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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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過ぎ去った懐かしい時間-宇江佐真理「あやめ横丁の人々」

「あやめ横丁の人々」

宇江佐真理「あやめ横町の人々」
(講談社文庫)


宇江佐真理2003年の作品です。
旺盛に書き続ける女流作家、さてどこからいこうかと迷います。
しかし、ま、年代順にとかいっても、あまり長い歴史のある作家ではないと思うので、当たるを幸いに片っ端から、という芸の無い、いつもの手で(笑)

幕府書院番頭紀藤家の三男慎之介は、同じく小姓組頭の笠原家の娘、
七緒との婚儀が整い、入婿になって笠原家の跡継ぎになることが決まった。
ところがその祝言の日、突然花嫁の恋人が現れ、七緒を連れ去ってしまう。
後を追った慎之介は七緒の恋人の挑発に乗り、逆上のあまり斬ってしまった。
花嫁の七緒も男の後を追って自害してしまう。
この騒ぎで笠原家は閉門の身となり、
跡継ぎのいなくなった以上いずれは断絶の憂き目に遭う。
恨んだ笠原家は慎之介の命をつけ狙う。
当初、若党の吉野と共に日本橋に隠れ住んでいた慎之介だったが、
追っ手に踏み込まれ、
最後の潜伏先として決められていた本所のあやめ横丁にひとり逃げ込み、
その町にかくまわれることになる。
しかしそこは訳ありの人々が暮らす不思議な町だった。

このあやめ横丁という江戸市中に造られた箱庭のような不思議な町に暮らす人々と、旗本三千石のお坊ちゃんである慎之介の交流が小説の軸です。
あやめ横町はいわば猶予された人々が暮らす町。
住民たちがいったいなにを猶予され、なぜこの町に暮らすに至ったか、
その謎を解き明かしていくことと、
そしてあやめ横丁で子供たちに手習いを教えながら、
住民たちの抱える過去に真摯に向き合っていくことで、
世間知らずのお坊ちゃんから次第に成長していく慎之介の姿。
そこが読みどころのひとつです。
慎之介はあやめ横丁を縄張りとする目明かしの権蔵の家に居候するのですが、その家には伊呂波という17歳になるおきゃんな娘がいます。
この伊呂波と慎之介が恋に落ち、その行方がどうなるか、
それもまたこの小説の需要な柱です。
あやめ横丁はあの鬼平こと長谷川平蔵が、
幕府に献策して造ったという人足寄場に少し似ていますが、
こういう町は実際には無かったと思います。
でもこんな町を拵えるというアイデアは面白いですね。
湯屋や居酒屋、貸し絵双紙屋、茶葉屋、小間物屋などなど、
岡場所と水茶屋の他にはすべてが揃う町。
表店の後ろには長屋があり、そこでも人々が日々を営み、
その路地裏を行き交う物売りの声も江戸情緒たっぷりです。
この小説には江戸の町場の言葉がふんだんに使われています。
そういう江戸庶民の言葉と慎之介の使う武家言葉を対比させることで、
身分社会の落差を感じさせ、
地口なんかの町場の言葉をまるで理解できなかった慎之介が、
隠されたその意味を理解していく。
それが慎之介の成長をあらわす仕組みになっているというのも面白いです。

おそらく慎之介が人を斬ったことがきっかけなのと、
こういう町が実際はありえないこと、
そのあたりをどう捉えるかでこの小説を読む人の感想が違ってくると思うけど、
いやこの小説、最終章にほんとにジワッと来て、目頭が熱くなります(笑)
最終章「六段目」は、
慎之介があやめ横丁を去ってから10年の歳月が流れたある日、
あやめ横丁に大事件が起こり、慎之介が再度訪ねることになるのですが、
この10年の歳月が経った、というくだりが最後に置いてなければ、
はじめはお坊ちゃんだった主人公が、周囲の人々との関わりの中で、
だんだん大人になっていくただのビィルグンドゥスロマン、
成長小説で終わったでしょうね。
あやめ横丁には不幸な子供たちが何人もいます。
その子供たちのひとりを約束を守って、
幕府の要職へ登った慎之介が身内に加える。
読んでいて、子供たちの幸せを願うとこうして欲しいなと思うことが、
10年の歳月の中で実現されたと知らされる。
読者は収まるところへ収まったという安堵感を持ちます。
そういう予定調和のツボみたいなものをこの小説は押さえている気がします。
そして身分も何もない人と人とのふれあいの中で育まれた賑やかで、
すでに懐かしい時間。
それを共有した読者は、
10年が過ぎた最終章でその時間が過ぎ去ったことにとても哀切を感じます。
小説に流れる時間といっては身も蓋もありませんが、
泣かせる小説は、
その時間を読者に共有させることにとても優れているんだと思いますね。
そして時間もまた人情話の大事な要素なのかも知れません。
そういう意味ではとてもいい小説だと思います。

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2008-11-15(Sat) 16:15| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

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