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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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望郷と人情-宇江佐真理「憂き世店-松前藩士物語」

「憂き世店-松前藩士物語」

宇江佐真理「憂き世店-松前藩士物語」
(朝日文庫)


2007年に出版された宇江佐真理の長編小説。
藩の移封でリストラされた夫婦の十五年にわたる江戸の長屋暮らしを、
周囲の人々との悲喜交々の交遊のなかに描いた作品です。
曇天の雲間から時折差し込む陽光のように、
江戸の町並みに差し掛かる、はるか北の松前の風景。
望郷の思いが暗路の灯りのように、過ぎ行く歳月を鈍く照らし出し、
その歳月もまた忘れられない人情に彩られています。
望郷と人情が歳月のなかに切々と交錯し、
小説全体がなにか明るい哀しみのようなものに満ちている。
そんな感じです。
それがこの小説を普通の長屋人情ものから、
一味違ったものにしているのかも知れません。
表題の憂き世とはもともと「辛いことの多い世の中」といった言葉ですが、
転じて「はかなき世の中」になり、
最後には「はかなければいっそ浮かれて暮らそう」という浮世になります。

文化四年。
藩主松前道広が長男章広に家督を譲ったにも関わらず、
いまだに藩政を牛耳っているとの咎で、
蝦夷松前藩は幕府より陸奥国の梁川へ移封を命じられる。
石高も九千石に削られ、大勢の家臣の召し放ちを余儀なくされた。
江戸詰であった鷹部屋席の相良総八郎もその一人だった。
総八郎は召し放ち後、郷里とも音信普通となる。
妻のなみは梁川に移った実家にいったん戻されたものの、
執拗な兄嫁のいびりに耐えられなくなり、
総八郎に会いたい一心で江戸に出る。
何の当てもなかったなみは、人通りが多いとされる浅草寺雷門の前に立ち続け、七日目、奇跡的に総八郎と再会する。
浪人となった総八郎は神田三河町の長屋、徳兵衛店に住み、
内職でやっと生計を立てていた。
徳兵衛店に連れてこられたなみと、
松前藩への帰参を願う総八郎の苦闘の日々が始まる。

この蝦夷松前藩の移封というのは、
実際に起こった幕末に近いころのお話です。
背景にはロシアの脅威がありました。
この頃北海道にはたびたびロシアの船が訪れ
(大黒屋光太夫がロシアから帰還したのもこの頃)
幕府は松前藩では対応が頼りないということで、
松前藩を幕府直轄にし、北方防衛に力を入れたい。
藩主への難癖はそのためだろうと思われます。
十五年後に元の地へ帰封となりましたが、こういうのはかなり珍しいケース。
移封時は相当数の家臣召し放ちはあったに違いなく、
リストラ家臣たちのその後の人生は、いかばかりであったかと思います。
物語はなみを中心に、
夫の総八郎と徳兵衛店を仕切る口が悪いが世話好きのお米、
なぜか長屋内で嫌われているおもん、
長屋のおかみさんたちとその亭主連中。
近所の小間物屋の息子のとん七や、皆が集まる居酒屋の親爺。
そして同じように召し放ちになった総八郎の仲間たち。
こういった人たちの泣き笑いの十五年の歳月が綴られていきます。
なかでもお米ととん七は夫婦の人生になくてはならない人となります。
お米は総八郎となみ夫婦に出来た女の子、友江を孫のように可愛がり、
友江もまたお米おばあちゃんといって祖母同然になつく。
友江は成長するにしたがって、長屋全体をひとつの家のように感じ、
どこの家にも出入り自由な子供として可愛がられる。
こういうこと、昔は普通にありました(笑)
それで共同体というものを学び、自分のポジションも学んだ。
ある意味日本というのはとてもいい風土だったんですが、
残念ながらそういう光景はもう何処にも見当りません。
登場人物の中で特筆すべきはとん七です。
とん七はユーモラスだけど、少年のようにピュアな心の持ち主です。
もとからすこし知的障害者気味でもある。
それが酒の飲み過ぎで中風になり、手足に障害が残っている。
ろれつもうまく回らない。それでも懲りずに酒好きは直らない。
周囲もしょうがないな、と半ば諦め顔です(笑)
35歳になっても未だ独身で、姉夫婦の厄介になっているとん七。
でもお米は息子のように接し、長屋の人間も暖かく見守っています。
夫婦に出来た友江を可愛がり、子守はもちろんのこと、
友江のためだったらもうなんでもやる(笑)
その健気で無私の心根は、
最後にある事件で友江を守って命を落とすことにつながりますが、
とん七というこの人物像、読むものの心に鮮明に焼きつきます。
いや近頃読んだ小説のなかでは忘れがたい出色の人物でしたね(笑)
切なくも日々を生き抜き、貧苦のなかで生まれた子供もやがて成長する。
そして一家を見守る長屋の住人たちとの哀歓の日々のなかで、
藩の帰封を待ちわび、そして諦めかけ、それでもまた望みをつなぐ。
小説は彼らに流れる歳月を、その後とか、十年後とかやらず、
時間軸に沿って丹念に描き出します。
小説の中で歳月が少しずつ流れていく感覚、それがすごくいいのです。
最後に帰参が叶い、故郷に戻ることになった一家。
成長した友江に故郷の野山を指差しながら、
その名前をひとつひとつ教えていくなみを想像します。
一家の歳月を追ってきた読者は、あれからここまで歳月が流れたという感慨を、なみと共有するような気持ちになると思います。
ちょっと沁みた、いい長編小説でした。

余談ですがとん七は映画「たそがれ清兵衛」で下男の役を演じた怪優、
神戸浩をかなり彷彿とさせます。
なぜか(笑)

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2008-12-27(Sat) 02:08| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

介護侍の愛-藤沢周平「たそがれ清兵衛」

「たそがれ清兵衛」

藤沢周平「たそがれ清兵衛」
(新潮文庫)


たそがれ清兵衛という名前は時代小説のファンならずともよく知られています。
歴史上の人物それ以外の侍で、
これほど広く名前が知られている人は他には見当たりませんね(笑)。
これはまあ山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」のおかげでしょう。
映画「たそがれ清兵衛」はこの作品集に収録されている「たそがれ清兵衛」「祝い人助八」そして「竹光始末」という短篇、この3作品がベースになっています。
最初にこの映画を観たときはちょっと驚きました。
舞台となっている庄内地方の風景や言葉、着物や髷、
そして登場人物の物腰まで、
そのすべてのたたずまいに深い陰翳がある。
なによりも想像できうる限りの時代の雰囲気。
それが良く出ていました。
それは時代考証の恐るべき確かさ、
おそらくこれに支えられてのことだと思います。
藤沢周平と山田洋次。
映画「たそがれ清兵衛」はこのふたりが出会ったことの幸福を感じた映画でした。
山田洋次監督の時代劇3部作の中では、
個人的には「たそがれ清兵衛」が一番好きです。
この作品集は昭和58年から昭和63年まで、
小説新潮に掲載された8つの短篇が収められています。
少し秘剣シリーズと共通するところもありますが、
不名誉な綽名や特異な風貌で侮られている侍たちの、
ここ一番にふるう一刃、そして愛。
秘剣シリーズとはまた違った味わいのある作品群です。

「たそがれ清兵衛」

勘定組五十石の平侍、井口清兵衛は、
下城の太鼓が鳴るとすぐさま帰り支度をはじめ、
いつもそそくさと帰ってしまう。
同僚たちとの付き合いもせず、
たそがれ時になると早々と家路につく清兵衛を、
家中の者は「たそがれ清兵衛」と綽名していた。
清兵衛が下城の太鼓と共に早々と帰宅するのには理由があった。
妻の奈美が労咳を病み、長い間床に臥せっていたからだった。
清兵衛は道々に夕餉の買い物を済ませて帰宅すると、
臥せっている妻の奈美を抱え、厠に連れて行く。
奈美は清兵衛が帰宅するまで厠を我慢して待っているのだ。
それが済むと家の掃除や夕餉づくりに立ち働く。
夕食を終えると奈美をもう一度厠に連れて行き、
それから内職に励むのだった。
清兵衛は奈美を湯治に連れて行きたいと考えていた。
それには今少し金が足りない。
それを思って清兵衛は夜が更けるまで内職に精を出す。
そんな清兵衛がある日家老の杉山頼母に呼ばれる。
用件は今度の重職会議のあと、
専横が目に余る筆頭家老堀将監の上意討ちを命じるというものだった。
清兵衛は無形流の達人でもあった。
だが清兵衛は重職会議のある時刻は妻を厠に連れて行かなければなりませんと言って、その命をいったん断るのだが……

清兵衛は「たそがれ清兵衛」などと侮られながら、
いわば立派な介護侍です。
この小説の面白さというのは藩の大事である上意討ちと、
妻を厠に連れて行くという介護侍の価値観が拮抗するところにあります。
要するに死を賭ける上意討ちと厠(笑)
清兵衛は当然妻を厠に連れて行く方を取ります。
奈美は清兵衛が帰るまで厠を我慢して待っているわけです。
清兵衛はそのことの切なさをよく理解しているし、
本当はずっとそばにいてやりたいとも思っているでしょう。
奈美は両親に死なれて五歳のときに清兵衛の家にやってきて、
妹同様に育っています。
紆余曲折あって清兵衛の妻となった。
肉親でありながら妻であるという奈美に対して、
清兵衛は二重の深い愛情を抱いている。
本当にかけがえのない存在なんですね。
家老杉山は上意討ちは奈美の厠を済ませてからでいいし、
成功の暁には奈美の病に対しても援助すると申し出て、
結局清兵衛はその条件を受け入れて上意討ちに臨みます。
全部妻の奈美のためです。
介護侍の価値観が上回る(笑)
最後湯治に行った奈美を清兵衛が訪ねていきます。
清兵衛がその村はずれにさしかかると、
村の入り口の一本の松の木の下にずっと立っている女がいる。
奈美です。
清兵衛が来るのをずっと待ってたんです。
なんという夫婦愛。涙が出ます(笑)

「祝い人助八」

御蔵役伊部助八は家中の者から「ほいと助八」だの
「ほいとの伊部」だとか陰口を叩かれている。
ほいととは物乞いのことである。
実際助八はかなりうす汚れている。
衣服は垢じみ、身体からは異臭が漂ってくる。
それもこれも原因は助八が妻を亡くしたためだった。
家中の者の中にはいつも薄汚れている助八に同情するものもいた。
だが事の真相はそうではなかった。
亡くなった妻の宇根は恐るべき悍婦だった。
宇根は100石という家柄の実家をいつも鼻にかけ、
とにかく口やかましく、
助八のやる事なす事そのすべてに宇根の叱責が絶えることは無かった。
その宇根が亡くなったことで、
助八は思いもかけない開放感を味わっていたのだ。
宇根から叱責を受けることも無いので、
助八は気随気ままに、
放埒でだらしの無い生活を楽しんでいたのだ。
そんな助八にある日幼なじみの倫之丞の妹、
波津が訪ねてくる。
しばらく見なかった波津は臈たけた美しい人になっていた。
波津は御番頭の甲田家に嫁入ったが、
夫の豊太郎が乱暴者で実家に帰ってきていた。
波津を家まで送った助八は、居合わせていた甲太郎が、
倫之丞に果たし合いを申し込むのを聞き、
代わりに受けることになるが……

この「祝い人助八」は映画「たそがれ清兵衛」の主筋となっているので、
物語はいまさらですが、ざっと書きます(笑)
助八は香取流の跡目です。
でもだれも剣や木刀を握っている助八を見たことがない。
こ汚いですし、誰もがまさかと思ってる(笑)
でも波津をめぐっての甲太郎との果たし合いで、
その剣がスゴイという評判が立ち、
清兵衛と同じでまた上意討ちにかり出される(笑)
それもその上意討ちの命を断れば、
甲太郎との果たし合いを私闘と見なし、
処罰すると半分脅されながら(笑)
死地に赴く助八を身繕いをして送り出す波津。
その波津に助八は結婚を申し込むのですが、
すでに波津は縁組が決まっていた。
諦めて上意討ちに向かう助八。
ともすれば挫けそうになる心を励まして。
何時間にも及ぶ死闘を制して、
助八がぼろぼろになって帰ってくる。
誰も居ない家が待っているだけかと思いきや、
家の前の暗がりから、
黒い人影が下駄を鳴らして駆け寄ってくる。
波津でした。
命がけで出かける男と思いがけなく待っている女。
使い古されたような場面ですが、
なぜか藤沢周平の小説に限っては、
妙に不変の切なさを感じます。

この短編集の主人公たちは、
その外見や行動から不名誉な綽名を付けられています。
でもそんな不名誉な綽名からは想像もつかない剣技の冴えを見せ、
死地を乗り切っていく。
同じような構成を持つものに秘剣シリーズがありますが、
こちらは綽名の由来からおこるなんともいえないユーモア、
そして綽名によって貶められている侍たちが見せる剣の力量
この落差がなんともいえませんね。
書きませんでしたが、
初老の星「ど忘れ万六」なんかもかなりいい味出してます(笑)
短篇なのに主人公たちの存在感や彫りの深さが際だち、
何度読んでも美味しい短編集です。

そのほかの収録作品

「うらなり与右衛門」
「ごますり甚内」
「ど忘れ万六」
「だんまり弥助」
「かが泣き半平」
「日和見与次郎」

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2008-12-22(Mon) 19:59| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 2

江戸の窓際族-「物書同心居眠り紋蔵」

「物書同心居眠り紋蔵」


(講談社)


佐藤雅美の看板シリーズの第1集「物書同心居眠り紋蔵」です。
佐藤雅美を取り上げるにあたって、さてなにから始めるかと迷ったのですか、
やはりこのシリーズを中心にやっていくのが良いかと。
初めてこの居眠り紋蔵が登場したのは今から14年ほど前。
今年最新刊の「一心斎不覚の筆禍 物書同心居眠り紋蔵」が9冊目で、
息の長い人気シリーズになりました。
NHKの金曜時代劇でもこの居眠り紋蔵がドラマ化され、
そちらのほうも人気あるみたいです。
短篇連作の形でとっつきやすいのと、
なんせところ構わず眠ってしまう眠り病という奇病を持つ、
よれよれの中年物書同心、藤木紋蔵というキャラクターが秀逸(笑)
貧乏人の子だくさん。窓際同心で出世の見込みもとんとナシ(笑)
ナイナイづくしの紋蔵ですが、じつは気骨に溢れ、
判例を諳んじるほどの記憶力、そして推理力もバツグン。
剣術の腕前もなかなかのものらしい。
飄々とした紋蔵と周りの登場人物たちの会話も楽しく、
これはやはり人気シリーズになる要素をたくさん持ってますね。

「お奉行さま」

お光という十歳になる少女が大金の入っている紙入れを拾い、
正直に奉行所に届け出た。
三日晒しの立て札をしたが、落とし主は現れなかった。
その後やっと落とし主が現れるが、
落とし主の申し立てる金額と奉行書で保管している紙入れの金額とが合わない。
不審に思った紋蔵は独自に調査を始めるが……

居眠り紋蔵の記念すべき第一話です。
この話が後の居眠り紋蔵シリーズのスタンスを造り上げている感じがします。
この話、落とした金が小悪党の博打で稼いだ金で、
おいそれとは名乗り出られなかった。
しかし財布の中身については真実。
そうなると健気に病気の父親や弟妹の面倒をみているしっかり者のお光が、
金をくすねたことになる。最後はそう匂わせている。
悪党の真実、正直者の嘘が綱引きして、痛み分けという形で決着します。
普通の捕り物帖みたいに明解にやらない。
清濁併せ残る一筋縄ではいかない展開と結末。
これが居眠り紋蔵のお話のスタンス、
通底基調になっている感じがします。

「女敵持ち」

ある日紋蔵は危うく無銭飲食で突き出されそうになったひとりの武士を救う。
その武士の名前は山岡主計。
じつは女敵持ちだった。出入りの絵師に妻を寝取られ、
ふたりは手に手を取って逐電。
怒った藩主は女敵をせよ、ふたりを討ち取れと山岡に命じた。
山岡は江戸でふたりの居場所を突き止めたらしく、
奉行所にも女敵許可の願いを出す。
だがいっこうに女敵討ちをする気配がない。
その山岡が、八丁堀の子弟たちが多く通う手跡指南所に雇われる。
優秀な師匠で生徒にも人気があったが、
そのうち父兄たちから、
女敵持ちの山岡主計は指南所の師匠としては不適切との声が上がり始める。
暇だと思われている紋蔵は筆頭与力の安藤覚左衛門に呼ばれ、
山岡主計をなんとかしろと命ぜられるが…

この話、山岡主計という武士が面白いです。
紋蔵とかなり通じる部分がある。
本人は女敵討ちなどするつもりは全くありません(笑)
じつは妻と逃げた絵師は元浪人でかなり腕が立つ。
立ち会ったとしても逆に斬られるだけだと分かっているから、
そんなあほらしいことはやってられませんというわけです。
藩主もそのうち忘れるだろうし、
もっと辛抱強く待ってれば藩主もいつか死ぬでしょう、みたいな(笑)
それでふたりの居場所が分かっても全然近寄らない(笑)
それを組織の人間だから上役の命には従わざるをえない紋蔵が、
指南所をやめて、早く女敵討ちをするなり、どこかに行くなり、
なんとかしてくれと説得に行く。
でもぬらりくらりとはぐらかして居続ける。
このあたりのやりとりがなんだか面白い。
最後に江戸を出る山岡と、
見送りにきた紋蔵が一杯飲むことに。
紋蔵が山岡を理解し、共鳴した証拠です。
紋蔵は当然仕事をさぼります(笑)

紋蔵の眠り病というのは作家の故・阿佐田哲也氏も悩まされていたという、
睡眠障害のひとつであるナルコレプシーかな。
日常のなんでもないときにふっと眠り込んでしまう。
ひどくなると歩いているときでも眠りに襲われ、意識を失うとか。
紋蔵はここまでひどくは無いようですが、
軽度のナルコレプシーというところでしょうか。
それがために上から外に出すなと言われて内勤の窓際三十年。
すでに四十過ぎです。
いっこうに風采の上がらない紋蔵からイメージするのは、
アメリカのTVドラマ「刑事コロンボ」でしょうか。
でもあんな押しの強さ、しつっこさはなくて、
もうちょっと平凡な市井人という感じ。
その証拠に慎ましく暮らす紋蔵一家の様子がほほえましく描かれています。
妻の里、紋太郎に紋次郎、稲、麦、妙の三人娘。
長女の稲は上司の与力蜂屋鉄五郎の息子鉄哉となにやらあるらしい(笑)
五人いる子供たちの成長も見所です。
蜂屋鉄五郎に加えて、紋蔵の幼なじみで大座配の元締捨吉。
魅力的な脇役も揃って、このシリーズ大いに楽しみです。

そのほかの収録作品

「不思議な手紙」
「出雲の神様」
「泣かねえ紋蔵」
「浮気の後始末」
「浜爺の水茶屋」
「おもかげ」

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2008-12-18(Thu) 00:44| 読み捨て御免!| トラックバック 0| コメント 0

荒波のなかの男と女-乙川優三郎「むこうだんばら亭」

「むこうだんばら亭」
乙川優三郎-「むこうだんばら亭」
(新潮文庫)


2005年に刊行された乙川優三郎の連作集。
「椿山」という短編集に収録されていた「ゆすらうめ」という作品がありました。
その主人公であった孝助のその後を綴ったものです。
舞台は房総の銚子近辺。
利根川の河口に近いうらさびしい土地です。
「ゆすらうめ」で孝助が助けようとした娼妓のたか。
それと同じ名前の女、たかをとある宿場で身請けした孝助は、
たかを連れてこの土地に流れ着き、
居酒屋「いなさ屋」を営みはじめます。
そして裏では女稼ぎの口入れ屋も。
貧しさに追いつめられ、もう身を売るしか術がない女たちが、
孝助を頼って「いなさ屋」を訪れ、そして去っていきます。
是も非もない生きることの荒波に翻弄され、
流されつつもしたたかに立ち向かう女たち。
そんな女たちを蔭で見守り、ときには冷たく突き放す孝助。
この連作は「いなさ屋」に関わる女たちと孝助の物語です。
だんばらとはダンバラ波のことで、
利根川の水と海の水がせめぎあって出来る大波のこと。
漁師たちにとって、ともすれば命を落としかねない危険な波です。

「男波女波」

農家に嫁いでいたゆうは、
身体が弱く役に立たないという理由で離縁される。
子供もあったが、置いてきていた。
生きるために何でもしようと、いなさ屋へ女稼ぎの口を頼んだが、
身体の弱いゆうには口が無かった。
孝助はゆうに、いなさ屋の手伝いをさせる。
表情が淋しく、要領も良くないゆうは客の受けも悪かった。
店の役に立ってないと感じたゆうは、
いつまでも孝助に甘えることは出来ないと考えていたが、
おいそれと身過ぎの道は見つからない。
それもこれも自分という女に自信が持てないからだとゆうは考える。
酔客に嫌われるゆうだが、ひとりだけ話をしてくれる男がいた。
外川の漁師である佐多蔵である。
佐多蔵もまた心に鬱屈を抱えていた……

ゆうは身体が弱いことで生きていくことが困難だと考えています。
それは我を抑えた生き方にもつながり、
女郎でも酌取りでも、なんでもやって生きていく、
そういう心の逞しさに欠けているわけです。
孤独でもある。
一方佐多蔵のほうは、
子供を流産したことが原因で女房に死なれている。
女房は明るく働き者で、佐多蔵も慈しみ仲も良かった。
だがその女房には佐多蔵には知らない世界があった。
幼なじみの男と関係していたことも分かる。
そのことにこだわり、佐多蔵は苦しんでいます。
そのふたりが出会い、少しずつお互いの傷を寄せ合い癒されていく。
なんでもないような小さな物語ですが、
その小ささゆえでしょうか、
挫折と絶望をふたりして越えていこうとする男と女の姿が、
なぜか印象深いです。
ゆうのために酔客と殴り合い、
ゆうに抱えられ、いなさ屋を去っていく傷だらけの佐多蔵。
男が守り、女が育てていく。
寡黙な海辺の土地で紡がれる小さな物語の最後は、
とてもぬくもりを感じます。

「果ての海」

孝助とたかがこの土地に流れ着き、
いなさ屋を始めて六年が過ぎた。
いなさ屋の二階に住むふたりだが、
孝助はたかを六年の間抱こうとはしなかった。
周りから夫婦のように思われているふたり。
武士の娘だったが、宿場女郎に売られたたかは心に負い目を持つ。
そして自分の身が汚れているから、
孝助が抱こうとしないのではと考えていた。
たかにとって孝助はすでにそばに無くてはならない存在だった。
それは孝助も同じだった。
あるときふたりが可愛がるいなさ屋の下働きの少女ぬいに、
身売りの話が持ち上がる。
たかは自分が貯めた金を出して、ぬいを助けたいと孝助に言う。
孝助はひとり助けても詮ないことだと、
取りあわなかったが……

孝助はいわば諦念に囚われて生きている男です。
若い頃から娼楼の番頭を勤め、
身体を売るしかない女たちの背後にある、
どうしようもない貧困という現実。
それを見てきた孝助はたしかに無力感を抱えています。
でもじつはひとりであっても救いたいと考えているはずなんです。
たかはその孝助の気持ちによって、
苦界から救い出されたわけですから。
どこか周りの人々を遠くから眺めているような孝助も、
たかやいなさ屋に関わってきた女たちに少しずつ動かされ、
変化していきます。
でもその諦念からどうしても解き放たれない。
孝助は何人も養子を取って育てる三味線弾きの師匠の家を訪ねます。
その師匠の言葉で、
孝助は己の不分明な気持ちに踏ん切りをつけます。
たかとぬい。
そのふたりを新しい家族として再生しようとする孝助。
期せずして房総の海に、
漁師たちが待ちわびていたイワシの大群が現れます。
活気づく漁場を見ながら、
孝助は新しい人生に踏み出していくことを予感します。
海にイワシの大群が来たと大声で叫び走るぬいの姿が、
とても印象的です。

遠くに打ち寄せる荒々しいだんばら波の白い波頭、
そして鳴りやまぬ房総の海風、
読んでいるさなかも、もの哀しいそれらが、
ずっと脳裏に見え聞こえする。
そんな感じの小説です。
この小説、けっして明るくはありませんが、
抑えた筆致に滲み出る哀しみの向こうに、
ひりつくように酷い浮世でも懸命に生き抜こうとする人々がいる。
生き抜くこと、それこそが希望そのものだというように。
そのことをあらためて教えてくれる気がします。

そのほかの収録作品

「行き暮れて」
「散り花」
「希望」
「旅の陽差し」
「古い風」
「磯笛」

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2008-12-14(Sun) 19:35| 乙川優三郎の世界| トラックバック 0| コメント 1

哀歓の八景-山本一力「辰巳八景」

「辰巳八景」

山本一力「辰巳八景」
(新潮文庫)


2003年から2004年にかけて小説新潮に掲載されたものをまとめた短編集です。
人情小説の新しい書き手として登場してきた山本一力。
なぜかこの作品集ではいつもの一力節を抑えた感があります。
なぜなんでしょうね。小説新潮だからでしょうか(笑)
なかにはフォーカスが定まらないようなお話もありますが、
辰巳、すなわち江戸深川を題材に、
その時代、まさにそこに生きた人々の、
哀歓の点景を描いて、けっこう印象的な短編集でした。
それにつけても深川です。
時代小説の市井ものといえば本所深川あたりが舞台になることが多いです。
深川が職人などのいわゆる下層の町人が多く暮らす町であり、
吉原を凌ぐほどの隆盛を誇った花街があった町、
というだけでは説明不足の気がします。
時代作家がこぞって題材にする江戸深川という町は、
もっと奥深い魅力を持った町ということが言えそうです。

「仲町の夜雨」

深川冬木町の町内鳶の頭である政五郎は、
小網町に若い女を囲っていた。
女房のおこんも承知のうえだった。
おこんと政五郎は仲睦まじかったが、
おこんが二度流産したのち、次の子宝に恵まれる気配がなかったので、
子供の欲しかった政五郎は外に女を囲ったのだ。
すでに三十七になるおこんは、子供はもう諦めかけていたが、
それでも月のものが止まる兆候があり、
喜んで産婆のところへ駆け込む。
だが産婆から出た言葉は「もう上がりだよ」
という残酷な言葉だった。
あるとき小網町近くに火事があり、
政五郎はその若い女を心配したのか、
小網町へ行ったきり、一ヶ月近くも帰ってこなかった。
おこんはその妾のところへ行き、
政五郎の子を産んでほしいと、はっきり言うべきだと考えはじめる。

鳶の頭の内儀であるおこんが主人公なんですが、
そのおこんの姿がいいですね。
政五郎が若い妾のところへ行ったきり、帰ってこない。
心配した仲人の佐賀町の頭におこんは呼ばれます。
で、そういうときのあらたまった格好が、
髷は結わずにひっつめ髪。
そして厚手木綿の股引に半纏。白い鼻緒の雪駄という姿。
雪駄は深くは履かず、かかとがはみ出ている感じで、
チャラチャラと雪駄の底の尻鉄を鳴らして歩く。
今でも深川あたりの祭礼の日にはいそうな感じです。
なんというか艶でボーイッシュ。鉄火な感じです(笑)
深川は辰巳芸者の名前も男名前だったりしますから、
気っ風を売りにする鳶の姐さんだったらありうる姿です。
そういうおこんですが、子供が出来ないことで悩み、
もう女としては上がりだと産婆に言われてショックを隠せない。
それで若い妾のところへ行って、
どうぞ政五郎の子を産んで欲しいと言うべきかどうか。
さんざん迷います。
ようやく若い女のところへ乗り込んだおこん。
子供を産んでも本宅に取られることを怖れていた若い妾の気持ちを知って、
その帰り道、養子を取ろうと政五郎に相談することを決心します。
江戸深川門前仲町に降る夜雨が、
家路につくおこんを優しく包みます。
仲町の夜雨、この題名はやはり詩です。

「石場の暮雪」

居職の履物職人信吉の娘、輝栄は、
大横川小町とひそかに称えられるほどの美人だが、
女ながら股引半纏の職人の出立ちで、家業を手伝っていた。
雪駄づくりが面白くて仕方がない輝栄は、
とうとう二十四の年になるまで、独身を通し続けていた。
そんな輝栄が自分の家の前で、
ちょうど雪駄の鼻緒が切れて困っていた戯作者の卵、
一清と偶然に出会う。
雪駄を直す輝栄に一目惚れした一清は、
女には馴れておらず、そのうえ口べた。
それでも決心した一清は、
毎日欠かさず短い文を輝栄に届けるようになる。
輝栄もだんだん一清を意識するようになるが……

一清は山本一力自身の投影であるようです。
出来上がった戯作を出版元に持ち込むのですが、
出版元の手代はなかなか良い返事をくれず、
店の主人にも原稿を通さない。
なぜ手代がダメ出しをし、主人にも見せないのか、
そのあたりは自分の経験から書いているようですね。
物語の方はというと、
一清の恋文というのがこれがまたすごく短い(笑)
会うのも店先だけ。
でも毎日ですから少しずつお互いの気持ちが進展していく。
最後に一清は「あなたと祝言を挙げる日を毎日思い描いている」と短い文に書きます。
輝栄にとっても待ち焦がれていた言葉です。
でもそのとき、一家にとって大恩ある人から縁談が持ち込まれていて、
輝栄は迷います。
父親の信吉に打ち明けようとすると、
察した信吉は縁談は断ってやると言ってくれます。
年の暮れのある日、深川に初雪が降る。
輝栄は雪景色のなかを歩き、一清の家に行きます。
薄雪の積もった戸口を開けると一清が出てくる。
でも輝栄の姿を見て驚き、
緊張してなんにも言えない一清に輝栄は、
「ふつつか者ですが、よろしくお願い申し上げます」と。
このセリフ、なんだかちょっと鳥肌立っちゃいました(笑)

深川は富岡八幡宮の門前町として発達し、
花街も置かれた頃からいっそう華やかになります。
紀文や奈良茂などの材木商人が屋敷を構え、
全国から特産物が集まる湊でしたから、江戸の食文化の最先端地。
富岡八幡宮で最初の興業が行われた大相撲の出発点でもあります。
山東京伝や曲亭馬琴もこの地で生まれ、平賀源内や松尾芭蕉も住んでいた。
まあ、江戸の文化を代表する言葉である「いき」は、
この町から生まれたといっても過言ではありません。
江戸深川は文化の集約地、かつ発信地。
闊達で心意気にあふれた町だったんでしょうね。
そういう深川に住む人々の哀歓の八景。
この小説はいわゆる浮世絵の八景物に乗っ取って書かれています。
八景物とは、中国北宋の時代に成立した画題、瀟湘八景が基。
平沙落雁
遠浦帰帆
山市晴嵐
江天暮雪
洞庭秋月
瀟湘夜雨
煙寺晩鐘
この八つに倣って描かれた浮世絵で、
安藤広重の近江八景、江都八景なんかが有名です。
題名も佃島帰帆とか墨田暮雪とか、そういう風になってます。
この小説、ゆえに題名がすごく詩的ですね。
山本一力によって書かれた小説の八景。
なかなか乙 なものです。

そのほかの収録作品

「永代橋帰帆」
「永代寺晩鐘」
「木場の落雁」
「佃町の晴嵐」
「州崎の秋月」
「やぐら下の夕照」

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2008-12-11(Thu) 18:21| 山本一力の世界| トラックバック 0| コメント 2

名も無き人々の人生-藤沢周平「夜消える」

「夜消える」

藤沢周平「夜消える」
(文春文庫)


昭和58年から平成2年ごろに書かれた単行本未収の作品を集めたもの。
晩年期に位置する作品集です。
江戸の市井に生きる名も無き人々の人生を、
老練の筆で淡々と綴った短編集。
さして感動する話があるわけでもありません。
どちらかというと心が塞ぎそうな短篇が多い。
でも脳裏にいつまでも残る印象的な短篇がそろっていて、
藤沢周平の多彩な世界がうかがえます。
珍しい幽霊ものもありますし(笑)

「夜消える」

兼七は腕の良い雪駄職人だったが、
深酒が原因で雪駄を収めていた問屋にも見放された。
飯も食わず、風呂にも入らず、夜昼となく酒を呷り続ける。
廃人のような亭主のその姿に、
身体のなかに何か得体の知れないものが棲みつき、酒を欲しがっている。
おのぶは不気味な気持ちに襲われることがあった。
娘のおきみは酒浸りの兼七を嫌って、料理屋の住み込み女中になるが、
兼七はその支度金まで酒代にする。
だがそんな亭主をおのぶは見捨てることが出来なかった。
そんなとき娘のおきみに嫁入りの話が持ち上がる……

重度のアル中です(笑)
でもなぜ兼七がそんな風になったのか、説明はありません。
それが妙に不気味なんです。
ただ無惨な酒浸りの姿だけを描く。
ある日おきくと夫婦になろうかという男に、
自分に酒代を無心している父親の姿を見られる。
おきくは祝言は考えさせて欲しいと言われたとおのぶに泣きついてくる。
父親がいる限り嫁入りは出来ない、
おとっつぁんなんか死んでくれたらいいのにと泣く。
気がつけば、酒を買って帰ってくるはずの兼七が戻らず、
台所の上がり口には満杯になった一升徳利が置いてあった。
それっきり兼七はいなくなる。
夜の闇に消えてしまいます。
話を聞かれたんでしょうね。
三年後、無事に嫁入りした娘の幸福そうな姿を見ると、
ふと娘を憎む気持ちがよぎるおのぶ。
でもおのぶの気持ちより、
消えた兼七が気になって仕方ありません。
すでに常人ではない兼七が何を思って夜の闇に消えたか、
そしてどこへ行ったか。
娘にしてやれることは自分が消えること……
酒浸りではありませんが、同じ娘を持つ身ですから(笑)
いつ兼七になるとも限らない。
そう思うとどこか自分というものが頼りなく、
これがとても哀しい話だということが身に沁みます。

「踊る手」

ある日信次が遊びから帰ると、
裏店の隣家である伊三郎の家の前に人だかりがしている。
一家が夜逃げしたのだった。
何にも無くなった家の中に残されていたのは、
寝たきりの伊三郎のばあさんだけだった。
置き去りにされたのだ。
ばあさんはとりあえず長屋の女房たちが面倒をみることになり、
食い物を運ぶ。
しかし絶望している老婆は一切手をつけようとしない。
困り抜いた信次の母親は、信次に食べ物を運ばせ、
ばあさんになんとか食べさせて欲しいと頼んだ。
信次はそんな役に選ばれたことを誇りに思い、
ばあさんのところへ食べ物を運ぶのだが……

なぜか強烈な印象が残る小説です。
子供の信次の視点からこの小説は描かれています。
老婆と子供。この組合せで老いることの切なさが強調される。
子供にはなぜ置き去りにされるか不思議な訳ですから、
置き去りにされた老婆の絶望が余計ストレートに伝わってくる。
最後にひとまず落ち着いた伊三郎が、
おばあさんをこっそり迎えに来ます。
夜逃げしてもはじめからそのつもりだったんでしょう。
長屋の人々を当てにもしている。
ここらへんは人情ですね(笑)
そして題名の「踊る手」の由縁。
信次はばあちゃんを背中に紐でくくりつけた伊三郎と家の前で出会います。
ほい、ほい、ほいと伊三郎はおどけた足どりで、路地を遠ざかっていく。その背に紐でくくりつけられたばあちゃんが、伊三郎の足に合わせて、さし上げた両手をほい、ほいと踊るように振るのが見えた。
そして見送った信次も嬉しそうにほい、ほいと手を振り、
踊りながら家の中に入っていく。
なんかこの場面が書きたかったがために、藤沢周平はこの小説を書いた。
そんな気がしてなりません(笑)
じつに印象的です。

ちょっと心が塞ぎそうな短篇もありますが、
それでもこの作品集はたいへんわかりやすい、
理解しやすい物語が収録されているので、
ここから親しむというのもいいかもしれませんね。
なぜ藤沢周平が小説の職人といわれるのか、
この作品集を読むと腑に落ちると思います。
それにつけても読後、何日か経つと小説の中の情景、
たとえば突然夜の闇に消え、それっきり消息のわからなくなる男の後姿。
そういう情景が何かの拍子にふっと浮かび上がってくることがあります。
それが妙に寄る辺ない(笑)
後からじわじわとボディーブローのように効いてくる。
そういうところのある作品集でしょうか。

そのほかの収録作品

「にがい再会」
「永代橋」
「消息」
「初つばめ」
「遠ざかる声」

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2008-12-06(Sat) 18:26| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

女の江戸-宇江佐真理「玄治店の女」 

「玄治店の女」

宇江佐真理「玄治店の女」
(幻冬舎文庫)


最近立て続けに宇江佐真理のものを読んでます。
とにかく読んでると気持ちがいいんです(笑)
なぜそうなのかなと考えてみたんですが、
これはどうも宇江佐真理が書く江戸の町、
その雰囲気のせいではないかと思い始めました。
とにかくその江戸世界はとても端正で柔らかく、どこまでも優しい感じがします。
一方では宇江佐真理の江戸世界は清潔すぎて、
どこか作り物めいているという声もあるようです。
たしかに少し箱庭的ではあります(笑)
でもその端正ですっきりとした江戸世界はとてもライトな感覚を醸し出し、
このライト感覚こそが宇江佐真理の人気の要因ではないかと思います。
腹にもたれない人情ものや恋ばなし、
小憎たらしいほどに愛くるしいガキども(笑)
が活躍する宇江佐真理の小説には、
なくてはならない要素だと思うのですがどうでしょう。
この連作集は幻冬舎のPR誌に連載、2003年に刊行されました。

江戸日本橋の玄治店(げんやだな)に住むお玉は元花魁。
小間物問屋の主、藤兵衛に身請けされ妾となったが、
暇つぶしのために女中のおまさとともに小間物屋「糸玉」を営んでいた。
もちろん商いの上がりだけでは食べていけず、掛かりは本宅から届けられていた。
そんなお玉のところにやってくる女たち。
芸妓屋のひとり娘で八歳の小梅(甘露梅で福助の思われ人だった?)
小梅の三味線の師匠で辰巳芸者のお喜代。
年の離れた旦那と間夫を掛け持つ若い妾のお花。
そして女中のおまさ。
彼女たちが出入りする糸玉は賑やかな声が絶えない。
でも誰もが心の内では人に言えぬ思いを秘め、
それぞれに玄治店の四季に暮らしていた。
そんな折り、お玉は藤兵衛から別れ話を切り出される。
身代が傾きかかっている藤兵衛は冷淡だった。
冷たい藤兵衛の仕打ちに怒ったお玉は、
小間物屋で商いをしながら暮らしていくと、
藤兵衛に啖呵を切るのだが……

お玉の周りに集まる女たちの日常と様々な出来事。
小間物屋「糸玉」の土間や座敷での会話。
四季折々の玄治店の路地。
お玉と小梅が通う湯屋でのやりとり。
なんというか、これがうまく絡まり合って、
「女の江戸」というべき世界を構築してます。
お玉と小梅の手習いの師匠である青木との恋もあり、
ほろっとくるような人情話もありで、
下手すれば井戸端小説で終わってしまいそうなところを、
そこはうまく勘所を押さえて、上々の仕上がりに持って行ってます。
まあ、物語の展開というよりは、
笑いと涙、恋と悩み。
現代でもなにげにありそうな、
玄治店の日常を生きる女たちを見ている方が楽しい小説ですね。
とくにおちゃっぴぃな小梅は特筆です(笑)
玄治店(げんやだな)は今の日本橋人形町界隈にあった地名です。
歌舞伎の「与話情浄名横櫛」
「しがねえ恋が情けの仇」のセリフでおなじみの源氏店の段で有名になりました。
玄治店は切られ与三がお富さんと再会する源氏店のモデルです。
芝居のほうは鎌倉雪の下ですから、源頼朝で源氏、
それと玄治をかけたということですね。
もっとも歌舞伎より往年の歌手、
春日八郎の「お富さん」の歌詞、
「エーサオー玄治店~」
こっちで一挙に有名になったというのが正しいと思います(笑)
「与話情浄名横櫛」のお話は実際にあった事件だといいますから、
玄治店というのはやはり妾宅が多く、
粋な黒塀、見越しの松、
やはりそういうのがたくさんあった場所ではないのでしょうか。
閑静で婀娜(あだ)な女たちが住まう町。
でも妾というのは日陰の身ですから、
そういう寂しさもつきまとう町。
この物語はやはりそのイメージをうまく借景にしてます。
最後にお玉は伊勢へと向かった青木を追いかけます。
(お玉が年上だし、このあたりは切ないですね)
お玉が去った玄治店。
でもなんだかこの町、雰囲気いいですから、
いつまでもぶらぶらしていたい気分(笑)

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2008-12-03(Wed) 01:16| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

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