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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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武士であることの辛酸-乙川優三郎「生きる」

「生きる」

乙川優三郎「生きる」
(文春文庫)


直木賞受賞作「生きる」を含んだ中編集です。
とにかく暗いです(笑)
こんなに暗くて良いのかと思うくらい暗い(笑)
でもどの作品も最後には明るいものが心に差し込んでくる。
なんだか不思議な感じがします。
この読後感はいわく言い難いです。
それぞれの作品、文字通り人が生きることとは何か、
そのためには何が必要なのか、
そのことを深く問いかけてきます。
そしてそれぞれの登場人物の生きる姿勢もさることながら、
どんな生き方にせよ、
人が生きるという意味はその人のものでありながら、
他の個とも分かちがたく共有しているものなのだという単純な真実を、
あらためて気づかされもします。

「生きる」

江戸表にいる藩主、飛騨守は病臥にあり余命幾ばくもなかった。
その飛騨守の恩顧で、石田家は譜代の家臣を差し措き、順調に繁栄してきた。
もし飛騨守が身罷るときは追腹を切らねばならない。
当主である石田又右衛門は国元でそう考えていた。
その又右衛門がある日筆頭家老の梶谷半左衛門に呼びだされる。
呼び出された席には旗奉行の小野寺郡蔵もいた。
家老の用向きは、もし藩主が身罷ったときには追腹をするものが後を絶たなくなる。
それを止めるには追腹禁止のお触れを出すしかない。
ついてはふたりにも協力してほしいと持ちかけた。
もっとも追腹を切りそうなふたりを選んでのことだった。
家老に説得され、ふたりは追腹を切らないことを家老に誓う。
だが藩主が亡くなると、追腹をする者が絶えなかった。
あれほど亡き藩主に目をかけてもらって、なぜ追腹を切らないのか、
希代の臆病者だと周囲に白眼視されても、
又右衛門は家老に誓った以上追腹を切ることが出来ない。
そのうち娘婿までが追腹を切る。
又右衛門は死ぬより過酷な生き様を強いられ、茨の日々が続く。

追腹というのは亡くなった藩主の後を追って切腹すること。
つまり殉死です。
寛永三年に追腹の禁止が幕府から出されるまで、
当たり前のように行われ、追腹が多いのは人望の高さとされていました。
戦国の世の名残、そういう風習です。
この追腹を題材とした森鴎外の傑作「阿部一族」はあまりにも有名です。
追腹を切ることを藩主から許されなかった肥後藩阿部一族が、
女子供まで道連れにしながら、
その恥辱をそそぐために藩に刃向かい、
壮烈に滅んでいく小説でした。
でもこの小説の又右衛門は、
阿部一族のように華々しく死ぬことも出来ず、
周囲の蔑視に耐えながら生き続けます。
夫を追腹で失ったことで精神に異常をきたす娘。
娘の婚家からは義絶され、
家が受ける恥辱に耐えかね切腹するまだ若い長男。
ついには心の支えだった妻にまで先立たれる。
それでも又右衛門は黙々と生きていきます。
死ぬより辛い生です。
途中でポキリと折れてしまってもおかしくない。
そんな生を営々と生き続ける又右衛門。
なにが又右衛門をそうさせるのでしょう。
約束した以上二言は無いとする武士の意地でしょうか。
そうであれば意地を貫いて生きる先に見えるものは何か?
読者も迷う感じです。
最後にある光景に出会い、
年老いた又右衛門が身も世もなくオロオロと泣き出す場面は、
背負った重い生と、一条の光が交錯する印象的な一節でした。
人が生きる、ということを深く考えさせられる作品です。

「安穏河原」

羽生素平は誇り高く清廉な武士だった。
国が飢饉に遭ったとき郡奉行の役職にあった。
窮した藩は年貢の代わりに金を差し出す無尽講の策を打ち出す。
百姓の難儀を見過ごすことの出来なかった素平はこれに反対し、
意見書を出したが受け入れられず、職を辞して国を出る。
そして江戸に来た。
自分のような武士ならいつかは仕官できると信じていた。
しかし容易に仕官の口は無く、
人足などして糊口を凌ぐのが精一杯の生活だった。
そして江戸に来て八年目、 妻が発病して一家はどん底に落ちる。
ついに素平は一人娘双枝を女郎に売る。
若い浪人者織之助は、
せめてまともな客を世話してやりたいと素平に金を渡され、
時々双絵の娼楼に上がっていた。
その双枝は躾の厳しかった父の言いつけを守り、
女郎に身を落としても、卑しい態度は微塵も見せない、
志の高い娘だった。
喰うためには何でもやってきた織之助にとって、
そんな双枝は日増しに気がかりな存在になっていく。

悲運な生を甘んじて受け、そのなかでも矜持を保ち続ける双枝。
武家の娘の誇りの拠り所、その心象にあるものは、
まだ家族が国元で幸福に暮らしていたときに行った紅葉狩り。
その河原での思い出を冒頭で織之助に語ります。
そんな双枝の存在が気に掛かるものの、
誇り高き者が現実の汚辱にまみれてのち、
なおかつ崇高に生きていくことなど出来はしない。
織之助はそう思っているフシがあります。
そして父親の素平に対しても苛立ちと蔑視を隠せない。
物語はそういう親娘に付き合っている織之助の視線で描かれます。
それにしてもため息が出るほどつらい作品でした。
じつのところいったん途中で投げ出したほどです(笑)
誇り高き武家の娘が女郎に身を落とし、
それでも毅然として生きていく。
こんな酷い話があるのか、そう思うから先に読み進めない。
そんな感じでした。
でも最後まで読むと、なぜか妙に心が安らぐのです。
素平は割腹し、双枝は岡場所の町が水害にあったとき行方不明になります。
何年か後に商人となって成功した織之助が、
ある町で小さな女の子に出会います。
双枝に面影が似ている。
近所の者に聞くと夜鷹の娘だという。
心動かされた織之助は、
ひもじそうな娘に団子を買ってやります。
そのとき「おなか、いっぱい」と娘は答えて断ります。
それはまさしく双枝の言葉と同じでした。
素平は娘に人に食べ物を恵まれたときは、
「おなか、いっぱい」と答えるようにと躾けたのです。
でも双枝らしきその娘の母親は死んでいました。
最後にふたりで河原に佇みます。
あの紅葉狩りの河原のように。

今回はなんだかとことんネタバレになってしまった感じです(笑)
でもこれでも語り尽くせない何かが残っているような気がします。
いわく言い難い。
でも不思議な暗い魅力を放ち続ける。
もしかしたら希有な作品集かもしれません。

そのほかの収録作品

「早梅記」

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2008-11-30(Sun) 00:58| 乙川優三郎の世界| トラックバック 0| コメント 1

江戸の恋はしみじみと-宇江佐真理「余寒の雪」

「余寒の雪」


(文春文庫)


2001年に第7回中山義秀文学賞を取った作品集です。
中山義秀文学賞というのは歴史・時代小説を対象とした数少ない文学賞で、
2004年には乙川優三郎も受賞しています。
おそらく宇江佐真理という小説家にとって、
岐路に位置する重要な作品集だろうと思います。
まだ初期のころなので、展開に少しぎこちなさがあるとはいえ、
なかなかの物語巧者です。
とくに派手でもなく淡々と刻まれる恋物語は、
繊細に書き込まれた江戸の世界を背景に、
淡いゆえにでしょうか、
かえって情感溢れるものになって妙に胸を打ちます。

「梅匂う」

小間物屋の主人助松は、三年前に女房を亡くし、それ以来のやもめ暮らし。
子供もいなかったので仕事の忙しさにかまけるうちに、
いつしか寂しさも薄らいで、気ままなひとり暮らしを続けていた。
その助松が仕事の終わったある日、
両国広小路でふと漂ってくるかすかな匂いにつられ、
大通りから細い通路へと足を踏み入れる。
そこは見世物小屋の楽屋の裏手につながっており、
楽屋ではいま女力持ちで評判を取っている大滝太夫が化粧台に向かっていた。
助松は大滝太夫の顔を覗き見るなり、一目で惹かれてしまう。
それ以来助松は見せ物小屋へと足繁く通い始めることに……

助松と大滝太夫の恋の顛末を描いた物語。
大滝太夫は見世物小屋に出ている力持ちの大女です。
とはいえ、山のような大女かというとそうではありません。
でもやはり並の女性より大きいということで、
大滝太夫は心に屈折を抱えています。
助松は小屋に通い詰めたあげく、大滝太夫とめでたく結ばれる。
大滝太夫が助松の家に泊まるようになり、
助松に至福のときが過ぎるのですが、
大滝太夫には昔から間夫がいて、
自分のような大女にはじめて好きだと言ってくれたその男から、
どうしても離れることが出来なかった。
そのことがわかって大滝太夫は助松の許を去ります。
助松は美人水の容器に大滝太夫の姿を入れて売り出し、評判を取ります。
でも心は晴れない。
結局大滝太夫は助松のところへ帰ってきます。
助松の家の前に雨に濡れながら立ってる。
間夫と小屋主が組んで、はじめから大滝太夫を騙していたんですね。
で、逃げてくるわけです。
最後に夜泣き蕎麦屋を呼ぶ場面があります。
家の前の道に出て、もうずっと前から助松の女房だったように、
夜泣き蕎麦屋を呼ぶ大滝太夫の声を聞きながら、
くすぐったいような安心感が助松を包み込む。
なぜかこの場面、しみじみといいです。

「余寒の雪」

知佐は仙台藩旗本原田文七郎の娘。
女ながらに武芸に秀で、
奥向きの女中たちに武芸指南をする別式女を夢見ていた。
男髷に袴姿。物言いも男である。二十歳を迎えるというのに縁談もない。
知佐の行く末を案じた原田夫婦は親戚に相談し、ある計画を立てる。
仙台に初雪が降った頃、知佐は叔父夫婦とともに江戸に向かう。
投宿先は八丁堀北町奉行所同心鶴見俵四郎の家だった。
着いた早々、知佐は俵四郎の母春江にいきなり自分の祝言のことを聞かれる。
じつは知佐を俵四郎の後添いにと、一族で仕組んだ計画だったのだ。
怒り心頭の知佐だったが、叔父夫婦になだめられ、
とりあえず俵四郎の家にしばらくやっかいになることに。
俵四郎は子供がいた。
松之丞という五歳になる小生意気な男の子である。
さっそく松之丞が知佐をからかいはじめるが……

この小説、じつに清々しい読後感が残ります。
知佐の心境の変化が読みどころなんですが、
俵四郎との間というより、松之丞との交流が知佐を変化させていきます。
それにしても知佐と小生意気な松之丞のやりとりがいいですね。
宇江佐真理は子供を描くのが本当に上手です。
まずもって物言いが愛くるしい。
これだけでも作家としてはだいぶ得するんじゃないかと思います(笑)
「寒露梅」でも花魁付きの禿と呼ばれる少女達が登場します。
その禿たちのしぐさや物言いがとても印象的でした。
この小説、男やもめと小生意気なガキ、
そこに男勝りの行き後れの娘が登場する。
この構成だけでオチがだいたい想像つきます(笑)
収まるところへ収まる、
大団円を絵に描いたような物語ではありますが、
でもこれをマンネリと言うなかれ、
人情小説とは偉大なる予定調和です(笑)
最後の読後感までもがこの小説のオチだと思うほどに、
上手く書かれた小説です。

「梅匂う」で出てくる見世物小屋。
いろいろと哀しい話もあったようです。
江戸時代の見世物小屋の芸人は、芸を持つ人たちとは別に、
身体的な特徴を売りにする見世物がありました。
「親の因果が子に報い~」
いわゆる因果ものです(笑)
たとえば人並みはずれて毛深いので「熊女」とか。
まあ、暮らしのためには仕方が無いこととはいえ、
本人たちの気持ちはどうだったんでしょうね。
もっともばかばかしいのもあって、
有名なところでは「六尺の大いたち」
なにかといえば、六尺の板にべっとりと赤い絵具が塗って置いてある。
ただそれだけ(笑)
でもこれを洒落だとわかっていて、江戸の人たちは鷹揚に受け流す。
レベル高いですね(笑)

そのほかの収録作品

「紫陽花」
「あさきゆめみし」
「藤尾の局」
「出奔」
「蝦夷松前藩異聞」

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2008-11-27(Thu) 00:19| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

人情の花-山本一力「いっぽん桜」

「いっぽん桜」
山本一力「いっぽん桜」
(新潮文庫)


山本一力2003年の短編集。
「桜」「萩」「忍冬」「朝顔」
それぞれの花に託した人情話は温かく爽やかです。
表題作もいいけど、土佐藩での話が印象的。
その作品に使われる方言に今回は格別なものを感じました。
方言のひびきに滲み出るほのぼのとした温かさ。
これは山本一力がすごく書きたかったものじゃないかと、
そう思いました。

「いっぽん桜」

深川の口入屋井筒屋は江戸でも指折りの大店である。
そこの頭取番頭をつとめる長兵衛の願いは、
ひとり娘が嫁入るまで、
娘と思う存分に花見がしたいというものだった。
そのために近郷の村からわざわざ一本の桜を買い取り、
自分の家の庭に植え替える。
だがその桜は毎年咲くとは限らないといういわくつきの桜だった。
そんな長兵衛が、ある日井筒屋の主人重右衛門から料亭に誘われる。
そこで重右衛門が打ち明けた話は、長兵衛にとっては驚くべきものだった。
店を息子に譲って引退する。ついてはこの際、
店の切り盛りを思い切って若い者に任せたいので、
長兵衛にも自分と同時に勇退して欲しいという。
主人がそういう以上黙って従うしかない。
その日から長兵衛の失意の日々が始まる。

この短編はリストラの話なんですが、
ただのリストラとは違って、
時流に乗り遅れないために古い体質を一掃し、
会社が若返りを図る。現在でもよくある話です。
それでも本人にとってはリストラにかわりありません。
店の身代を大きくしてきたのは自分だという自負もある。
はじきだされる長兵衛としては到底納得できない話です。
そういう気持ちのまま、再就職するとどうなるか。
井筒屋と取引のあった小さな魚卸の店に勤め始める長兵衛。
未練を残しているものですから、
帰属意識はまだ井筒屋にあり、以前のやり方も押し付ける。
当然いろいろ軋轢が起こります。
こういう人、結局馴染めなくてまた辞めちゃうんですね。
普通だったら。
疎まれ、孤立したと思っていた長兵衛。
でも仲間たちの本当の気持ちを知る機会がやってきます。
長兵衛の家の庭に植え替えられた一本の桜があります。
果たしてその桜が家の庭に無事根付くかどうか、
その姿が長兵衛に重なります。
最後の長兵衛の後姿がいいですね。
人情の温かみが心に沁みる一編です。

「萩ゆれて」

兵庫は傷を癒すために、
土佐の浦戸湾沿いにある小さな村に湯治にきていた。
兵庫の父は病気の妻の薬代に困り、わずかな賄賂を受け取る。
そのために切腹させられることとなった。
兵庫はそのことを道場仲間に罵られ、
木刀試合を申し込んだが、逆に傷を負ってしまったのだ。
ある日兵庫は、蝮に噛まれた漁師の娘りくを助け、
りくの家族と親しく付き合うようになる。
りくの家族や村人と過ごすうちに、
やがて兵庫は武士を捨てて、漁師になろうと決心するが……

りくと結ばれた兵庫は結局魚屋をはじめます。
兵庫の母の志乃は病気で臥せっているのですが、
兵庫が武士の身分を棄て、
漁師の娘を嫁に貰ったことに憤り、
兵庫とりくに固く心を閉ざします。
土佐藩は他藩に較べ、とても身分制度が厳しかった土地です。
そういう土地で武士を捨てて、
魚屋になるというのはとんでもない話だったに違いありません。
武家の妻として生きてきた志乃にとっては、
許し難いことだっていうのは良く分かります。
でもその頑なな志乃の心もやがて氷解する日が来ます。
無心に尽くす嫁の優しさと健気さが、
志乃の心に届くその日。
このくだりはかなりジワッときます(笑)
ま、絵に描いたような人情ものといえばそうなんですけど(笑)
ところでこの小説で裏の主役は正調土佐弁ですね(笑)
山本一力が高知県出身だというのは有名な話。
この小説で駆使する正調土佐弁は見事です。
なんだか話しかける前からすでに心がニコニコしているような、
そんな優しさを感じます。
方言というのは、
あらかじめ人情を内包した言葉だというのが良く分かります。

山本一力の小説というのはあんまり悲劇は起こりません。
まあ人情小説だから、といってしまえばそれまでですが、
読むときの安心感という点ではやはり悲劇は起こらないほうがいい。
読後に温かい人のぬくもりを感じ、
捨てたもんじゃないんだ人生は、
さあ明日からまた元気にやっていこう。
そう感じさせるのがやっぱりこのジャンルの、大きな存在価値かもしれませんね。

そのほかの収録作品

「そこに、すいかずら」
「芒種のあさがお」

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2008-11-23(Sun) 02:12| 山本一力の世界| トラックバック 0| コメント 0

心の橋を渡る-藤沢周平「橋ものがたり」

「橋ものがたり」

藤沢周平「橋ものがたり」
(新潮文庫)


昭和55年に刊行された、橋をモチーフにした短編集です。
まるでモノクロームの映画でも観ているような感覚に捉われる、
静かな作劇空間。
江戸の市井で懸命に生きる人々の出会いと別れを、
さらっと切り取って哀感溢れる物語に仕上げる。
小説の職人藤沢周平の、その手腕を惜しみなく発揮した、
手練れというにふさわしい作品集です。

「約束」

住み込んでいたお店の年季奉公が明けたその日、
錺師(かざりし)の幸助は深川萬年橋へと向かっていた。
5年前に交わしたお蝶との約束を胸に。
5年前のある日、幸助の奉公先にお蝶が突然訪ねてきた。
お蝶は十三歳になる幸助の幼なじみだった。
いつもふたりで遊んでいた幼い頃の日々。
「大きくなったら幸ちゃんの嫁になる」
そう言っていた小さなお蝶の顔が幸助の胸に蘇る。
聞けば本所から深川へと宿替えをするので、幸助に別れの挨拶をしにきたというのだ。
お蝶の家は蝋燭屋だったが、店が潰れたのだと幸助は察した。
これから深川門前仲町の料理屋で女中として働くというお蝶を、
身体に気をつけろと言って、幸助は見送る。
ただそれだけのことを言うためにお蝶は遠い道のりをやってきた、
帰っていくお蝶の痩せた後姿に幸助は胸を衝かれ、後を追いかける。
そして5年経ったら年期が明けるから、
小名木川にかかる萬年橋で必ず会おうと幸助はお蝶に言う。
何度もうなずくお蝶の頬に涙が伝わった。
だがその日、萬年橋のたもとで待つ幸助の前に、
約束の刻限を過ぎてもお蝶は現れない。
その頃お蝶は……

お蝶は5年の間に父母の病気が重なり、
身体を売る酌取り女中に身を落としています。
素直には約束の場所には行けない。
幸助の方も親方の妾との出入りもあって、
内心お蝶に会わす顔が無いと思っている。
ふたりには空白の歳月があるわけですから、
どういうふうに身の上が変わっているか分からない。
幸助にはお蝶が約束なんかとうに忘れているのかも知れない、
と思う気持ちもある。
そういうふたりが、
あれこれお互いの身の上や自分の心を量りながら、
待つか、行くかで思案する。
約束の橋は同時にふたりにとって、
清新な5年前へと遡るために渡る心の橋なんですよね。
最後に幸助はお蝶の今の姿を知っても、
その心の橋を渡って、お蝶の許にやってきます。
この最後、なんか胸が詰まります(笑)

「殺すな」

腕のいい船頭の吉蔵は船宿の女将お峯と駆け落ちする。
隠れ住みながらの甘い生活が何年か続いたが、
最近お峯がふさぎ込みがちなのを吉蔵は心配していた。
お峯は吉蔵に言って、転々と引っ越しを繰り返していたが、
その引っ越しのたびに、お峯が元いた川向こうの船宿に、
だんだん近くなるのを吉蔵は訝しんでいた。
里心がつき、大川にかかる永代橋を渡って、
元の亭主のところへ戻ろうと考えているのでは無いかと考えた吉蔵は、
長屋の隣で筆作りの内職をしている浪人者の小谷善左エ門に、
お峯を手伝わす代わりに、
それとなく見張ってくれと頼んでいた。
そんなある日、船で送るように頼まれた吉蔵は客の顔を見てギョッとする。
客はお峯の元の亭主である船宿の主人、利兵衛だった。

転々と隠れ住みながら一緒に暮らす愛欲の日々、
その果てに吉蔵とお峯は気持ちのすれ違いを感じ始めます。
吉蔵はお峯の身体と甘い生活に激しく執着し、
お峯はお峯で、
このままうだつの上がらない川船頭の女として一生を終わるのか、
という不安がいつも頭をもたげる。
うまく行くわけがありませんね。
こういうことって現代でも割とありがちな話です。
いわゆるふたりは不義者ですから、当時は命がけの話です。
もっとも江戸には町人の不義密通は七両二分といって、
お金で解決する道もあったようですが、駆け落ちとなると話は別でしょう。
ふたりをつなぐのは未来でも希望でもなく愛欲です。
その一点から逃れられず、執着もしている。
でもその執着の行く末が酷いものであることを、
浪人小谷善左エ門の告白が一挙に照らし出します。
「いとしかったら、殺してはならん」
最後に善左エ門の悲しみが吉蔵に伝わったとき、
吉蔵の恋ともつかぬお峯への執着が終わる。
この話、なんだかさりげなくて上手いですね。

江戸の河川に架けられた大きな橋は、
すこぶる人が集まる場所だったようです。
それで待ち合わせの場所としてよく使われた。
もちろん木橋ですが、
当時の架橋技術があれば、いくつも架けられたにも関わらず、
幕府の意向であまり架けられなかった。
江戸が外から攻め込まれた場合、具合が悪かったんですね。
だから立派な橋というのは、そうあるわけではありませんでした。
だから江戸の人々にとって、
橋に対する思い入れもいっそう強かったんだと思います。
渡るか渡らないか、そして佇むか引き返すか、
彼岸へ渡る橋の姿は、
人々にとって何かの大きな節目のようなものではなかったかと、
そう思います。
出会いにしろ、別れにしろ、
橋が象徴するものは、人生そのもののような気がします。
夜の橋、朝焼けに照らされた橋、小糠雨に煙る橋。
そんな橋で起こった十の出来事。
この小説は玄人受けする大人の短編集といった色合いでしょうか。

そのほかの収録作品

「小ぬか雨」
「思い違い」
「赤い夕日」
「小さな橋で」
「氷雨降る」
「まぼろしの橋」
「吹く風は秋」
「川霧」

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2008-11-18(Tue) 23:56| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 3

過ぎ去った懐かしい時間-宇江佐真理「あやめ横丁の人々」

「あやめ横丁の人々」

宇江佐真理「あやめ横町の人々」
(講談社文庫)


宇江佐真理2003年の作品です。
旺盛に書き続ける女流作家、さてどこからいこうかと迷います。
しかし、ま、年代順にとかいっても、あまり長い歴史のある作家ではないと思うので、当たるを幸いに片っ端から、という芸の無い、いつもの手で(笑)

幕府書院番頭紀藤家の三男慎之介は、同じく小姓組頭の笠原家の娘、
七緒との婚儀が整い、入婿になって笠原家の跡継ぎになることが決まった。
ところがその祝言の日、突然花嫁の恋人が現れ、七緒を連れ去ってしまう。
後を追った慎之介は七緒の恋人の挑発に乗り、逆上のあまり斬ってしまった。
花嫁の七緒も男の後を追って自害してしまう。
この騒ぎで笠原家は閉門の身となり、
跡継ぎのいなくなった以上いずれは断絶の憂き目に遭う。
恨んだ笠原家は慎之介の命をつけ狙う。
当初、若党の吉野と共に日本橋に隠れ住んでいた慎之介だったが、
追っ手に踏み込まれ、
最後の潜伏先として決められていた本所のあやめ横丁にひとり逃げ込み、
その町にかくまわれることになる。
しかしそこは訳ありの人々が暮らす不思議な町だった。

このあやめ横丁という江戸市中に造られた箱庭のような不思議な町に暮らす人々と、旗本三千石のお坊ちゃんである慎之介の交流が小説の軸です。
あやめ横町はいわば猶予された人々が暮らす町。
住民たちがいったいなにを猶予され、なぜこの町に暮らすに至ったか、
その謎を解き明かしていくことと、
そしてあやめ横丁で子供たちに手習いを教えながら、
住民たちの抱える過去に真摯に向き合っていくことで、
世間知らずのお坊ちゃんから次第に成長していく慎之介の姿。
そこが読みどころのひとつです。
慎之介はあやめ横丁を縄張りとする目明かしの権蔵の家に居候するのですが、その家には伊呂波という17歳になるおきゃんな娘がいます。
この伊呂波と慎之介が恋に落ち、その行方がどうなるか、
それもまたこの小説の需要な柱です。
あやめ横丁はあの鬼平こと長谷川平蔵が、
幕府に献策して造ったという人足寄場に少し似ていますが、
こういう町は実際には無かったと思います。
でもこんな町を拵えるというアイデアは面白いですね。
湯屋や居酒屋、貸し絵双紙屋、茶葉屋、小間物屋などなど、
岡場所と水茶屋の他にはすべてが揃う町。
表店の後ろには長屋があり、そこでも人々が日々を営み、
その路地裏を行き交う物売りの声も江戸情緒たっぷりです。
この小説には江戸の町場の言葉がふんだんに使われています。
そういう江戸庶民の言葉と慎之介の使う武家言葉を対比させることで、
身分社会の落差を感じさせ、
地口なんかの町場の言葉をまるで理解できなかった慎之介が、
隠されたその意味を理解していく。
それが慎之介の成長をあらわす仕組みになっているというのも面白いです。

おそらく慎之介が人を斬ったことがきっかけなのと、
こういう町が実際はありえないこと、
そのあたりをどう捉えるかでこの小説を読む人の感想が違ってくると思うけど、
いやこの小説、最終章にほんとにジワッと来て、目頭が熱くなります(笑)
最終章「六段目」は、
慎之介があやめ横丁を去ってから10年の歳月が流れたある日、
あやめ横丁に大事件が起こり、慎之介が再度訪ねることになるのですが、
この10年の歳月が経った、というくだりが最後に置いてなければ、
はじめはお坊ちゃんだった主人公が、周囲の人々との関わりの中で、
だんだん大人になっていくただのビィルグンドゥスロマン、
成長小説で終わったでしょうね。
あやめ横丁には不幸な子供たちが何人もいます。
その子供たちのひとりを約束を守って、
幕府の要職へ登った慎之介が身内に加える。
読んでいて、子供たちの幸せを願うとこうして欲しいなと思うことが、
10年の歳月の中で実現されたと知らされる。
読者は収まるところへ収まったという安堵感を持ちます。
そういう予定調和のツボみたいなものをこの小説は押さえている気がします。
そして身分も何もない人と人とのふれあいの中で育まれた賑やかで、
すでに懐かしい時間。
それを共有した読者は、
10年が過ぎた最終章でその時間が過ぎ去ったことにとても哀切を感じます。
小説に流れる時間といっては身も蓋もありませんが、
泣かせる小説は、
その時間を読者に共有させることにとても優れているんだと思いますね。
そして時間もまた人情話の大事な要素なのかも知れません。
そういう意味ではとてもいい小説だと思います。

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2008-11-15(Sat) 16:15| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

青春股旅小説-山本一力「草笛の音次郎」

「草笛の音次郎」

山本一力「草笛の音次郎」
(文春文庫)
山本一力「草笛の音次郎」

山本一力初めての股旅ものです。
いったいどんな風になるのだろうと思いましたけれど、
やっぱり明るくて爽やか(笑)
しかし分かってはいてもこれがけっこう痛快で面白いんです。
なんだかんだと一気に読んでしまい、
読後、その爽やかさから勝手に青春股旅小説と名付けることに(笑)
一読すればその感じが掴めると思います。

江戸の今戸に居を構える貸元、恵比須一家の親分芳三郎は引退を考えていて、三年後に跡目をお前に譲りたいと代貸の源七に告げる。
後の代貸は誰がいいかと源七に聞くと、源七は音次郎がいいという。
音次郎とは、深川黒江町に母およしと暮らしながら、
通いのやくざというちょっと珍しい若い者だ。
優男すぎると芳三郎は少し不服のようだった。
ちょうど芳三郎の兄弟分で、下総佐原の貸元、
小野川の好之助から香取大社の祭りに来ないかという誘いがあったが、
芳三郎は体調思わしくなく、名代を立てることにする。
その名代に源七は迷わず音次郎を推挙した。
源七から仁義の特訓を受け、
母親のおよしに道中支度万端を整えてもらうと、
懐に百両という大金を携え、
かくして音次郎の下総佐原への初旅がはじまる。
だが初旅はまごつく事ばかり、
さんざんな目に遭いながら旅を続ける音次郎。
そしてある宿ではとうとう強盗に遭遇することになるが……

この小説、青春股旅小説と名付けましたが、
股旅小説というのは要するにロードムービーなんですよね。
音次郎が行く先々で遭遇する出来事や、いくたの困難を乗り越え、
一人前の博徒として成長していく、そういう物語です。
まあ、やくざが成長していくことが良いことか悪いことかは別にして(笑)
義理も人情も分かるいなせな江戸前の博徒として、
好漢音次郎の明るい成長物語といったところでしょうか。
面白いのはこの音次郎に対する周りの扱いです。
音次郎が名代として初旅をすることが決まると、
母親のおよしはいそいそと道中支度を取りそろえますが、
これが三度笠から道中合羽に小物まで、
すべて江戸のブランド品ばかり(笑)
代貸の源七は音次郎に仁義の特訓をし、
鳥追いの母娘を音次郎のひそかなお目付役として送り出す始末。
音次郎はいわば恵比寿一家の幹部候補生ですが、
それにしてもかなりな過保護ぶりです(笑)
行く先々でもそうです。武士であれ、町人であれ、やくざであれ、
誰もが音次郎に目をかけ世話を焼く。
音次郎もそれに応える。
でもこのよってたかって世話する、
というのが、なんだかじつにいい感じです。
現実社会にはなかなか無いことですからね。

股旅というのは旅から旅へと股にかけてという言葉で、
起源は雲助や雲水が流れ歩く様であって、渡世人とは関係がなかった。
それを「一本刀土俵入り」や「沓掛時次郎」を書いた長谷川伸が、
博徒の旅を股旅とし、そういう戯曲や小説を股旅もの、としたわけです。
昭和のはじめの頃です。
酌婦お蔦への恩返しに股旅姿で四股を踏む「一本刀土俵入り」の駒形茂兵衛。
一宿一飯の義理からやむなく斬った相手の女房子供を守って旅をする沓掛時次郎。
長谷川伸の書く股旅ものというのはアウトローの義理人情の世界です。
それが時代を経て、笹沢佐保の「木枯らし紋次郎」が一大ブームを巻き起こし、
このとき股旅のヒーロー像がちょっと変わりました。
「あっしには関わりござんせん」
ニヒルです、キーワードは。
テレビの殺陣も長脇差(長ドス)の刃こぼれを嫌う突きが主体で、
リアルを追求しました。
学生運動なんかも時代背景にありましたから、
こういうキャラが受けたんでしょうね。
破れ三度笠に煮染めたような道中合羽。
この「木枯らし紋次郎」で、
股旅というのはかなり薄汚れたヒーローというのが定着したと思います。
ちなみに「帰ってきた木枯らし紋次郎」はもっとすごいことになってます。
年を取った木枯らし紋次郎はさらに汚れ方も凄みを増し、
長い漂白の末、継ぎ当てだらけの道中合羽は言うに及ばず、
手甲脚絆はまるでぼろ雑巾だという話です(笑)
で、平成の「草笛音次郎」です。
過保護かつ影のないこの音次郎。
博徒とはいえもはやアウトローとは呼べませんね。
新品ばかりの道中支度に身を固め、
股旅に不可欠の長脇差も持ってません(笑)
月代の剃りも青々として、いかにもという爽やか博徒(笑)
かなりなグルメだし、わきまえていて、なにより快活です。
木枯らし紋次郎とは正反対の地平にいるヒーローです。
明るすぎるほどのこの股旅小説。
でもこれ、れっきとした青春ドラマ+義理人情の世界なんですよね。
基調はといえば結局は長谷川伸以来の義理人情の王道なんです。
外してません。けっして(笑)
まあ、はるか長谷川伸の世界からこういうところへ来たか、という感じ。
アクの抜けきった股旅ヒーローがかなり新しい。
はっきりいって股旅小説というのは、
昨今あんまりパッとしないジャンルではありますが、
ちょっとこれ、シリーズにしてもらいたいところです。
いやかなり本気で(笑)

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2008-11-12(Wed) 01:51| 山本一力の世界| トラックバック 1| コメント 1

人の人生を思って忍び泣く-乙川優三郎「喜知次」

「喜知次」
乙川優三郎「喜知次」
(講談社文庫)


乙川優三郎の初期の長編です。
題名からしてあまり食指が伸びなかった、というのが正直なところです。
どうも中身が想像できない感じでしたので。
本の題名というのは不思議なもので、
読者にとって激しくそそるものもあれば、
何となく近寄りがたいというのもあるわけで、
本の題名いかんで売り上げも違うでしょうし、
大げさに言えば本の題名というのは、
その一冊の本の命運を握るキャスティングボードです。
もちろんこれには個人差がありますが。
だからわかりやすく万人が読みたい、
そう思わせる題名というのは意外にむつかしいものだということになります。
でもまあこの「喜知次」
乙川優三郎だから外れはないだろうと、
気を取り直して読み始めたわけなんですが、
いや見事に泣かされました。最終章で(笑)
本の中に出てくる人の人生を思って忍び泣く、
というのは何年ぶりでしょうか。

小太郎は藩の祐筆物頭日野弥左衛門の長男。
あるとき6歳になる女の子、花哉が家に貰われてくる。
両親が亡くなったので父親が引き取ったのだ。
小太郎は黒目の大きなその女の子に喜知次というあだ名を付ける。
喜知次というのはキンキという魚の異名で、
目が大きく飛び出た魚である。
小太郎は喜知次と庭の菊を摘みながら、
愛らしい妹が出来たことに宿命的なものを感じ、
同時にくすぐったいような喜びを感じる。
時おりしも藩は2つの勢力に分かれ、暗闘を繰り返していたが、
そのあおりで、藩内に大規模な一揆が起こり、
藩の重職たちはその鎮圧に苦慮していた。
小太郎は城下の知明館に通い、
同塾の牛尾台助と鈴木猪平と身分を越えた友情で結ばれていた。
そのひとり、郡方である鈴木猪平の父親が、
一揆の鎮圧の際、無惨に殺されるという事件が起こる。
父親を殺され、少ない家禄まで半減された鈴木家の苦難が始まり、
小太郎と台助は猪平を励ましながら、
事件の真相を探っていく。

この小説の主人公小太郎は、「椿山」の主人公、才次郎を彷彿とさせます。
違うのは、幼い頃に歪みきった武家社会の身分制度の過酷さを、
嫌というほどたたき込まれ、出世欲を燃やして、
どんな手段を使ってでも這い上がろうとした才次郎と違い、
小太郎は藩政の要は農にあると考え、
祐筆物頭というお城勤めの家柄から、
郡方という農民とじかに接する現場の役人へと降りていく。
結果的に藩の中枢に登り、改革をしたいと考えているわけですが、
そのベクトルは反対です。
そういう志を持って、成長していく小太郎、
次男ゆえに商人になろうとする台助、
そして自分の父親を殺した犯人を見つけ、
なんとか仇討ちをしたいと、貧苦の生活に耐える猪平。
この3人の友情の行く末がこの小説のひとつの柱となっています。
似たような設定に藤沢周平の「蝉しぐれ」がありますが、
けっしてトレースしたのではない、乙川優三郎の描く清冽な友情があります。
物語はこの3人を中心に進んでいきます。
しかし誰がいったい猪平の父親を殺したのか、
藩内の抗争と相まって、物語の謎は深まっていきます。
それと同時に、成長する義妹の存在が小太郎のなかで日増しに大きくなり、
心の支えとなっていく。
これがこの小説「喜知次」の大きな伏線です。
喜知次とあだ名をつけられたが、他のだれにも喜知次と呼ばせない。
兄だけがそう呼ぶのを許す花哉。
この喜知次、まことに可憐です。
幼い頃、二人で庭の菊を摘む場面がでてきます。
その透明感溢れる描写に我知らず幼い喜知次に思い入れをしてしまいます。
物語の最終章になって大きなどんでん返しがあるわけなんですが、
喜知次が可憐であればあるほど、
そして芯の強さが分かればわかるほど、
皮肉な運命に黙ってつき従った喜知次の生涯を思いやって、
この最終章でもう忍び泣くほかありません(笑)

この小説、乙川優三郎の傑作だと思います。
くれぐれも題名の喰わず嫌いを恥じた次第です。

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2008-11-09(Sun) 18:37| 乙川優三郎の世界| トラックバック 0| コメント 1

どん底の花-乙川優三郎「椿山」

「椿山」

乙川優三郎「椿山」
(文春文庫)


3編の短編と表題作の中編の4作を収録したこの作品集、
平成10年刊行ですから、乙川優三郎のものとしては初期のもの。
しかし精緻な筆に乗せた乙川ワールドが存分に展開され、
読むものを虜にします。
この中から後年の作品に繋がったものがあるような感じです。
さてこの作品集。
女性を主人公にした短編3題が印象的です。
これが「ほどよく暗い短編」の白眉といってもいいです。
ちと大げさか(笑)

「ゆすらうめ」

16のとき越後から身売りされてきたおたかは、
その器量で売れっ子の娼妓となったが、
6年が過ぎ年期明けが目前に迫っていた。
娼楼の女主人の弟である番頭の孝助は、
おたかが堅気になったときの仕事まで世話する。
孝助は色町での暮らしから抜け出したいと考えていたが、
自分ではどうすることもできず、
おたかがこの先無事に堅気になれるかどうか、
それに己れの行く末を賭けているところがあった。
堅気となったおたかと、この町を出る。
そんな夢も孝助にあったかもしれない。
やがておたかは年期が明け、孝助の世話した茶店で働き始める。
だがすぐに越後から兄がやってきて、おたかに金の無心をする。

結局おたかは実家からの金の無心に応じ、
わずか3日の堅気暮らしの後、海老屋に舞い戻ります。
孝助が金を用立てるといっても聞かず、
家族のことだからと、自分の意思で再び娼妓になります。
海老屋に戻ったその日、そこには紛れも無く臈たけた娼妓のおたかがいます。
自分を身売りした女衒の錦蔵を艶然と誘い、そして孝助に微笑みかける。
菩薩です(笑)
孝助はその姿に後押しされたような気分になるというのですが、
それもどうだかわかりません。
自分で道をつけることもできない。どうも男はだらしない(笑)
ゆすらうめはサクランボに似た赤い小さな実をつける果樹です。
梅桃、山桜桃梅とも書きます。
小さな赤い実が少しの風にも揺れる様子からこの名前がついたのかも知れませんね。
姿ははかなげですが、ゆすらうめの性質は強健で暑さ寒さに強く、虫にも強い。
おたかの姿なんでしょう。きっと。

「白い月」

博打の魔にとり憑かれた亭主の借金の尻拭いで、雨中を金策に走るおとよ。
かざり職人の友蔵はおとよの死んだ母の面倒を死ぬまでみたが、
おとよの母の薬代に困り、博打に手を出してから、
病み付きになり転落の一途を辿る。
おとよは母親の残した、友蔵はいい人だから大事にしなければならない。
その言葉を守って別れないできたが、
博打の借金がもとで、暮らしは追い詰められ、すでに限界まで来ていた。
おとよは働き、自活しようとする。そして友蔵と別れようと決める。
そんなある日、所在が分からなくなっていた友蔵から言付けが届く。
のっぴきならなくなって江戸を離れるので、
金を都合してくれというものだった。
おとよは放っておこうと思った。
だがおとよは待ち合わせの場所に現れる。
自分の髪を売った金を持って。

友蔵は二股道を右に行くのか左に行くのか、
風に押されて決めるようなところがある男。
そんな友蔵に愛想を尽かしながら、おとよは別れることができない。
一緒になった当初の幸せだった頃、
その頃の友蔵の良さが忘れることが出来ないおとよ。
友蔵の善の部分だけに引きずられていることに気づいていない。
最後に一年待ってくれ、
必ず帰ってくるからと友蔵は言う。
そのまるで当てのない言葉に、
おとよは一縷の希望を持ったように微笑む。
また一からやり直せるかも知れないと。
その当時女が髪を切ったらもう外へは出られない、
働くことも出来ないわけです。
なんなんでしょうね、この尽くしようは(笑)

「花の顔(かんばせ)」

わずか三十石の下級武士の家に嫁ぎ、
姑のたきにいじめ抜かれ、気の休まるときのなかったさと。
舅の死をきっかけに姑のたきが惚けはじめる。
夫と長男は江戸にいて留守で、
徘徊に排泄物垂れ流しと、刻々と病状が進む姑とふたりきりの、
凄まじい暮らしが繰り返される。
近所づきあいも断たれ、
助けてもらうことも相談することも出来ず、
さとは疲れ果て、
もう姑を殺して自分も死のうと思い詰める。
雪の降る晩。
たきを殺そうと寝所に行ったさとは、
たきが寝所の縁側に座り、呆然と雪を見つめている姿を見つける。

今でいう介護の問題がこの短篇では書かれています。
姑のたきもまた、嫁いでから姑にいじめ抜かれ、
気の休まるときがなかった。
雪見など落ち着いてできる状態ではなかったというわけですね。
だから巡っているわけです。
そのことにさとは気づいて、ふっと心を緩ませる。
介護の問題は永遠のテーマですが、
当時の武家の社会に持ってくると、
また違った、じつに厳しい面が現れてきます。

この3つの小説。
娼妓、職人の女房、下級武士の妻と、
住む世界も置かれた位相も違いますが、
小説の最後にたたずむ3人の女の姿は、
不幸のあとさき無く、救いも絶望もお構いなしに、
ただそのとき、どん底に咲く花のように微笑んで、
ただただ優しい。そう思います。
乙川ワールドですね。これが。

最後の表題作「椿山」は不条理な身分社会から這い上がろうとする若い武士を描いた好編ですが、
いかんせん結末が性急すぎて腑に落ちず。
強烈な残り香を放つ前述の女3題、
そのどん底の花の前に、
あえなく霞んでしまいました(笑)

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2008-11-08(Sat) 02:44| 乙川優三郎の世界| トラックバック 0| コメント 0

侍暮らしというイメージ-藤沢周平「秘太刀馬の骨」

「秘太刀馬の骨」

藤沢周平「秘太刀馬の骨」
(文春文庫)


藤沢周平の隠れた傑作といわれている長編小説です。
推理仕立ての剣客小説といった体裁で、
始まりから終盤まで読む者をぐいぐい引き込んでいく、
かなり魅力的で面白い小説なのですが、
息子を亡くし、今でいう鬱病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)に罹った妻を、
主人公がどう介抱し立ち直らせていくか、そのあたりの葛藤も作品に深みと幅を与え、この小説をさらに読み応え十分なものにしています。
読んでいると家庭のなかでの夫婦のやりとりなんて案外こういうものだろうなと、つくづく身につまされたりする描写に出くわします。
やっぱり夫婦はいたわり合わなければいけません(笑)

近習頭取の浅沼半十郎はある日、派閥の領袖、
筆頭家老の小出帯刀から呼ばれ、ひとつの仕事を命じられる。
それは、6年前に起こった、時の筆頭家老望月四郎右衛門暗殺事件で遣われたとおぼしき秘太刀馬の骨の探索に手を貸せというものだった。
秘太刀馬の骨は城下の不伝流矢野道場に伝わるとされる伝説の秘太刀で、
狂奔する暴れ馬の首の骨を一刀のもとに両断したと伝わる謎の秘剣。
誰も正体を知らず、またその存在も一部では疑問視されている。
そして半十郎は探索を任された小出帯刀の甥、
神道無念流の若い剣士、石橋銀次郎を紹介される。
紹介された石橋銀次郎は明るい美青年。
だがどことなく傲岸なところのある男だった。
半十郎は息子を亡くしたことで気鬱の病に罹った妻杉江を気遣いながら、
気の進まぬ探索に乗り出すが……

秘太刀馬の骨は不伝流矢野道場の先々代が工夫し編み出した剣法で、
以降代々伝わるものとされています。
だがいったい誰がその秘太刀を相伝したのか、皆目分からないということになってます。
実際に挑み我が目で確かめないと、誰がその秘太刀を持ってるのか分からない。
そういうことで現在の道場主矢野藤蔵をはじめ、
五人の高弟に石橋銀次郎が次々に挑んでいくといった、
謎解きのスタイルで小説は進行していきます。
不伝流では門外試合は掟で固く禁じられているし、
道場主も秘太刀が外に洩れることを憚って、
石橋銀次郎とは立ち会うなと五人の高弟に命じます。
誰も立ち会おうとはしないので、銀次郎はまず五人の高弟の身辺を探り、
弱みを握ってから立ち会いを強要していきます。
この過程で五人の高弟たちのエピソード、
銀次郎が探り出してくるそれぞれの秘密が小説の柱となり、
それに藩の政争と主人公と妻の関係が絡んできて、
たいへん面白い小説に仕上がっているというわけです。
読んでいてまず良いのは、なんというかリアル感ですね。
小説の舞台は五間川が出てきますからやはり海坂藩だろうと思います。
そこでの藩士の暮らしぶりとか、同僚であったり上役だったりの、
人と人の距離感、そして屋敷とか町の実在感。
これがなんとも云えず良いのです。
当然その当時の武家の暮らしや町並み、人との関係など誰も見聞きしたことはないので、
リアルというのはおかしいのかもしれませんが、
それをリアルと言い切れるほど、
読んでいてたしかな実像として立ち上がってくる、
その世界に自分が顔を覗かせている、そんな感じがします。
会話の中に出てくる
「そうでがんす」
「どうしたわけでがんしょ」
こういう訛りも一役買っている気がします。
剣客小説ですから、 剣や木刀での立ち会いのシーンもたくさん出てきます。
しかし超人的な、ワイアーアクションみたいな立ち回りは出てきません。
あくまでも地に足をつけた実際的な動き。
そのせいで、立ち会いのシーンはかなり迫力あります。
でも面白いことに主人公浅沼半十郎は一回も刀を抜かない。
こういう小説も珍しいですね(笑)
藤沢周平が立ち会いのシーンを書いているが、
一合、二合と刀を打ち合わす、
剣というのは躱すが基本で、お互いが刀を打ち合わすのは不自然。
ゆえにあういうのはあり得ない。
そう誰かが書いているのをどこかで読んだことがあります。
でも本当でしょうか。
誰もその時代に生きて、立ち会いを目撃したわけでは無いのだし、
よしんばそうだとしても、それではまるで小説にはなりませんね。
剣客同士が立ち会いをしたとします。
お互いが睨みあったまま、躱せるか、躱せないかを推し量り、
数刻経った後、お互いがくるりと背を向けてすたすたとその場を去る。
これではまるで禅問答です(笑)
そういう時代小説は読みたくありません(笑)
あたりかまわず抜いてのチャンバラ時代小説も興ざめですが、
この小説そのあたりはきちんとわきまえていて、少しも軽々しくない。
そこがなんともいえずいいですね。
藤沢周平は時代小説がエンターテイメントだということを知悉しています。
そこから小説を掘り下げていってる気がします。
この小説、とにかく魅力的です。

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2008-11-03(Mon) 22:28| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 2

酸いも甘いもやがて吉原の味-宇江佐真理「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」

「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」

宇江佐真理「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」
(光文社時代小説文庫)


お針子となって、江戸の傾城町吉原に住み始めたおとせの目を通して、
吉原の華麗な春秋や遊女たちの哀切な物語が語られる連作短編集です。
さて多くの時代小説を手に取りながらも、
じつは今回はじめて宇江佐真理を読みました(笑)
最近は女性時代小説家も多く、
いいものをたくさん書いているという評判にもかかわらず、
女性時代小説家にはまるで手を付けていなかったんです。
好き嫌いという問題ではありませんが、
なんとなく腰が引けて先送りにしていたというのが本音です。
なぜ腰が引けるのかは自分でもよく分かりませんが(笑)
で、一読……。
良かったです。
なぜもっと早く読まなかったかと後悔しきり(笑)

岡っ引きだった亭主の勝蔵に先立たれ、後家となったおとせ。
呉服屋の手代となっている長男が嫁をもらうことになり、
狭い裏店で新婚夫婦とは暮らせないからと、
江戸町二丁目の新吉原大見世、海老屋のお針子として住み込みで働くことになる。
吉原名物、仲ノ町の桜見物も済んだ五月のある日、
九郎助稲荷に詣でたおとせは、
そこで一心にお百度詣りをする若い遊女を見かける。
そしてお詣り最中のおとせにひとりの男が声をかけた。
海老屋と懇意にしている引手茶屋の主、花月亭凧助である。
凧助はあの若い遊女は雛菊という振袖新造で、
雛菊には間夫がいて、いまにも駆け落ちするのではないかと心配しているという。
遊女が吉原大門を出るのは容易ではないし、
捕まれば、最下層の河岸女郎に落とされる。
雛菊の父親とは幼なじみで、くれぐれもと頼まれていると凧助は言った。
ついてはおとせにそれとなく雛菊に無茶な真似をしないよう、
諭してくれないかと頼むのだった。
その頼みをおとせはしぶしぶながら引き受けるが……

この小説、まず江戸の一大傾城街であった吉原が題材でありながら、
お針子というひとりの裏方の目を通して物語が語られる。
これがまず新鮮でした。
吉原は江戸の不夜城。そこは流行の先端であり、
花魁たちは一種のアイドルでした。
今でいえば芸能界みたいなものでしょうね、
三月の仲ノ町の夜桜などは一般の人も見物したといいますから、
吉原というのは江戸の人々にとって想像以上に華やかな町だったと思います。
そうはいっても女たちが身体を売って暮らしている苦界にかわりありません。
裏に回ればとても平静ではいられないような話もごろごろしてます。
そういう世界に身を置いたおとせ。
元は岡っ引きの女房ですから、
どうしても納得がいかない感じにつきまとわれ、いろいろ悩んだりします。
でもそれをサポートするふたりの男の存在。
そしてそのふたりの男と、おとせのやりとりがすごくいいです。
引手茶屋の主でありながら太鼓持ちでもある凧助、
そして海老屋の伎夫である筆吉。
筆吉は海老屋の看板である喜蝶の幼なじみであり恋人でもあります。
でも遊女と伎夫の恋は固いご法度。
筆吉と喜蝶の秘めた恋の行方がこの小説の大きな縦糸になっています。
女たちの身体を売り買いする廓の世界。
そんな世界で生きる男たちは、
おそらく廓の掟に沿うことで非情にならざるを得ず、
内心を押し殺した独特の人格が出来上がってくるんだろうと思います。
そういう男たちであるはずの凧助や筆吉が見せる男振りや優しさは、
物語に奥行きを与えつつ、ともすればただの暗い廓話の類から、
この小説を救う大きな役割を担っている感じがしますね。

そしてそういう男たちと廓の商品である遊女。
彼女たちもまたひとりひとり悲哀を抱え、
おとせにさまざまに関わってくる。
花魁たちが使った独特の廓言葉があります。里なまりともいわれています。
「そうでありんす」
「お入りなんし」
「わっちにはようわかりいせん」
もっと多様にありますが、
なぜそういう言葉を花魁たちが使ったかといえば、
いろんな土地から集まる女たちのお国言葉を隠すためであったことと、
遊客を日常ならざる廓という別世界へ誘うためだったといわれています。
しかし海老屋の花魁喜蝶や薄絹、
最下層の河岸女郎に落とされた元花魁の浮舟の使う廓言葉は、
どんなときも常に自分の本心を包み隠すように、妙にもの悲しい響きを持ち、
遊女の悲哀を余計に感じさせます。

おとせはそんな遊女や男たちのなかで、
いろいろな出来事に関わっていくのですが、
思うに、廓にはあるはずのないおとせという母性を、
吉原という傾城の町に置いたことが、この小説の良さじゃないかなと思います。
廓の内で禿(かぶろ)同士がお手玉して遊んでいる。そういう描写があります。
禿(かぶろ)というのはだいたい7、8歳の女児で幼いときに廓に売られてきて、
花魁の小間使いをする。幼い頃から遊女になることが運命づけられている。
そういう子供たちです。
その子供たちに向ける眼差しが、とても母性というものを感じさせます。
疳の虫を起こし、消し炭を飲み込んだ禿のひとりをおとせが抱いてあやし、
吐かせる場面なんかも、そうですね。
でもこれはほんとう女性作家ならではのものです。
男じゃ書けない(笑)

いやこの小説、なかなか良かったです。
腰が引けたのも治ったみたいなので、
つづけて宇江佐真理、読みます(笑)

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2008-11-01(Sat) 20:35| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

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