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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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江戸の恋はしみじみと-宇江佐真理「余寒の雪」

「余寒の雪」


(文春文庫)


2001年に第7回中山義秀文学賞を取った作品集です。
中山義秀文学賞というのは歴史・時代小説を対象とした数少ない文学賞で、
2004年には乙川優三郎も受賞しています。
おそらく宇江佐真理という小説家にとって、
岐路に位置する重要な作品集だろうと思います。
まだ初期のころなので、展開に少しぎこちなさがあるとはいえ、
なかなかの物語巧者です。
とくに派手でもなく淡々と刻まれる恋物語は、
繊細に書き込まれた江戸の世界を背景に、
淡いゆえにでしょうか、
かえって情感溢れるものになって妙に胸を打ちます。

「梅匂う」

小間物屋の主人助松は、三年前に女房を亡くし、それ以来のやもめ暮らし。
子供もいなかったので仕事の忙しさにかまけるうちに、
いつしか寂しさも薄らいで、気ままなひとり暮らしを続けていた。
その助松が仕事の終わったある日、
両国広小路でふと漂ってくるかすかな匂いにつられ、
大通りから細い通路へと足を踏み入れる。
そこは見世物小屋の楽屋の裏手につながっており、
楽屋ではいま女力持ちで評判を取っている大滝太夫が化粧台に向かっていた。
助松は大滝太夫の顔を覗き見るなり、一目で惹かれてしまう。
それ以来助松は見せ物小屋へと足繁く通い始めることに……

助松と大滝太夫の恋の顛末を描いた物語。
大滝太夫は見世物小屋に出ている力持ちの大女です。
とはいえ、山のような大女かというとそうではありません。
でもやはり並の女性より大きいということで、
大滝太夫は心に屈折を抱えています。
助松は小屋に通い詰めたあげく、大滝太夫とめでたく結ばれる。
大滝太夫が助松の家に泊まるようになり、
助松に至福のときが過ぎるのですが、
大滝太夫には昔から間夫がいて、
自分のような大女にはじめて好きだと言ってくれたその男から、
どうしても離れることが出来なかった。
そのことがわかって大滝太夫は助松の許を去ります。
助松は美人水の容器に大滝太夫の姿を入れて売り出し、評判を取ります。
でも心は晴れない。
結局大滝太夫は助松のところへ帰ってきます。
助松の家の前に雨に濡れながら立ってる。
間夫と小屋主が組んで、はじめから大滝太夫を騙していたんですね。
で、逃げてくるわけです。
最後に夜泣き蕎麦屋を呼ぶ場面があります。
家の前の道に出て、もうずっと前から助松の女房だったように、
夜泣き蕎麦屋を呼ぶ大滝太夫の声を聞きながら、
くすぐったいような安心感が助松を包み込む。
なぜかこの場面、しみじみといいです。

「余寒の雪」

知佐は仙台藩旗本原田文七郎の娘。
女ながらに武芸に秀で、
奥向きの女中たちに武芸指南をする別式女を夢見ていた。
男髷に袴姿。物言いも男である。二十歳を迎えるというのに縁談もない。
知佐の行く末を案じた原田夫婦は親戚に相談し、ある計画を立てる。
仙台に初雪が降った頃、知佐は叔父夫婦とともに江戸に向かう。
投宿先は八丁堀北町奉行所同心鶴見俵四郎の家だった。
着いた早々、知佐は俵四郎の母春江にいきなり自分の祝言のことを聞かれる。
じつは知佐を俵四郎の後添いにと、一族で仕組んだ計画だったのだ。
怒り心頭の知佐だったが、叔父夫婦になだめられ、
とりあえず俵四郎の家にしばらくやっかいになることに。
俵四郎は子供がいた。
松之丞という五歳になる小生意気な男の子である。
さっそく松之丞が知佐をからかいはじめるが……

この小説、じつに清々しい読後感が残ります。
知佐の心境の変化が読みどころなんですが、
俵四郎との間というより、松之丞との交流が知佐を変化させていきます。
それにしても知佐と小生意気な松之丞のやりとりがいいですね。
宇江佐真理は子供を描くのが本当に上手です。
まずもって物言いが愛くるしい。
これだけでも作家としてはだいぶ得するんじゃないかと思います(笑)
「寒露梅」でも花魁付きの禿と呼ばれる少女達が登場します。
その禿たちのしぐさや物言いがとても印象的でした。
この小説、男やもめと小生意気なガキ、
そこに男勝りの行き後れの娘が登場する。
この構成だけでオチがだいたい想像つきます(笑)
収まるところへ収まる、
大団円を絵に描いたような物語ではありますが、
でもこれをマンネリと言うなかれ、
人情小説とは偉大なる予定調和です(笑)
最後の読後感までもがこの小説のオチだと思うほどに、
上手く書かれた小説です。

「梅匂う」で出てくる見世物小屋。
いろいろと哀しい話もあったようです。
江戸時代の見世物小屋の芸人は、芸を持つ人たちとは別に、
身体的な特徴を売りにする見世物がありました。
「親の因果が子に報い~」
いわゆる因果ものです(笑)
たとえば人並みはずれて毛深いので「熊女」とか。
まあ、暮らしのためには仕方が無いこととはいえ、
本人たちの気持ちはどうだったんでしょうね。
もっともばかばかしいのもあって、
有名なところでは「六尺の大いたち」
なにかといえば、六尺の板にべっとりと赤い絵具が塗って置いてある。
ただそれだけ(笑)
でもこれを洒落だとわかっていて、江戸の人たちは鷹揚に受け流す。
レベル高いですね(笑)

そのほかの収録作品

「紫陽花」
「あさきゆめみし」
「藤尾の局」
「出奔」
「蝦夷松前藩異聞」

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2008-11-27(Thu) 00:19| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

過ぎ去った懐かしい時間-宇江佐真理「あやめ横丁の人々」

「あやめ横丁の人々」

宇江佐真理「あやめ横町の人々」
(講談社文庫)


宇江佐真理2003年の作品です。
旺盛に書き続ける女流作家、さてどこからいこうかと迷います。
しかし、ま、年代順にとかいっても、あまり長い歴史のある作家ではないと思うので、当たるを幸いに片っ端から、という芸の無い、いつもの手で(笑)

幕府書院番頭紀藤家の三男慎之介は、同じく小姓組頭の笠原家の娘、
七緒との婚儀が整い、入婿になって笠原家の跡継ぎになることが決まった。
ところがその祝言の日、突然花嫁の恋人が現れ、七緒を連れ去ってしまう。
後を追った慎之介は七緒の恋人の挑発に乗り、逆上のあまり斬ってしまった。
花嫁の七緒も男の後を追って自害してしまう。
この騒ぎで笠原家は閉門の身となり、
跡継ぎのいなくなった以上いずれは断絶の憂き目に遭う。
恨んだ笠原家は慎之介の命をつけ狙う。
当初、若党の吉野と共に日本橋に隠れ住んでいた慎之介だったが、
追っ手に踏み込まれ、
最後の潜伏先として決められていた本所のあやめ横丁にひとり逃げ込み、
その町にかくまわれることになる。
しかしそこは訳ありの人々が暮らす不思議な町だった。

このあやめ横丁という江戸市中に造られた箱庭のような不思議な町に暮らす人々と、旗本三千石のお坊ちゃんである慎之介の交流が小説の軸です。
あやめ横町はいわば猶予された人々が暮らす町。
住民たちがいったいなにを猶予され、なぜこの町に暮らすに至ったか、
その謎を解き明かしていくことと、
そしてあやめ横丁で子供たちに手習いを教えながら、
住民たちの抱える過去に真摯に向き合っていくことで、
世間知らずのお坊ちゃんから次第に成長していく慎之介の姿。
そこが読みどころのひとつです。
慎之介はあやめ横丁を縄張りとする目明かしの権蔵の家に居候するのですが、その家には伊呂波という17歳になるおきゃんな娘がいます。
この伊呂波と慎之介が恋に落ち、その行方がどうなるか、
それもまたこの小説の需要な柱です。
あやめ横丁はあの鬼平こと長谷川平蔵が、
幕府に献策して造ったという人足寄場に少し似ていますが、
こういう町は実際には無かったと思います。
でもこんな町を拵えるというアイデアは面白いですね。
湯屋や居酒屋、貸し絵双紙屋、茶葉屋、小間物屋などなど、
岡場所と水茶屋の他にはすべてが揃う町。
表店の後ろには長屋があり、そこでも人々が日々を営み、
その路地裏を行き交う物売りの声も江戸情緒たっぷりです。
この小説には江戸の町場の言葉がふんだんに使われています。
そういう江戸庶民の言葉と慎之介の使う武家言葉を対比させることで、
身分社会の落差を感じさせ、
地口なんかの町場の言葉をまるで理解できなかった慎之介が、
隠されたその意味を理解していく。
それが慎之介の成長をあらわす仕組みになっているというのも面白いです。

おそらく慎之介が人を斬ったことがきっかけなのと、
こういう町が実際はありえないこと、
そのあたりをどう捉えるかでこの小説を読む人の感想が違ってくると思うけど、
いやこの小説、最終章にほんとにジワッと来て、目頭が熱くなります(笑)
最終章「六段目」は、
慎之介があやめ横丁を去ってから10年の歳月が流れたある日、
あやめ横丁に大事件が起こり、慎之介が再度訪ねることになるのですが、
この10年の歳月が経った、というくだりが最後に置いてなければ、
はじめはお坊ちゃんだった主人公が、周囲の人々との関わりの中で、
だんだん大人になっていくただのビィルグンドゥスロマン、
成長小説で終わったでしょうね。
あやめ横丁には不幸な子供たちが何人もいます。
その子供たちのひとりを約束を守って、
幕府の要職へ登った慎之介が身内に加える。
読んでいて、子供たちの幸せを願うとこうして欲しいなと思うことが、
10年の歳月の中で実現されたと知らされる。
読者は収まるところへ収まったという安堵感を持ちます。
そういう予定調和のツボみたいなものをこの小説は押さえている気がします。
そして身分も何もない人と人とのふれあいの中で育まれた賑やかで、
すでに懐かしい時間。
それを共有した読者は、
10年が過ぎた最終章でその時間が過ぎ去ったことにとても哀切を感じます。
小説に流れる時間といっては身も蓋もありませんが、
泣かせる小説は、
その時間を読者に共有させることにとても優れているんだと思いますね。
そして時間もまた人情話の大事な要素なのかも知れません。
そういう意味ではとてもいい小説だと思います。

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2008-11-15(Sat) 16:15| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

酸いも甘いもやがて吉原の味-宇江佐真理「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」

「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」

宇江佐真理「甘露梅-お針子おとせ吉原春秋」
(光文社時代小説文庫)


お針子となって、江戸の傾城町吉原に住み始めたおとせの目を通して、
吉原の華麗な春秋や遊女たちの哀切な物語が語られる連作短編集です。
さて多くの時代小説を手に取りながらも、
じつは今回はじめて宇江佐真理を読みました(笑)
最近は女性時代小説家も多く、
いいものをたくさん書いているという評判にもかかわらず、
女性時代小説家にはまるで手を付けていなかったんです。
好き嫌いという問題ではありませんが、
なんとなく腰が引けて先送りにしていたというのが本音です。
なぜ腰が引けるのかは自分でもよく分かりませんが(笑)
で、一読……。
良かったです。
なぜもっと早く読まなかったかと後悔しきり(笑)

岡っ引きだった亭主の勝蔵に先立たれ、後家となったおとせ。
呉服屋の手代となっている長男が嫁をもらうことになり、
狭い裏店で新婚夫婦とは暮らせないからと、
江戸町二丁目の新吉原大見世、海老屋のお針子として住み込みで働くことになる。
吉原名物、仲ノ町の桜見物も済んだ五月のある日、
九郎助稲荷に詣でたおとせは、
そこで一心にお百度詣りをする若い遊女を見かける。
そしてお詣り最中のおとせにひとりの男が声をかけた。
海老屋と懇意にしている引手茶屋の主、花月亭凧助である。
凧助はあの若い遊女は雛菊という振袖新造で、
雛菊には間夫がいて、いまにも駆け落ちするのではないかと心配しているという。
遊女が吉原大門を出るのは容易ではないし、
捕まれば、最下層の河岸女郎に落とされる。
雛菊の父親とは幼なじみで、くれぐれもと頼まれていると凧助は言った。
ついてはおとせにそれとなく雛菊に無茶な真似をしないよう、
諭してくれないかと頼むのだった。
その頼みをおとせはしぶしぶながら引き受けるが……

この小説、まず江戸の一大傾城街であった吉原が題材でありながら、
お針子というひとりの裏方の目を通して物語が語られる。
これがまず新鮮でした。
吉原は江戸の不夜城。そこは流行の先端であり、
花魁たちは一種のアイドルでした。
今でいえば芸能界みたいなものでしょうね、
三月の仲ノ町の夜桜などは一般の人も見物したといいますから、
吉原というのは江戸の人々にとって想像以上に華やかな町だったと思います。
そうはいっても女たちが身体を売って暮らしている苦界にかわりありません。
裏に回ればとても平静ではいられないような話もごろごろしてます。
そういう世界に身を置いたおとせ。
元は岡っ引きの女房ですから、
どうしても納得がいかない感じにつきまとわれ、いろいろ悩んだりします。
でもそれをサポートするふたりの男の存在。
そしてそのふたりの男と、おとせのやりとりがすごくいいです。
引手茶屋の主でありながら太鼓持ちでもある凧助、
そして海老屋の伎夫である筆吉。
筆吉は海老屋の看板である喜蝶の幼なじみであり恋人でもあります。
でも遊女と伎夫の恋は固いご法度。
筆吉と喜蝶の秘めた恋の行方がこの小説の大きな縦糸になっています。
女たちの身体を売り買いする廓の世界。
そんな世界で生きる男たちは、
おそらく廓の掟に沿うことで非情にならざるを得ず、
内心を押し殺した独特の人格が出来上がってくるんだろうと思います。
そういう男たちであるはずの凧助や筆吉が見せる男振りや優しさは、
物語に奥行きを与えつつ、ともすればただの暗い廓話の類から、
この小説を救う大きな役割を担っている感じがしますね。

そしてそういう男たちと廓の商品である遊女。
彼女たちもまたひとりひとり悲哀を抱え、
おとせにさまざまに関わってくる。
花魁たちが使った独特の廓言葉があります。里なまりともいわれています。
「そうでありんす」
「お入りなんし」
「わっちにはようわかりいせん」
もっと多様にありますが、
なぜそういう言葉を花魁たちが使ったかといえば、
いろんな土地から集まる女たちのお国言葉を隠すためであったことと、
遊客を日常ならざる廓という別世界へ誘うためだったといわれています。
しかし海老屋の花魁喜蝶や薄絹、
最下層の河岸女郎に落とされた元花魁の浮舟の使う廓言葉は、
どんなときも常に自分の本心を包み隠すように、妙にもの悲しい響きを持ち、
遊女の悲哀を余計に感じさせます。

おとせはそんな遊女や男たちのなかで、
いろいろな出来事に関わっていくのですが、
思うに、廓にはあるはずのないおとせという母性を、
吉原という傾城の町に置いたことが、この小説の良さじゃないかなと思います。
廓の内で禿(かぶろ)同士がお手玉して遊んでいる。そういう描写があります。
禿(かぶろ)というのはだいたい7、8歳の女児で幼いときに廓に売られてきて、
花魁の小間使いをする。幼い頃から遊女になることが運命づけられている。
そういう子供たちです。
その子供たちに向ける眼差しが、とても母性というものを感じさせます。
疳の虫を起こし、消し炭を飲み込んだ禿のひとりをおとせが抱いてあやし、
吐かせる場面なんかも、そうですね。
でもこれはほんとう女性作家ならではのものです。
男じゃ書けない(笑)

いやこの小説、なかなか良かったです。
腰が引けたのも治ったみたいなので、
つづけて宇江佐真理、読みます(笑)

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2008-11-01(Sat) 20:35| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

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