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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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心の橋を渡る-藤沢周平「橋ものがたり」

「橋ものがたり」

藤沢周平「橋ものがたり」
(新潮文庫)


昭和55年に刊行された、橋をモチーフにした短編集です。
まるでモノクロームの映画でも観ているような感覚に捉われる、
静かな作劇空間。
江戸の市井で懸命に生きる人々の出会いと別れを、
さらっと切り取って哀感溢れる物語に仕上げる。
小説の職人藤沢周平の、その手腕を惜しみなく発揮した、
手練れというにふさわしい作品集です。

「約束」

住み込んでいたお店の年季奉公が明けたその日、
錺師(かざりし)の幸助は深川萬年橋へと向かっていた。
5年前に交わしたお蝶との約束を胸に。
5年前のある日、幸助の奉公先にお蝶が突然訪ねてきた。
お蝶は十三歳になる幸助の幼なじみだった。
いつもふたりで遊んでいた幼い頃の日々。
「大きくなったら幸ちゃんの嫁になる」
そう言っていた小さなお蝶の顔が幸助の胸に蘇る。
聞けば本所から深川へと宿替えをするので、幸助に別れの挨拶をしにきたというのだ。
お蝶の家は蝋燭屋だったが、店が潰れたのだと幸助は察した。
これから深川門前仲町の料理屋で女中として働くというお蝶を、
身体に気をつけろと言って、幸助は見送る。
ただそれだけのことを言うためにお蝶は遠い道のりをやってきた、
帰っていくお蝶の痩せた後姿に幸助は胸を衝かれ、後を追いかける。
そして5年経ったら年期が明けるから、
小名木川にかかる萬年橋で必ず会おうと幸助はお蝶に言う。
何度もうなずくお蝶の頬に涙が伝わった。
だがその日、萬年橋のたもとで待つ幸助の前に、
約束の刻限を過ぎてもお蝶は現れない。
その頃お蝶は……

お蝶は5年の間に父母の病気が重なり、
身体を売る酌取り女中に身を落としています。
素直には約束の場所には行けない。
幸助の方も親方の妾との出入りもあって、
内心お蝶に会わす顔が無いと思っている。
ふたりには空白の歳月があるわけですから、
どういうふうに身の上が変わっているか分からない。
幸助にはお蝶が約束なんかとうに忘れているのかも知れない、
と思う気持ちもある。
そういうふたりが、
あれこれお互いの身の上や自分の心を量りながら、
待つか、行くかで思案する。
約束の橋は同時にふたりにとって、
清新な5年前へと遡るために渡る心の橋なんですよね。
最後に幸助はお蝶の今の姿を知っても、
その心の橋を渡って、お蝶の許にやってきます。
この最後、なんか胸が詰まります(笑)

「殺すな」

腕のいい船頭の吉蔵は船宿の女将お峯と駆け落ちする。
隠れ住みながらの甘い生活が何年か続いたが、
最近お峯がふさぎ込みがちなのを吉蔵は心配していた。
お峯は吉蔵に言って、転々と引っ越しを繰り返していたが、
その引っ越しのたびに、お峯が元いた川向こうの船宿に、
だんだん近くなるのを吉蔵は訝しんでいた。
里心がつき、大川にかかる永代橋を渡って、
元の亭主のところへ戻ろうと考えているのでは無いかと考えた吉蔵は、
長屋の隣で筆作りの内職をしている浪人者の小谷善左エ門に、
お峯を手伝わす代わりに、
それとなく見張ってくれと頼んでいた。
そんなある日、船で送るように頼まれた吉蔵は客の顔を見てギョッとする。
客はお峯の元の亭主である船宿の主人、利兵衛だった。

転々と隠れ住みながら一緒に暮らす愛欲の日々、
その果てに吉蔵とお峯は気持ちのすれ違いを感じ始めます。
吉蔵はお峯の身体と甘い生活に激しく執着し、
お峯はお峯で、
このままうだつの上がらない川船頭の女として一生を終わるのか、
という不安がいつも頭をもたげる。
うまく行くわけがありませんね。
こういうことって現代でも割とありがちな話です。
いわゆるふたりは不義者ですから、当時は命がけの話です。
もっとも江戸には町人の不義密通は七両二分といって、
お金で解決する道もあったようですが、駆け落ちとなると話は別でしょう。
ふたりをつなぐのは未来でも希望でもなく愛欲です。
その一点から逃れられず、執着もしている。
でもその執着の行く末が酷いものであることを、
浪人小谷善左エ門の告白が一挙に照らし出します。
「いとしかったら、殺してはならん」
最後に善左エ門の悲しみが吉蔵に伝わったとき、
吉蔵の恋ともつかぬお峯への執着が終わる。
この話、なんだかさりげなくて上手いですね。

江戸の河川に架けられた大きな橋は、
すこぶる人が集まる場所だったようです。
それで待ち合わせの場所としてよく使われた。
もちろん木橋ですが、
当時の架橋技術があれば、いくつも架けられたにも関わらず、
幕府の意向であまり架けられなかった。
江戸が外から攻め込まれた場合、具合が悪かったんですね。
だから立派な橋というのは、そうあるわけではありませんでした。
だから江戸の人々にとって、
橋に対する思い入れもいっそう強かったんだと思います。
渡るか渡らないか、そして佇むか引き返すか、
彼岸へ渡る橋の姿は、
人々にとって何かの大きな節目のようなものではなかったかと、
そう思います。
出会いにしろ、別れにしろ、
橋が象徴するものは、人生そのもののような気がします。
夜の橋、朝焼けに照らされた橋、小糠雨に煙る橋。
そんな橋で起こった十の出来事。
この小説は玄人受けする大人の短編集といった色合いでしょうか。

そのほかの収録作品

「小ぬか雨」
「思い違い」
「赤い夕日」
「小さな橋で」
「氷雨降る」
「まぼろしの橋」
「吹く風は秋」
「川霧」

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2008-11-18(Tue) 23:56| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 3

侍暮らしというイメージ-藤沢周平「秘太刀馬の骨」

「秘太刀馬の骨」

藤沢周平「秘太刀馬の骨」
(文春文庫)


藤沢周平の隠れた傑作といわれている長編小説です。
推理仕立ての剣客小説といった体裁で、
始まりから終盤まで読む者をぐいぐい引き込んでいく、
かなり魅力的で面白い小説なのですが、
息子を亡くし、今でいう鬱病やPTSD(心的外傷後ストレス障害)に罹った妻を、
主人公がどう介抱し立ち直らせていくか、そのあたりの葛藤も作品に深みと幅を与え、この小説をさらに読み応え十分なものにしています。
読んでいると家庭のなかでの夫婦のやりとりなんて案外こういうものだろうなと、つくづく身につまされたりする描写に出くわします。
やっぱり夫婦はいたわり合わなければいけません(笑)

近習頭取の浅沼半十郎はある日、派閥の領袖、
筆頭家老の小出帯刀から呼ばれ、ひとつの仕事を命じられる。
それは、6年前に起こった、時の筆頭家老望月四郎右衛門暗殺事件で遣われたとおぼしき秘太刀馬の骨の探索に手を貸せというものだった。
秘太刀馬の骨は城下の不伝流矢野道場に伝わるとされる伝説の秘太刀で、
狂奔する暴れ馬の首の骨を一刀のもとに両断したと伝わる謎の秘剣。
誰も正体を知らず、またその存在も一部では疑問視されている。
そして半十郎は探索を任された小出帯刀の甥、
神道無念流の若い剣士、石橋銀次郎を紹介される。
紹介された石橋銀次郎は明るい美青年。
だがどことなく傲岸なところのある男だった。
半十郎は息子を亡くしたことで気鬱の病に罹った妻杉江を気遣いながら、
気の進まぬ探索に乗り出すが……

秘太刀馬の骨は不伝流矢野道場の先々代が工夫し編み出した剣法で、
以降代々伝わるものとされています。
だがいったい誰がその秘太刀を相伝したのか、皆目分からないということになってます。
実際に挑み我が目で確かめないと、誰がその秘太刀を持ってるのか分からない。
そういうことで現在の道場主矢野藤蔵をはじめ、
五人の高弟に石橋銀次郎が次々に挑んでいくといった、
謎解きのスタイルで小説は進行していきます。
不伝流では門外試合は掟で固く禁じられているし、
道場主も秘太刀が外に洩れることを憚って、
石橋銀次郎とは立ち会うなと五人の高弟に命じます。
誰も立ち会おうとはしないので、銀次郎はまず五人の高弟の身辺を探り、
弱みを握ってから立ち会いを強要していきます。
この過程で五人の高弟たちのエピソード、
銀次郎が探り出してくるそれぞれの秘密が小説の柱となり、
それに藩の政争と主人公と妻の関係が絡んできて、
たいへん面白い小説に仕上がっているというわけです。
読んでいてまず良いのは、なんというかリアル感ですね。
小説の舞台は五間川が出てきますからやはり海坂藩だろうと思います。
そこでの藩士の暮らしぶりとか、同僚であったり上役だったりの、
人と人の距離感、そして屋敷とか町の実在感。
これがなんとも云えず良いのです。
当然その当時の武家の暮らしや町並み、人との関係など誰も見聞きしたことはないので、
リアルというのはおかしいのかもしれませんが、
それをリアルと言い切れるほど、
読んでいてたしかな実像として立ち上がってくる、
その世界に自分が顔を覗かせている、そんな感じがします。
会話の中に出てくる
「そうでがんす」
「どうしたわけでがんしょ」
こういう訛りも一役買っている気がします。
剣客小説ですから、 剣や木刀での立ち会いのシーンもたくさん出てきます。
しかし超人的な、ワイアーアクションみたいな立ち回りは出てきません。
あくまでも地に足をつけた実際的な動き。
そのせいで、立ち会いのシーンはかなり迫力あります。
でも面白いことに主人公浅沼半十郎は一回も刀を抜かない。
こういう小説も珍しいですね(笑)
藤沢周平が立ち会いのシーンを書いているが、
一合、二合と刀を打ち合わす、
剣というのは躱すが基本で、お互いが刀を打ち合わすのは不自然。
ゆえにあういうのはあり得ない。
そう誰かが書いているのをどこかで読んだことがあります。
でも本当でしょうか。
誰もその時代に生きて、立ち会いを目撃したわけでは無いのだし、
よしんばそうだとしても、それではまるで小説にはなりませんね。
剣客同士が立ち会いをしたとします。
お互いが睨みあったまま、躱せるか、躱せないかを推し量り、
数刻経った後、お互いがくるりと背を向けてすたすたとその場を去る。
これではまるで禅問答です(笑)
そういう時代小説は読みたくありません(笑)
あたりかまわず抜いてのチャンバラ時代小説も興ざめですが、
この小説そのあたりはきちんとわきまえていて、少しも軽々しくない。
そこがなんともいえずいいですね。
藤沢周平は時代小説がエンターテイメントだということを知悉しています。
そこから小説を掘り下げていってる気がします。
この小説、とにかく魅力的です。

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2008-11-03(Mon) 22:28| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 2

江戸の禍福-藤沢周平「霜の朝」

「霜の朝」

藤沢周平「霜の朝」
(新潮文庫)


この短編集には昭和49年から56年にわたって書かれたものが集められています。
なかには初期のものも含まれていますが、おおむね藤沢周平が円熟期に入ったころの作品が主になっています。
全11編、初期のころにあった、匂い立つように鮮明な風景描写は少し影をひそめたとはいえ、言葉が言外のものを吸って円くなり、人の機微に自然に出入りする筆はすでに練達の域です。
収められた短篇はさまざまな色合いを持ち、それぞれに短篇の妙味が味わえる構成です。
あまり悲劇的な結末に終わらないのも読後にさわやかな感じを残していいですね。
とくに印象に残ったもの、しみじみ考えさせられたものをふたつ。

「禍福」

大店の履物屋、井筒屋のやり手の手代だった幸七は、今はしがない小間物の行商人に落ちぶれていた。
近頃は品物もさっぱり売れず、行商の帰りに井筒屋時代に取引のあった店の旦那に会うと、5年前の借金の話を持ち出される始末。
幸七は身の不運を嘆くほかなかった。
その不運のきっかけは女房のいそえを知り合ったことから始まったと幸七は考えていた。
井筒屋の手代だっとき、井筒屋の一人娘との縁談が持ち上がったのだが、
そのときにはいそえと言い交わす仲となっていて、とても離れられる状態ではなかった。
いそえは妊娠もしていた。
幸七はその話を断るしかなく、その後、朋輩の手代長次郎が井筒屋の主に収まることになる。
幸七はいたたまれず他の店へと移った。
だが移った店はあっけなく潰れ、
喰う金に困った幸七は小間物の行商を始める。
俺の不幸はいそえを選んだときから始まったと、幸七の冴えない日々は続く。
そんなある日、もとの井筒屋で朋輩だった竹蔵とばったり会い、
井筒屋の若夫婦のその後の話を聞かされる。

「禍福は糾える(あざなえる)縄の如し」そういうことわざがあります。
禍(わざわい)が福になったり、福が禍の元になったりして、この世の幸不幸は繰り返す。
幸と不幸は縄を縒り合わせたように表裏をなすものという意味ですが、
この短篇はそのことわざがもとになっていると思います。
話の最後に今の今まで俺は不幸だと思っていた幸七が、
手に入るはずだった幸福がじつはそうではなかった。
そしてなんの疑いもなく自分の人生についてくるいそえの言動にもほだされて、
今ある自分の状況にささやかながら幸福を見いだして終わります。
ちょっと自分の身辺にこの物語を引き寄せてみると、
なかなか深い味わいのものとなります。
禍福にまつわるこのことわざを短篇の骨子として当てはめ、
そして最後になるほどと思わせ、やがてしみじみとした気持ちにさせる。
なかなかこんな風に仕上げることは出来ません。
じつに見事な手際です。

「霜の朝」

奈良屋茂左衛門はある朝、
探りに出していた宗助から宝永通宝が廃されるとの報告を聞く。
宝永通宝は金銀の含有率を大幅に引き下げた悪銭であった。
将軍徳川綱吉は、その差益で幕府の増収を図ろうとしたが死去。
家宣にと政権は代わり、宝永通宝は側用人の間部詮房、侍講の新井白石らによって廃されたのである。
その宝永通宝の新鋳を請け負っていたのが、
奈良屋茂左衛門のライバル紀伊国屋文左衛門であった。
紀伊国屋はこれで終わりだな、と奈良屋は思った。
そこにはひとつの時代が終わったことの寂しさと、
金に執着してきた己れの人生への虚しさが入り混じった複雑な感慨があった。
奈良屋は紀伊国屋と張り合うように競ってきた豪遊の日々に思いを馳せる。

奈良屋茂左衛門は材木問屋として幕府の中枢とつながって巨富を積み上げ、
江戸に奈良茂ありとまでもてはやされた豪商。
紀伊国屋文左衛門も同じ幕府御用達の材木商人で、
東叡山寛永寺における根元中堂の建立によって巨富を築いた人物です。
ふたりはライバル関係でしたが、
遊びの面でも競い合った仲で、吉原などでの豪遊伝説は数知れずと言われています。
この小説は、なんとなく葛飾北斎と安藤広重のライバル関係を描いた
「旅の誘い」や「冥い海」を彷彿とさせます。
遠くでお互いを認めあうが、近づこうともしない。
ただお互いを意識する感情だけが高まっていく。そういう関係ですね。
併せて読むと面白いかもしれません。
ただこの小説ですごく印象的なのはお里という女の子と宗助ですね。
彼らのことは短篇ですからばっさり省いてありますが、
彼らの言葉や振る舞いがとても際だっていて、
奈良屋の持つ金というものをいっぺんにうさんくさいものにします。
霜の朝という題は冷え始めの意味もあると思いますが、
土が霜で浮いているんですね。
踏むとぐっと沈む。
金を追いかけてきた奈良屋や紀伊国屋の、そういう危うさも表しているんじゃないかと……
奈良屋が吉原でお大尽遊びをして、小判をばらまきます。
だがそのばらまいた小判を拾わない女の子がいることに奈良屋は気づき、
お前は小判を拾わないのか、と声をかける。
十二歳のお里は答えます。

「お金は働いてもらいます」

このセリフぐっときます(笑)

そのほかの収録作品

「報復」
「泣く母」
「嚔」
「密告」
「おとくの神」
「虹の空」
「追われる男」
「怠け者」
「歳月」

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2008-10-28(Tue) 01:12| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

海坂の四季-藤沢周平「蝉しぐれ」

「蝉しぐれ」

藤沢周平「蝉しぐれ」
(文春文庫)


藤沢周平のファンに、あなたのベストワンは何?と聞くと、この小説をまっさきに挙げる人が多いと思います。
それほどに人気の高い長編小説ですね。
藤沢周平が生み出した時代小説の傑作のひとつといっても過言ではない。
市川染五郎、木村佳乃主演で映画にもなりましたので、
「蝉しぐれ」という題名を誰しも一度は聞いたことがあると思います。
この題名、じつになんというかリリカル、ほんとうに美しい題名だという気がします。
今回読んだのは2度目。再読にも関わらず、最初読んだときと同じく、
夜も寝ないで一気に読み耽ってしまいました。
そして最初に読んだときに胸が詰まったあの箇所で、案の定、やっぱりウッと来ましたね。
物語の最初のほうなんですが、そのあたりに近づき、あ、ダメかも(笑)と思ったときはすでに遅く、胸が詰まって泪がじんわり……
年のせいか涙腺ゆるいことおびただしい(笑)

牧文四郎は十五歳。海坂藩普請組牧助左衛門の長男である。
ある夏の朝、家の裏を流れる小川に顔を洗いに出る。
隣家の裏では同じように同役の小柳の娘ふくが出て洗濯をしていた。
ふくは十二歳。ちいさい頃から物静かな娘であるが、体がふっくらと丸みを帯びはじめた年頃になると、少し文四郎を避けるような態度をとりはじめていた。
文四郎は何かふくに疎まれることをしたかと考えたが、いっこうに思い当たることがなかった。
そのときふくの叫び声が聞こえる。蛇に噛まれたのだった。
文四郎が駆けつけ、ふくの手を取ると指の傷口を強く吸った。
ふくは蛇の毒に怯えて泣いたが、文四郎は蛇はヤマガラシだから心配ないとふくをなだめる。
ふくは家に入り、文四郎は逃げた蛇を探して殺した。
剣の道場と私塾へ通い、貧しいながらも友人たちと楽しく励み語らう日々。
元服を目前に、海坂藩での文四郎の青春は、これからいっそう眩しい時期を迎えようとしていた。
そんな中、突然文四郎の運命を狂わす大きな異変が起こるのだった。

小説の舞台となるのは海坂(うなさか)藩。
そこに生きるある少年藩士の淡い恋、友情、そして成長を描いたものです。
こう書いてしまうといかにも平凡な青春時代小説を想像しますが、
運命に翻弄されながらも、強く生きていく少年の姿はつらつとして凛々しく、凡百のものには無いこの小説の大きな魅力になってます。
海坂藩というのは藤沢周平の小説にたびたび出てくる架空の藩です。
海坂は藤沢周平が結核療養時代に属していた静岡の俳詩「海坂」から名付けたもので、モデルとなったのはおそらく荘内藩。町は鶴岡だろうと言われています。
小説での海坂藩内の風景描写が、ほんとうに鮮明で懐かしく、読む者の深い郷愁を呼び起こします。

この小説にはちょっと哀惜というか、そんなものがすごく感じられます。
ひとつには文四郎や文四郎の父母、友人たちやふく、そういった人々の輪郭が、ある種の叙情を帯びているからではないか、とそう思いました。
そしてそれはどこからそんな感じがくるのだろうかと考えたとき、それはひょっとして海坂藩の風景ではないだろうかと。
つまり藤沢周平の手で描かれ、深い郷愁を呼び起こす海坂藩の四季の風景。
その四季の風景のなかにあるからこそ、誰も彼れものたたずまいが叙情を帯びてくる。
だから哀惜の感が強くなるのだと。
それを秋山駿は藤沢周平の詩魂と呼びましたが、まさしくその通りかもしれません。
もうひとつは文四郎とふくの淡い恋。
夏の終わり、文四郎が切腹した父親を一人で引き取りに行き、荷車に遺骸を乗せて家へと帰っていく場面があります。
人々の好奇の目に晒されながらも、途中で会った道場の後輩に荷車を押してもらい、遠い道のりをへとへとになりながら、ようやく自分の家のある坂の下まで帰ってくる。
父親の遺骸が重く、長いのぼり坂でふたりとも精魂尽き果てる。
そこへひとりの少女が文四郎の家の前から駆けてくる。
ふくです。
ふくはそばまで来ると、車の上の遺体に手を合わせ、それから歩き出した文四郎によりそって梶棒をつかんだ。無言のままの眼から涙がこぼれるのをそのままに、ふくは一心に梶棒をひいていた。
そして文四郎とふくの背に、しだくような夏の蝉しぐれ……
遺骸を乗せた荷車引いてんの、みんな子供なんですよ。
だめなんです(笑)
ここにくると万感胸に迫るものがあります。
書き写しているだけでももういけません(笑)
結局ここなんだろうと思います。
この先いろんなことがこの二人にふりかかってきますが、すべての始まりがこのさらりとした2、3行のなかに在ると思います。
とにかくとてもいい小説です。

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2008-10-23(Thu) 00:23| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 1

人としての誇り-藤沢周平「隠し剣秋風抄」

「隠し剣秋風抄」

藤沢周平「隠し剣秋風抄」
(文春文庫)


海坂藩で暮らす剣客たちの悲喜交々を描いた連作、隠し剣シリーズの第二集。
隠し剣シリーズも全部で十六編となり、登場する剣客たちもじつに多彩です。
藤沢周平の初期に属するこのシリーズ。
あたたかみと、ほど良い暗さとが同居した滋味溢れる傑作シリーズですが、
通底するテーマは思うに矜持、つまり人としての誇りではなかったかと、そう思います。
不遇であったり、己が身に負を背負わされている主人公たちにとって、
封印された一人相伝の秘剣は人としての誇り、その最後の拠り所です。
そして窮地にその秘剣を解き放つときは、人としての激しいプライドの発露であり、己への生きたことの証だてなんだろうと思います。
この「隠し剣秋風抄」最後を飾るのは「盲目剣谺返し」です。
「武士の一分」という題名で映画化されたのは記憶にあたらしいところ。
一分とは身の面目であり、身分にふさわしい名誉のことです。
盲目となった三村新之丞が妻をたぶらかした元上司に、文字通り武士の一分を賭けて挑んでいく物語なんですが、シリーズの最後にこの作品を置いたのは意味のあることで、シリーズを通して藤沢周平が描きたかったのは、やはりこれじゃなかったかと、そう思いました。
でもまあ、そんなことまで考えなくても理屈抜きに楽しめる傑作シリーズなのは確かです。

「酒乱剣石割り」

作事組の弓削甚六は丹石流の秘剣石割りを伝授されたほどの剣士。
だが悪癖があった。酒乱なのである。
本人には酒を飲んで暴れたという記憶はまるでない。
家では大女の妻に頭が上がらず、口べたでいっこうに風采の上がらない男なのだが、ひとたび酒が入れば、気分が高揚し集中力も増して、朗らかになり、信じられないほど滑舌になる。
しかしそれが頂上を越えてしまうと、途端に訳の分からない哀しみが胸を締め付け見境もなく暴れ出す。そういう男だった。
その甚六が次席家老に呼び出される。
聞けば国に害をなす側用人を討つので、その息子である剣客の成敗を命じるというものだった。
甚六は次席家老から成就の暁まで酒は飲むなと厳しく言い渡されるが……

どうも酒好きのものにとっては身につまされる話です(笑)
小柄でいっこうに風采が上がらない甚六は、さらに酒乱という不名誉なレッテルを張られています。
酒好きなのにいつも飲む金にも困っている。
その甚六にはこれが兄妹かというほど似ていない美人の妹がいます。
その妹がさらわれ、まさしく乱暴狼藉されようかという現場に乗り込んでも、
甚六はまるで剣士としての力量を発揮できない。
そういう情けない甚六が、最後には秘剣で見事に勝ちます。
でもこれは酒の力を借りてのことなんです(笑)
で、その酒乱の勢いで妹の復讐にも行こうとする。
もう自分では止められない。
酒乱ゆえに武士の誇りを賭して彼岸へ飛ぼうとする甚六。
そこになんとも云えない作者の皮肉な、それでいて暖かい視線があります。
いやほんと、この話、身につまされます(笑)

「盲目剣谺返し」

海坂藩毒味役を賜る三村新之丞は、お役目の際、笠貝の毒にあたり盲目となった。
その新之丞には貞淑な妻の加世がいた。
骨身を惜しまず尽くす加世に支えられて生きる日々。
だが盲目ゆえに気配に鋭敏になった新之丞は、以前にはなかった妻のかすかな異変に気づく。
従姉の以寧からも、夫が加世を歓楽街で見かけたと言っていると告げられ、
半信半疑ながら下男の徳平に出かける加世の後を附けさせる。
そして加世が新之丞の元上司である島村と会っていることが判明する。
加世は盲目のために無役となった新之丞のために、
自分の身を犠牲にして島村に取りなしを頼んでいた。
だが島村は加世の弱みにつけ込み、加世の体を弄んでいただけだった。
新之丞は加代を離縁し、武士の誇りを賭けて島村を討つため、
加世のいない寂寥に耐えながら、伝説の秘剣を会得しようと稽古に励み出す。

映画化ですっかり有名になったストーリーです。
いまさらな感じがするけれど、やはりこのストーリーはシリーズの中でも出色のものだと思います。
シリーズ最後の方には「暗黒剣千鳥」もそうですが、秘剣を持っていなくて、
秘剣に対抗する主人公というのも出てきます。
シリーズも回を重ねてよりヴァラエティに富む構成になっているんですね。
新之丞もはじめから秘剣を習得していない主人公という設定です。
その秘剣もまだ誰も見たこともない伝説のもの。
その困難な伝説の秘剣を盲目の身で会得し、
島村に打ち勝っていく過程がカタルシスを呼び、
夫婦の愛をさりげなく取り戻す結末とない交ぜになって、深い余韻を残します。
最後に徳平の配慮で、女中となってひそかに三村家に戻った加世。
その加世が出した料理の、長年親しんだその味で加世だと気づく新之丞。

「食い物はやはりそなたのつくるものに限る。徳平の手料理はかなわん」

そうさりげなく言う場面はやはり泣けます(笑)
この作品は映画になるべくしてなったというほかありませんね。

そのほかの収録作品

「汚名剣双燕」
「女難剣雷切り」
「陽狂剣かげろう」
「偏屈剣蟇ノ舌」
「好色剣流氷」
「暗黒剣千鳥」
「孤立剣残月」

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2008-10-18(Sat) 21:25| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

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