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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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酸いも甘いもやがて吉原の味-宇江佐真理「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」

「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」

宇江佐真理「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」
(光文社時代小説文庫)


お針子となって、江戸の傾城町吉原に住み始めたおとせの目を通して、
吉原の華麗な春秋や遊女たちの哀切な物語が語られる連作短編集です。
さて多くの時代小説を手に取りながらも、
じつは今回はじめて宇江佐真理を読みました(笑)
最近は女性時代小説家も多く、
いいものをたくさん書いているという評判にもかかわらず、
女性時代小説家にはまるで手を付けていなかったんです。
好き嫌いという問題ではありませんが、
なんとなく腰が引けて先送りにしていたというのが本音です。
なぜ腰が引けるのかは自分でもよく分かりませんが(笑)
で、一読……。
良かったです。
なぜもっと早く読まなかったかと後悔しきり(笑)

岡っ引きだった亭主の勝蔵に先立たれ、後家となったおとせ。
呉服屋の手代となっている長男が嫁をもらうことになり、
狭い裏店で新婚夫婦とは暮らせないからと、
江戸町二丁目の新吉原大見世、海老屋のお針子として住み込みで働くことになる。
吉原名物、仲ノ町の桜見物も済んだ五月のある日、
九郎助稲荷に詣でたおとせは、
そこで一心にお百度詣りをする若い遊女を見かける。
そしてお詣り最中のおとせにひとりの男が声をかけた。
海老屋と懇意にしている引手茶屋の主、花月亭凧助である。
凧助はあの若い遊女は雛菊という振袖新造で、
雛菊には間夫がいて、いまにも駆け落ちするのではないかと心配しているという。
遊女が吉原大門を出るのは容易ではないし、
捕まれば、最下層の河岸女郎に落とされる。
雛菊の父親とは幼なじみで、くれぐれもと頼まれていると凧助は言った。
ついてはおとせにそれとなく雛菊に無茶な真似をしないよう、
諭してくれないかと頼むのだった。
その頼みをおとせはしぶしぶながら引き受けるが……

この小説、まず江戸の一大傾城街であった吉原が題材でありながら、
お針子というひとりの裏方の目を通して物語が語られる。
これがまず新鮮でした。
吉原は江戸の不夜城。そこは流行の先端であり、
花魁たちは一種のアイドルでした。
今でいえば芸能界みたいなものでしょうね、
三月の仲ノ町の夜桜などは一般の人も見物したといいますから、
吉原というのは江戸の人々にとって想像以上に華やかな町だったと思います。
そうはいっても女たちが身体を売って暮らしている苦界にかわりありません。
裏に回ればとても平静ではいられないような話もごろごろしてます。
そういう世界に身を置いたおとせ。
元は岡っ引きの女房ですから、
どうしても納得がいかない感じにつきまとわれ、いろいろ悩んだりします。
でもそれをサポートするふたりの男の存在。
そしてそのふたりの男と、おとせのやりとりがすごくいいです。
引手茶屋の主でありながら太鼓持ちでもある凧助、
そして海老屋の伎夫である筆吉。
筆吉は海老屋の看板である喜蝶の幼なじみであり恋人でもあります。
でも遊女と伎夫の恋は固いご法度。
筆吉と喜蝶の秘めた恋の行方がこの小説の大きな縦糸になっています。
女たちの身体を売り買いする廓の世界。
そんな世界で生きる男たちは、
おそらく廓の掟に沿うことで非情にならざるを得ず、
内心を押し殺した独特の人格が出来上がってくるんだろうと思います。
そういう男たちであるはずの凧助や筆吉が見せる男振りや優しさは、
物語に奥行きを与えつつ、ともすればただの暗い廓話の類から、
この小説を救う大きな役割を担っている感じがしますね。

そしてそういう男たちと廓の商品である遊女。
彼女たちもまたひとりひとり悲哀を抱え、
おとせにさまざまに関わってくる。
花魁たちが使った独特の廓言葉があります。里なまりともいわれています。
「そうでありんす」
「お入りなんし」
「わっちにはようわかりいせん」
もっと多様にありますが、
なぜそういう言葉を花魁たちが使ったかといえば、
いろんな土地から集まる女たちのお国言葉を隠すためであったことと、
遊客を日常ならざる廓という別世界へ誘うためだったといわれています。
しかし海老屋の花魁喜蝶や薄絹、
最下層の河岸女郎に落とされた元花魁の浮舟の使う廓言葉は、
どんなときも常に自分の本心を包み隠すように、妙にもの悲しい響きを持ち、
遊女の悲哀を余計に感じさせます。

おとせはそんな遊女や男たちのなかで、
いろいろな出来事に関わっていくのですが、
思うに、廓にはあるはずのないおとせという母性を、
吉原という傾城の町に置いたことが、この小説の良さじゃないかなと思います。
廓の内で禿(かぶろ)同士がお手玉して遊んでいる。そういう描写があります。
禿(かぶろ)というのはだいたい7、8歳の女児で幼いときに廓に売られてきて、
花魁の小間使いをする。幼い頃から遊女になることが運命づけられている。
そういう子供たちです。
その子供たちに向ける眼差しが、とても母性というものを感じさせます。
疳の虫を起こし、消し炭を飲み込んだ禿のひとりをおとせが抱いてあやし、
吐かせる場面なんかも、そうですね。
でもこれはほんとう女性作家ならではのものです。
男じゃ書けない(笑)

いやこの小説、なかなか良かったです。
腰が引けたのも治ったみたいなので、
つづけて宇江佐真理、読みます(笑)

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2008-11-01(Sat) 20:35| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

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