)
最後、果たし合いの場に後から俊之助が駆けつけます。
傷だらけの邦江を背負って帰るんですが、
去り状をくれと言う邦江に
俊之助は「馬鹿を申せ」と言い、
それから「仲良くせんとな」と呟きます。
ほろっときますね、このセリフ。

夫婦愛をテーマとした作品ふたつということになりましたが、
久しく忘れていたものを思い出させてくれる感じです(笑)
夫婦愛をテーマとしたものは、いまではなかなか書きづらいのではないかと思います。
時代小説に描かれる封建社会という重い足かせが、
夫婦の愛を余計に際だたせるんでしょうね。
こういう夫婦のかたちが、
藤沢周平にとって、ある意味で理想だったのかも知れません。

そのほかの収録作品

「邪剣竜尾返し」
「暗殺剣虎ノ眼」
「必死剣鳥刺し」
「隠し剣鬼の爪」
「悲運剣芦刈り」
「宿命剣鬼走り」

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2008-10-14(Tue) 01:09| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

江戸はほぼ酒樽-「近世武士生活史入門事典」

「近世武士生活史入門事典」

近世武士生活史入門事典
 (柏書房)


柏書房から出ている本です。
アンベールの幕末図絵などの図版がふんだんに掲載されているので、
パラパラとめくってるだけでもけっこう面白い。
複雑怪奇な江戸幕府の職制からはじまり、
項目は衣服や冠婚葬祭、日常の細かな作法から食生活まで
じつに多岐にわたっていますが、
入門事典とあるだけどこか通り一遍の感なきにしもあらず。
読みながらつらつら思ったことは、
江戸時代の武家の生活は、ごく初期は別として、
林羅山が登用されて朱子学が幕府の官学になったあたりから、
どうも堅苦しいものになった感じ。
朱子学の教えはともかく己の分を守ることですから、
将軍は将軍らしく、家臣は家臣らしく分をわきまえること。
当然これは親子関係や夫婦関係まで適用され、
分を越えないために礼節やしきたりにもやかましくなる。
礼節を知り、それぞれに己の分を守れば、
おのずと争いは起きず天下太平になる。
この朱子学こそが士農工商をはじめとした封建社会の身分秩序を作り上げたということになります。
武士を描く時代小説の大きなテーマというのは、
この封建制度の中で起こりうる様々な葛藤ですね。
ざっくり言えば。
そこに普遍のテーマ、たとえば恋愛でもいいし、親子や夫婦関係、
最近だったら介護の問題だとか、いじめ問題でもいい、
そういうものを放り込む。
時代小説というのはそれで出来上がるんだと思います。
だいたいは。
メチャメチャおおざっぱな言い方ですが(笑)
ゆえに朱子学を学べ。時代小説を楽しむには。
そういう結論になります(笑)

まあそういう堅苦しい社会にあって、
武士たちの楽しみは何かというと酒ではなかったかと思います。
ふだん武士の勤務というのは特殊なのを除いてはだいたい週三日ぐらいのお勤めで、
それも午後早くに終わったりしますから暇で仕方ない。
無聊を持てあましてつい酒に手が伸びます。
この本の中に元禄の頃の、酒の消費量についてのことが書かれてあります。
それによると江戸に運び込まれた酒の年間総量はおよそ六万樽。
そのころの江戸の人口で割ると、一人あたりの年間飲酒量は四斗近く。
一升瓶に換算するとなんと400本。凄まじい量です(笑)
江戸の総人口の中には女子供も含まれていますから、
実際はそれよりも多くなります。信じられないほどの消費量です。
地方も似たり寄ったりで、
尾張藩の役人が村々の視察に出かけた絵日記が残っており、        
接待漬けで浴びるほどの酒を飲む様子や、
飲めや歌えの連夜の乱痴気騒ぎが細かく描かれています。
ほかに楽しみは薄いとはいえ、いやじつによく飲んでます(笑)
しかし酒の消費量とは別に、
腐敗しているというかなんというか、
役人というのは今も昔も、なんとも仕方のないもんですね(笑)

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2008-10-13(Mon) 00:14| 江戸はやっぱり面白い!| トラックバック 0| コメント 0

武家のおんなたち-乙川優三郎「屋烏」

「屋烏」

乙川優三郎「屋烏」
(講談社文庫)


乙川優三郎は女性を描くのが上手な作家だと思う。
個人的にはこの作家のものはどちらかというと市井ものより、武家もののほうが好きなんですが、
とりわけ女性にとって過酷な環境であった武家社会のなか、
抑えた生き方を強いられた姿がよく乙川優三郎の筆に合っている感じがします。
もちろん市井もののなかにも魅力的な女性がたくさん登場しますけれど。

「屋烏」

政争に巻き込まれて斬死した父親に代わり、
家長として幼い弟を育て、長い間家を守ってきた揺枝。
すでに弟も元服して嫁を貰い、家の主として自立している。
気がつけば婚期も逸し、世間からは「松の行かずどの」とあだ名されている。
このままではいつか家の厄介者になると揺枝は思い、そろそろ家を出ねばと考えている。
ある日揺枝は竜神社を訪ねる。
その帰りに下駄の鼻緒が切れ、すげ替えてるところに一人の武士から声を掛けられる。
武士の名は宮田与四郎。
揺枝の父が死んだ現場に居合わせた剣士である。
与四郎の顔にはそのときの刀傷が生々しく残っていた。
与四郎の評判は悪く、粗暴で誰彼となく喧嘩を仕掛けるという噂があった。
だが揺枝は与四郎の心優しげな態度を見て、
与四郎も無責任な人の噂に追い回されているのではないかと直感する。
揺枝の心に初めての恋心が芽生える。
そんなある日与四郎が私闘を行い、家禄を削られお役目を解かれたという話を揺枝は聞く。
揺枝は思い切って与四郎の家を訪ねようと思い立つ。

屋烏之愛という言葉があります。
屋烏とは屋根に留まっている烏のことで、
愛するあまりその人の家に留まっている烏まで好きになってしまうという意味です。
ゆえに屋烏というのは、その家で一番必要のないもの、
という事になってしまいます。
逆に屋烏には家の守り神、そういう意味も暗に含まれています。
揺枝と与四郎はそれぞれ家の屋烏であり、藩の屋烏である、
そういうことだと思います。
そのふたりが出会い、お互いに好意を持つのですが、なかなかすんなりとは進展しない。
感情を抑える恋、それだけに小説の最後はかなりほろっときます。
この短篇、どうしても藤沢周平の珠玉の短篇「山桜」と引き比べてしまいがち。
それぞれに良さがありますが、
「屋烏」のほうの揺枝がより強い女性に描かれている感じがします。

「穴惑い」

足掛け三十四年に及ぶ敵討ちの旅を終え、上遠野関蔵が郷里の藩に帰ってくる。
我が家には妻の喜代が待っていた。
おそらく死んだと思われていた関蔵が帰ってきたことで、
様々な出来事が上遠野家の身辺や家中に巻き起こる。
家督のこと、自身のこれからのこと。
そして喜代のこと。
果たしてそれらを関蔵はどう始末していくのか。

穴惑いとは、時期が近づいても、冬眠のための穴を探せないでいる蛇のことだと小説にあります。
無事仇討ち本懐を遂げ、
家に帰ってもそこはすでにもう自分がいるべき場所ではなくなっている。
これは関蔵自身の比喩なんでしょうが、
それにしても三十四年も家を空けるというのは途方もないことですね。
まるで浦島太郎(笑)
氏家幹人の「かたき討ち― 復讐の作法」なんか読んでも、
仇討ちの旅に出てとしても、
首尾良く仇に出会うことは本当にまれで、
一生出会えずそのまま他国の地で亡くなる、
なんてことはざらだったようです。
この制度は武家社会の数ある過酷な制度のなかでも、
ダントツに厳しいものですね。
残された家族も不幸です。
そういうことですから、
関蔵の帰還から、自分たちの終の棲家を求めて江戸へ行き、
失った夫婦の歳月を少しずつ取り戻していく様子はなかなかいいですね。
この小説、武家のしきたりに生きる妻の喜代への視線が、
とても肯定的で、暖かい感じがします。

武家の妻女を生きるというのは、とても厳しかったんだろろうと思います。
そういう女性たちにひかりを当て、制度に負けない芯の強さを、
魅力と感じさせる乙川優三郎の筆は確かなものだと感じました。

そのほかの収録作品

「禿松」
「竹の春」
「病葉」

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2008-10-12(Sun) 17:55| 乙川優三郎の世界| トラックバック 0| コメント 0

言葉の美しさ-乙川優三郎「武家用心集」

「武家用心集」

乙川優三郎「武家用心集」
(集英社文庫)


第10回中山義秀文学賞を受賞した乙川優三郎の作品集。
乙川優三郎はポスト藤沢周平とも言われている一人です。
たしかにプロットや肌ざわりが似ているところがありますが、
当然のことながらやはり乙川優三郎は乙川優三郎で、藤沢周平ではありません。
いまは亡き藤沢周平の現在進行形を読みたいなどと、ファンなら叶わぬ幻を追い求め、
どこかで似ている作家がいると聞いただけでいそいそと手に取ってみます。
でもどこか違う、これは違うものだと思ってがっかりする。
最後には「なんだ違うじゃねぇか」などと危うく口走ってしまいます。
でもこれはその作家に対する埒もない言いがかり以外のなにものでもありません。
違うのは当たり前ですから(笑)
以前にそんなアホなことを思って、
乙川優三郎を遠ざけてしまった自分に自戒をこめて(笑)
乙川優三郎の特徴は端正な文体もさることながら、
なんといってもその言葉の美しさにあります。
だからといって物語がないがしろにされているわけではありません。
それどころか、むしろ非凡な語り手だと思います。
でもその物語もまず言葉の美しさを捉えるところから始まっているような気がします。
レアな手垢のついていない言葉を、物語の隠された基点とするような、
そういうところがあるんじゃないかと。勝手にそう思いました。
まあそんなに単純ではない気もしますけど、少なくともこの作品集ではそう思いました。

「田蔵田半右衛門」

倉田半右衛門は八年前に、何者かに追われている友人に助勢し、
友人を追っているのが藩の捕吏だったために、罪に問われることに。
半右衛門が捕吏と戦っているうちに当の友人は逃げてしまっていた。
聞けば友人は父親とともに不正を働いていたとのこと。
重科は免れたが、半右衛門は禄を削られ、閑職へと追いやられる。
この事件をきっかけに、自分には関係ないことで捕らえられた半右衛門を
人が麝香鹿(じゃこうじか)を狩るときに、
なぜか飛び出してきて代わりに殺される獣のことになぞらえて、
「田蔵田半右衛門」と呼び、家中で侮るようになった。
以来半右衛門は人づきあいを避け、釣り三昧の日々を送るようになった。
その半右衛門の許に兄が訪れ、
藩の家老である大須賀という人物を暗殺せよという内命を伝える。
藩主の意向であり、上意だという。
半右衛門は断ることが出来なかった。
そこで半右衛門は、大須賀という人物が本当に暗殺に値する奸臣なのか、
その人となりについて知りたいと思い、数少ない友人達を頼んで調査し始める。
だがそこに浮かび上がってきたのは奸臣とはほど遠い男の姿だった。

なかなかいい物語だと思いました。
最後には幸福な結末が待っていますが、
結局窮地に立たされた半右衛門がその窮地をどうしのいだか、
武家用心とは身の処し方の謂いだろうと思います。
武家社会のしきたりとしがらみの中で、盲従せず己で判断する、
その判断の先に何が待っていようが、覚悟のうえ、そういうことだろうと思います。
ところで「田蔵田」は麝香鹿(じゃこうじか)に似た中国の獣(おそらく想像上の動物だと思います)で、
麝香鹿狩りのとき、自ら飛び出してきて殺されるという、
自分に関係のないことで死ぬ愚か者のことですね。転じてそういう真似をする人のことを侮る言葉です。
しかし柳田国男の「たくらた考」のなかに、
昔の日本の村には生まれつき愚かな人を神様のお使いとして大事にする風習があったそうで、
そういう人にあたえる田をたくら田と言ったという話があります。
まずはめでたしの小説の最後、家族で釣りに興じるシーンが出てきますが、
じつに幸福そうで、そういうのも題名の背後にあったんじゃないかと思いますね。

「邯鄲」

津島輔四郎はわずか三十九石の新田普請奉行の添役。
七年前に妻を離縁していまは女中のあまとふたりで暮らしている。
あまは貧農の娘で十四のときに津島家に来て、いまは二十歳である。
来たときはぼろを纏い、
痩せて貧相な娘だったが年ごとに武家のしきたりや料理、言葉遣いも習い覚え、
輔四郎も眩しく思うほどに成長していた。
ふたりは平和に暮らし、そろそろあまを嫁にやらねばと、
輔四郎はぼんやり考えていた。
だが輔四郎にはあまなしの生活は考えられなかった。
そんな輔四郎に上意の内命が下る。
藩の中老を暗殺した忍びの頭領を斬れという命令である。
輔四郎の家は代々剣の流派、津島流を伝える家柄だった。
だが相手は相当に手強く、こちらが命を落とすことは十分に予想できた。
しかし上意とあれば断ることも出来ず、
もし自分が死ねば後に残されるあまの今後も考えなければならなかった。
上意討ちの命が下ったことをあまに告げると、
あまは意外にも一緒に連れて行ってほしいと輔四郎に言う。

邯鄲という言葉は「邯鄲の夢」の故事でも有名ですが、
一方では半透明の美しい姿と鳴き声を持つ、
コオロギの仲間の名前でもあります。
中国では天蛉と呼ぶそうですが、
美しく短命なので非常に儚いイメージがあります。
あまが鈴虫やこおろぎの鳴き声を真似る名手だという文章が出てきます。
このあたりで、邯鄲というのはあまの姿、そう思っていました。
でもラストで物語が意外な方向に動き、
悲劇がやってくるのではないかという予感と共に
上意の内命が下る前の、輔四郎とあまの穏やかな日々、
それこそが「邯鄲の夢」だということではなかったか、
そう思い至ると、この物語がいっそう深まった気がします。

他にも「九月の瓜」「しづれ雪」「うつしみ」も良かったし、
この作品集はほんとうに粒よりの短篇が収録されています。

そのほかの収録作品

「九月の瓜」
「しづれ雪」
「うつしみ」
「向椿山」
「磯波」
「梅雨のなごり」

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2008-10-11(Sat) 19:43| 乙川優三郎の世界| トラックバック 0| コメント 0

人という哀しみ-藤沢周平「暁のひかり」

「暁のひかり」

藤沢周平「暁のひかり」
(文春文庫)


初期の短編集なんですが、どちらかというと暗いです(笑)
藤沢周平の初期のものは暗い情念につきうごかされた登場人物が、
最後には破綻するとか、死んでしまうとかそういう結末が多いですね。
「暁のひかり」の市蔵の心のセリフがなんだかこの作品集の、
そして藤沢周平の当時の心境をよく表していると思いますがどうでしょう。
「これだから、世の中なんてものはこれっぽちも信用出来ねえのだ」
いや、じつに共感できます。個人的に(笑)

「暁のひかり」

壺振りの市蔵は賭場を終えたいつもの朝帰りの道で、
足の悪い少女と出会う。
少女の名はおこと。
病気で長い間寝ていたので歩く練習をしていると言う。
病を克服し、懸命に生きようとするおことの姿に市蔵は心動かされる。
市蔵はおことに壺振りであることを隠し、
堅気の時分にやっていた鏡職人だと偽る。
そしておことに鏡を作ってやると約束する。
そんなある日、酒に酔った男がおことに絡んでいた。
抵抗してきた男を市蔵はかっとなり容赦なく打ちのめす。
おことは市蔵の正体を見たのか、市蔵が怖いと言って去る。
しばらくの後、元の親方に頼んで小さな手鏡を作ってもらい、
市蔵はおことを訪ねるが……

暁のひかりは、朝早くから仕事場に向かう職人達を照らすひかりであり、
堅気の暮らしのはじまりを示唆している。
市蔵は夜の賭場から這い出てきて朝に帰るというやくざ者だから、
当然堅気の暮らしとは逆のベクトル。
でも暁のひかりが照らし出す時間は、
市蔵のようなやくざと堅気の世界の交錯する時間、
ちょうどあいまいな境界のような時間。
その暁のひかりの中、市蔵は病気を克服したいと願い、
懸命に生きようとするおことに出会うことで心を動かされ、
自分をもう一度堅気へと引き戻す夢を見る。
でも市蔵もおことも、救いのない現実に打ち倒されて、
物語は終わります。
市蔵の絶望がやるせないですね。
でも暁のひかりに照らされ、やがて江戸の町にいつもと変わらない朝が来ます。
この作品、言葉にならない「人という哀しみ」みたいなものが横溢していて、
いわく言いがたい味があります。

「しぶとい連中」

ちょっと微笑ましいです。この作品。
賭場での借金を取り立てを生業としている強面のやくざ、熊蔵。
ある夜、酒によってふらふら歩いているうちに、
身投げしようとしていた母子を助けることに。
金がないという母子に熊蔵は持っていた有り金を渡すが、
助けられた母子は熊蔵の後をくっついてきて、熊蔵の家に泊まり込み、
あろうことかそのまま居座ってしまう。
はじめは迷惑がり、なんとか母子を家から叩き出そうとする熊蔵だが……

ひとり者のやくざの裏店に、朝餉、夕餉の匂いが漂いはじめ、
子供ふたりがにぎやかに駆け回る。
しまいには母親を抱いてしまうことに。
居座った母子に振り回され、
だんだん身動きが取れなくなっていく熊蔵が可笑しいです(笑)
でも本人はまんざらでもない。
読んでいて、ああ、こういう幸福というのもあるだろうな、と感じます。
なんだか「良かったな熊蔵、がんばれよ」なんて声をかけてしまいそうです。

「暁のひかり」の市蔵、「馬五郎焼身」の馬五郎、
「穴熊」の浅次郎、 「しぶとい連中」の熊蔵、
みんなやくざ者だったり、粗暴な嫌われ者だったりしますが、
悪人になりきれない男達です。
かといっていまさら堅気に戻る、生き方をあらためて出直そうなんてことは考えない。
もう元には戻れないということを知っている。そういう哀しみを背負っている男達なんですね。
藤沢周平の描くやくざ者は魅力的です。

そのほかの収録作品

「馬五郎焼身」
「おふく」
「穴熊」
「冬の潮」

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2008-10-08(Wed) 00:10| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 1

絶妙な題名-藤沢周平「花のあと」

「花のあと」

藤沢周平「花のあと」
(文春文庫)


藤沢周平円熟期の短編小説集。
この短編集には浮世絵師系の小説「旅の誘い」が収められています。
安藤広重が主人公で広重から見た葛飾北斎の姿が描かれてます。
「暗殺の年輪」に収録されている「冥い海」は
葛飾北斎から見た安藤広重でしたが、それと対になる感じです。
この短編集で個人的に印象深かったのは「冬の日」と表題作の「花のあと」でした。

「冬の日」

まず思うのは「冬の日」という題が絶妙。
いつも藤沢周平の小説を手にとって感じることは題の付け方が上手いな、と思うことです。
この小説もやはり題名が作品の基調を与えつつ、
冬の日という言葉がとても象徴的に使われています。

小さな古手屋の店を開こうとしている清次郎はある冬の寒い日、
開店準備のための大事な取引を終え、
酒でも飲んで体を温めようと、見知らぬ居酒屋に入る。
そこで昔清次郎と母親が世話になっていたお店の一人娘、
おいしと再会する。おいしは見るからに身を持ち崩していた風だった。
清次郎も人を傷つけ、牢に入っていた過去がある。
それぞれ人生の冬を生きてきた幼なじみの男女が偶然に再会し、
おたがいの傷を受け入れ、静かに寄り添って生きていこうとする。
そういう物語です。
小説の最後で、開店したばかりの清次郎の店を尋ねてきたおいしに、
「この店を一生手伝ってくれ」と清次郎が言います。
このシーンはなんだか厳しく冷たい冬の日の、
そこだけ暖かい陽だまりの情景のようです。

「花のあと-以登女お物語-」

物語は何人かの孫を前に、
老いた以登が昔の恋物語を聞かせるという構成になっています。
その語り口がけっこう軽妙で笑わせます。
娘の身でありながら剣をよく遣う以登。
秘かに恋した若い剣客が、曰くつきの嫁をもらうことに。
以登自身も許嫁があり、また身分も違ったので、
以登の恋は胸に秘するしかない。
だが後年その若い剣客は妻の不倫相手の奸計に掛かり自刃する。
真相を知った以登は仇討ちをする。
ここで重要な役回りを演じるのが、才助という彼女の許嫁。
許されざる彼女の仇討ちの後始末をするんですが、
これがすぐ以登の身体に触りたがったり、
礼儀作法もなってない軽薄な遊び人風。
小太りだし(笑)
でもしっかり要所は決めるなかなかに魅力的な人物に仕上がってます。
こういう人物を書かせると上手いですね。藤沢周平は。
キャラが立つというのは、登場するのっけから、
ああ、こういう人物なんだとすぐさまイメージさせ、
物語へぐいぐい引き込んでいく、
そういうものに与えられる言葉でもあります。
この物語もこの才助の登場無しには、
それほどに奥行きと洒脱を得られなかったと思います。

藤沢周平という作家の大きな特徴は、
初期から後期にかけ、どの時期をとってみても、
作品の質が一定して高いこと。
デビューが遅く、直木賞を取ったときには、
小説の職人としてすでに完成されていたこともありますが、
それにしてもどの時期をとっても、
当たり外れのないというのは本当にすごいなと思います。
この作品集もいずれ劣らぬ秀作ばかりです。

そのほかの収録作品

「鬼ごっこ」
「雪間草」 
「寒い灯」 
「疑惑」 
「旅の誘い」 
「悪癖」

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2008-10-05(Sun) 19:39| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 1

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