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時代小説、映画、JAZZ、それらを大人の楽しみとして愛でること。雨の夜の鴉のごとく、耳鳴りとともに日々の悪夢に苛まれつつも。

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いのち永代、恋せよ深川-宇江佐真理「深川恋物語」

「深川恋物語」


(集英社文庫)
宇江佐真理「深川恋い物語」

1998から1999年にかけて「小説すばる」に掲載され、
2000年に第21回吉川英治文学新人賞を受賞した宇江佐真理の作品集です。
思わず唸ってしまうほどの作品揃い。
どの作品もそれぞれに素晴らしい出来だと思います。
なによりも物語に描かれている人々が生き生きとして、
物語が生気を帯びてます。
もともと宇江佐真理は江戸の雰囲気を描くのはとても巧みですが、
物語としてはあれっと思うような、
残念な終わり方するような作品もあります。
正直言うと群を抜くストーリーテラーというわけじゃない(笑)
それがこの作品集はちと違います。
何かが乗り移ったかのような、描写も筋もすこぶる付きの上手さです(笑)
本の表題は「深川恋物語」とありますが、
物語は恋の話ばかりじゃなく、
胸温まる話、切なくほろ苦い話など、
深川に生きる人々の哀歓が綴られた、まさしく珠玉の作品集。

「下駄屋おけい」

永代橋近くの深川佐賀町にある太物屋、
伊豆屋のひとり娘おけいは大の下駄好きである。
伊豆屋の向かいに下駄清という小さな下駄屋があり、
そこに働く口の利けない下駄職人、
彦七の造る下駄がおけいのお気に入り。
下駄清のひとり息子巳之吉はおけいの幼なじみ。
その巳之吉がこの春家から十五両という大金を持ちだして居なくなった。
居なくなってはじめておけいは巳之吉への想いに気づく。
おけいは深川中を探し回るが、ついに巳之吉は見つからない。
おけいのもとには大店の履物問屋から縁談が来ていた。
おけいは巳之吉を諦めて嫁に行こうと決め、
彦七に最後の下駄を注文する。
おけいはむつかしい注文をつけたが、
いつもの彦七ならたちまち出来上がってくるはずなのに、
今回ばかりは何度手直ししても、
なかかおけいの気に入るものが出来上がってこない。
五度目の手直しで、やっと気に入ったものが出来上がってくる。
おけいは彦七に礼を言おうと、店から帰って行く彦七の後を追い、
とうとう家まで行く。
そこでおけいの見たものは……

収録作品のなかではもっとも宇江佐節が良く出ている作品です。
明るく、ほんわかコミカル(笑)
上質のコミックを読んでいる感覚さえします。
おけいの厄介な注文の下駄を拵えていたのは、
じつは女にだまされた後、深川に舞い戻り、
彦七の家でひそかに下駄作りの修行をしていた巳之吉でした。
巳之吉は注文主がおけいとは知らず、
一生懸命下駄を拵えていたわけです。
おけいと巳之吉の会話がいいですね。
最後はほほえましいハッピーエンドで終わります。
大川端の佐賀町。その川べりの町にある大店の太物屋と、
向かいにある小さな下駄屋。
そのふたつの家にほがらかな陽光が差し、
大川の川面もきらきら照り映えている。
そんな感じの物語ですね。

「さびしい水音」

小さい頃から絵を描くのが好きだったお新。
亭主である大工の佐吉は、
お新の父親に絵を描くのだけは大目にみてやってくれと言われていた。
お新は佐吉に内緒でおもちゃ絵の内職をしていた。
そのことが佐吉に知れると、
じつはもっと描いてくれと頼まれていると打ち明ける。
家のことも手を抜かないお新に佐吉は理解を示す。
お新のおもちゃ絵は評判になり、
そのうち画集を出さないかという話が舞い込み、
お新は画集を完成させる。
その画集は思わぬ評判を呼び、
お新のもとには大勢の版元が押しかけて、
注文は引きも切らなくなった。
ふたりは裏店を出て、表通りに一軒家を借り、
家の中のことも人を雇って任すようになった。
羽振りの良くなった二人、お新は着物を揃え、
佐吉は下の者に酒や飯を奢るようになっていく。
そのうち怪我をして働けなくなった佐吉の兄、
貞吉の嫁のお春が頻繁に金の無心に来るようになっていた。
だが、きちんとした師匠についていなかったお新は、
たちまち仕事に行き詰まる。
ふたりの生活費やお春の無心に耐えかね、
お新はある絵の注文を受けることに。

結局お新がわじるし(春画)を描くことをきっかけに、
佐吉とお新は別れることになります。
お新は絵を描くことは好きだが、
絵の仕事をこなしていくことに、どこか自信が持てない。
それにこの時代は、絵師や戯作者でもちょっと目立つことをすると、
すぐに手鎖の刑ですから、そういうのも怖い。
生活は派手になり、お春からは遠慮のない無心もくる。
一方佐吉はちゃっかりお新の稼ぎを当てにしているところもある。
理解があるようで、要するに普通の男なんですね。
まあ、こういうふたりですから、万事がコントロール出来なくなっていき、
心がどんどんすれ違っていきます。
そのすれ違っていく心の過程、その描写がとても上手い。
表題の「さびしい水音」というのは、お新が佐吉と別れてから出した画集、
その中にある一枚の絵の題名です。
深川の堀に架かる橋の上から、
堀をじっと覗きこんでいるひとりの男の絵です。
そのさびしい水音を聞いていたのは、
果たして佐吉だったのか、お新だったのか。
ラストまで気合いのこもったとてもいい小説です。
ま、宇江佐真理も主婦で作家ですからね。
いろいろあるかも知れないですね(笑)

「狐拳」

深川三好町の材木問屋信州屋の内儀おりんは、
長男の新助の吉原通いに手を焼いていた。
吉原の大黒屋にいる振袖新造、小扇に惚れての吉原通いである。
おりんももとはといえば深川の芸者あがり。
強くも言えなかった。
おりんは信州屋の後添い。
新助は亭主の竹次郎の連れ子である。
おりんは二十歳のときに子を産んだが、植木屋の夫婦に貰ってもらった。
そのぶん新助を大事に育てた。
亭主の竹次郎に相談すると、
竹次郎は小扇を身請けして新助の嫁にすればいいとあっさり言う。
おりんは反対したが、やがて小扇は身請けされ、
いったん知り合いの家に世話になることに。
しばらくして嬉しいはずの新助が浮かない顔をしている。
おりんが問いつめると、小扇が信州屋の嫁にはならないと言っているという。
おりんはさっそく小扇に会いに行くが……

最後はなにやら温かいものがこみ上げてくる物語です。
小扇はじつは捨てたはずのおりんの娘、おふくでした。
金に困った植木屋の夫婦に、吉原に売られたのです。
それをおふくから聞かされて卒倒するおりん。
ようやく信州屋に来たおふくに、おりんは語ります。
新助とうまく行かないとなったら、わっちと一緒にこの家を出るしかない。ただの嫁じゃない。わっちの娘だもの。そうするしかないだろう?
親子とか、家族とかそういうものに囲まれて暮らす幸福を、
かけがえのないこととしてしみじみと感じさせてくれます。
狐拳はラストにおりんと小扇が賑やかにやる、
藤八拳、庄屋拳とも呼ばれるじゃんけん遊びに似た拳遊び。
お座敷遊びとしてとても流行したそうです。
歌麿が描いた浮世絵「狐拳三美人」なんかでも有名ですね。

このほかにもスイカの凧をどうしても空に揚げたかった小さな娘。
だがその願いが叶う前に亡くなってしまう。
そのせめてもの供養に、
思いをこめて青い空にスイカの凧を揚げる「凧、凧、揚がれ」
思わず泣いてしまいます。
これが一番好きかもしれません(笑)

この小説、深川のあちこちの地名がたくさん出てきます。
時代小説の市井ものは江戸の深川という場所が舞台になることが多い。
宮部みゆきも時代小説「本所深川ふしぎ草紙」で、
同じように吉川英治文学新人賞を受けてますから、
深川を冠すればこの賞はまず間違いはないかと。
そんなことはないか(笑)
とにかく深川という場所、時代小説ではメッカですから、
いろいろ読んでいるうちに、自然と橋やら町名やら覚えてしまいます。
後は自然と江戸切絵図。場所を確認したくなるのは人情です。
古地図を片手に時代小説を読むというのは、
またひと味違った楽しみがあります。
最近ではgooが古地図のサービスをしてますから、
お手軽にその楽しみが味わえます。
興味をもたれた方はぜひ。

そのほかの収録作品

「がたくり橋は渡らない」
「凧、凧、揚がれ」
「仙台堀」

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2009-01-22(Thu) 18:01| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 2

春はまだとて梅咲きぬ-山本一力「梅咲きぬ」

「梅咲きぬ」

山本一力「梅咲きぬ」
(文春文庫)


今年初めての山本一力。
正月ならずとも目出度さが良く似合う作家です(笑)
今回読んだのは「梅咲きぬ」
凛として強く、そして美しい。
そんな二代にわたる江戸深川の女を描いた長編です。
山本一力の江戸を舞台にした作品には、
必ずといっていいほど登場する江戸深川門前仲町の老舗料亭江戸屋。
山本一力のファンだったら、
店構えも、その広さもよく承知しているかもしれませんね。
とりあえず料亭江戸屋は山本一力の深川賛歌の象徴みたいな存在。
その江戸屋の女将は代々「秀弥」という名前を受継ぎます。
この度の主人公は三代目と四代目秀弥。
四代目秀弥は「損料屋喜八郎始末控え」に出てくる喜八郎の恋人、
江戸屋の女将秀弥と同時代なんですが、同一人物と思いきや、
この小説には喜八郎のキの字も出てきません。残念ながら(笑)
この作品、デビュー作「損料屋喜八郎」シリーズの、
スピンオフ作品として位置づけることも出来そうですけれど、
この小説以降の料亭江戸屋と女将「秀弥」の山本一力作品への露出度は
ハンパじゃありません。
そのあたりから考えても、
秀弥が主役の「梅咲きぬ」が一巻の本として出てきたのちは、
山本深川小宇宙の中心惑星は江戸屋であり、秀弥であって、
他の深川の星たちこそがスピンオフである、
ということも言えそうです(笑)
まずはじめに江戸屋と秀弥ありき。
山本一力はこの「梅咲きぬ」を
「わが思い入れ最高の作品」と言ってるらしいですから、
当たらずとも遠からずかな(笑)

江戸深川富岡八幡宮の本祭は三年に一度。
その本祭の前日、
氏子総代を務める料亭江戸屋の四代目女将秀弥は、
境内の飾りつけの仕上がりを見に来ていた。
秀弥は遠い昔、母である三代目秀弥とともに、
やはりこの本祭の前日の境内に来たことを思い起こしていた。
秀弥は玉枝と呼ばれ、まだ六歳だった。
そのときの母の美しさを秀弥は今でも忘れない。
玉枝は生まれながらに料亭江戸屋を継ぐ運命。
その玉枝に母の三代目秀弥は厳しい修練を課した。
六歳になった玉枝は、
踊りの師匠山村春雅のもとに稽古に行くことになる。
深川の芸妓たちに混じり、修業を始めた玉枝。
江戸屋の跡取り娘だが、
一番下の弟子である玉枝に、
芸妓たちは遠慮無く用事を言いつける。
広い稽古場の拭き掃除もひとりでこなさなければならなかった。
雛祭りも祝ってもらえず、なぜあたしだけがこんな目に……
玉枝はひとり泣くこともあった。
そんな玉枝に春雅は「つらいときは思い切り泣いたらええ、だが自分をあわれんではあきまへん」そう言って諭すのだった。
幼いながらも春雅の言葉に励まされる玉枝は、
それからの日々を懸命に耐える。

この小説、いわゆる成長小説のひとつなんでしょうね。
三代目秀弥が自分の娘である玉枝に、
江戸に名だたる料亭を背負っていけるよう、
英才教育をほどこしていく。
幼い玉枝は健気にも歯を食いしばって母の期待に応え、
自分でもその器量を開花させていく。
そういう玉枝の成長過程をたどるのが、
この小説の楽しみの部分です。
そして重要な存在が踊りの師匠である春雅と、その連れ合いである福松。
二人ともご老体ですから、玉枝にとっては祖父母のような具合になります。
母の三代目秀弥の養育を補うかたちで、
芸をきわめた春雅の厳しさと思いやり、
物事の見極めに秀でた、名人気質の福松の愛情が玉枝に注がれます。
そしてそんな母娘を深川衆の人情と心意気が優しく包みます。
主筋は玉枝の成長物語ですが、
料亭専門に徒党を組んで、
ゆすりたかりを重ねる悪党たちに江戸屋が狙いをつけられ、
玉枝の機転でそれを見抜くと、
母三代目秀弥が深川の肝煎衆や町内鳶たちの協力のもとに、
敢然と立ち向かう。
それこそ胸のすく、なかなかな場面もあります。
挫折もなしの玉枝はちょっと出来過ぎ。
そんな感じもしますが、
江戸深川に凛然と生きた女たち。
山本周五郎に「日本婦道記」という作品集があります。
貞淑で、強き日本の母、女性のモデルは、
おそらくここから生まれたと思うのですが、
強く美しい二代にわたる江戸の女を描いて「梅咲きぬ」
これはこれで山本一力なりの「婦道記」なのかも知れません。
力の入った良い小説です。

ところでこの小説、江戸思草に沿って書かれているように思います。
気づく人は気づいているでしょうが(笑)
江戸思草とは江戸商人たちが練り上げた生活哲学であり、
行動の規範だったとされているものです。
繁盛しぐさ、商人しぐさともいわれています。
その江戸思草の子供の養育方針がこれ。
「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理(ことわり)で末決まる」
三歳までに素直な心を持たせ。
六歳になると振舞いに節度をもたせる躾をし、
九歳ではきちんとした挨拶ができるよう正しい言葉遣いを覚えさせ、
十二歳では正しい文章が書けるようにさせ、
十五歳にもなると世の中の仕組みや物事の是非が分かるようにしなければならない。
ということなんですが、
玉枝は六歳で踊りの修業に出され、
九歳で母と一緒に新年のあいさつ回りを始める。
そしてわずか十五歳で四代目秀弥になり、
母の死ですぐに老舗料亭江戸屋を背負うことになります。
玉枝に訪れる節目はこれにだいたい符合します。
評判の「江戸しぐさ」のしぐさはもとは思草と書いて、
思いと行動のことですね。その合致が重要です。
傘を差してすれ違う時は、
相手に雨水が掛からないよう傘を外側に傾ける「傘かしげ」
これなどは有名な江戸しぐさ。
他人への思いやりが基本です。
まあこれは江戸商人というより、
江戸に暮らす町人全体の基本思想じゃなかったかと思います。
江戸は初期の頃から他国からどんどん人が流入してきて、
ついには百万都市になったわけですから、新参者ばっかり(笑)
幕府は知らん顔で町方の自治に委せていたところもありますから、
町人同士の摩擦や軋轢には自分たちで対処するしかない。
隣同士仲良く生きていく、
その共生の思想がなければ自治は崩壊するしかない。
他人に対する思いやりを持つことなしには、
暮らせなかったと思います。
人にあっては思いやり、我にあっては足るを知る。
ま、現在はもっとそれが必要な時代でしょうね。
なかなか出来ませんが(笑)

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2009-01-17(Sat) 16:57| 山本一力の世界| トラックバック 0| コメント 0

人の心の闇へ-藤沢周平「神隠し」

「神隠し」

藤沢周平「神隠し」
(新潮文庫)


昭和49年~53年の間に書かれた短編11編を収録した作品集。
直木賞受賞が昭和48年ですから、
直後の4年間に書かれたものということになります。
藤沢作品の初期のものは結末が暗いというのが相場ですが、
この作品集に収録されている作品もまた暗くやりきれないものが多い。
というより、ちょっと怖いかも(笑)
だいたい主題の多くが人の心の闇、その怖さに迫ったもので、
とくにやっぱ女はコェーわ(笑)と感じる向きもいるのではと……
いや失礼(笑)
でもこの作品集は数ある短編集のなかでも印象的なのものが揃い、
総じて粒よりです。
この短編集を藤沢周平一番の短編集にあげる人もいるくらいですから、
その充実度は推して余りあると思います。
ラジオの朗読なんかにもこの短編集の中から選ばれることも多いようです。
すべての作品をコメントしたいぐらいですが、
ここではとくに印象的だった3編を。

「昔の仲間」

大店の紙屋を営む宇兵衛は以前から腹具合が悪く、
同業の寄合があったその晩に倒れる。
医者の見立てによると胃の腑に腫れ物ができ、
すでに手遅れだと言われた。
余命はあと半年。
覚悟を決めた宇兵衛は身辺を整理すべく、
ひとつひとつ気がかりなものを数え上げた。
店は順調で娘の縁談も決まっている。
気がかりなものは無いはずだった。
だがそのとき一人の男の顔が浮かんでくる。
松蔵という昔の仲間だった。
宇兵衛と松蔵は三十年前に質屋へ押し込みを働き、
四百両という大金を手にし、山分けする。
二人はその金を元手にそれぞれ商売を始めたのだった。
そのとき今後一切顔を会わせないという約束だったが、
もし松蔵が落ちぶれていたら自分が死んだ後、
店に押しかけてくるかも知れない。
そうなれば店は潰れる。
怖れを感じた宇兵衛は、古手屋を営んでいるという松蔵を確かめに行く。
だが、松蔵はとうに店を畳んでどこかへ姿を消した後だった。
宇兵衛はわずかな手がかりを頼りに松蔵を探し始める。

とても上手くできた短編です。
宇兵衛はようやく松蔵を探し当てるのですが、
当の松蔵はとっくに宇兵衛の顔なんか忘れているわけです。
そこへ宇兵衛がやってきて俄に思い出す。
わざわざ会いに行かなければそのまま無事たったのが、
会いに行ったことで途端に思い出させてしまった。
この何ともいえない皮肉(笑)
寝た子を起こすとはこのことです。
結局宇兵衛は松蔵を刺殺してしまい、
松蔵に目をつけていた岡っ引きに捕らえられる。
人生の皮肉を扱った藤沢作品はいくつもありますが、
この短編は構成のうまさでひときわ光彩を放っている感じがします。
長い人生で人はいくつか旧悪を心の中に隠し持つことになりがちです。
それがなにかの弾みで噴き出し、気にかかって仕方の無いことになる。
そういうところを捉えているわけですが、
まあ誰しも覚えのあることですから、
自業自得とはいえ妙に宇兵衛が気の毒(笑)

「疫病神」

腕のいい表具師の信蔵は弟子も二人いて、店も家のなかも順調だった。
そんな信蔵のところへ小間物屋に嫁いでいる妹のおくにが、
行方不明だった父親の鹿十が見つかったと知らせてくる。
姉のおしなの亭主である長吉が、
近くの町にある湯屋の釜番をしている鹿十を見つけたのだ。
鹿十は腕の良い表具師だったが、三十半ばを過ぎたあたりから人が変わった。
飲む、打つ、買うの道楽が始まり、仕事を怠け、意見する女房を殴り倒した。
そのうちふっと姿を消してしまい、それから十八年が過ぎていた。
姉弟が相談した結果、とりあえず信蔵が鹿十を引き取ることになる。
信蔵の家にやってきた鹿十は、
はじめは大人しく孫の相手をしている好々爺のようだったが、
ある日信蔵の弟子に鹿十が金を借りたことが露見する。
そして妹のおくにがやってきて、
鹿十が店にやってきて、五両の金を借りていったこともわかる。
信蔵は鹿十になぜ金が必要なのか問いつめるが……

いやじつに不気味で恐ろしい親爺です(笑)
これほど人の怖さを感じさせる短編は、
藤沢作品の中ではまだ読んだことはありません(笑)
はじめは大人しくしていたが段々と荒廃した人間の本性を現してくる。
あちこちで金を借り、家の金を盗んで博奕につぎ込む。
意見をしても黙って薄ら笑いを浮かべているだけ。
信蔵にとってはもう恐怖です。
その恐怖が増幅してくるあたりがなんともいえない。
結局鹿十が原因で家の中が荒れ始め、信蔵の女房は子供を連れて実家に帰り、そのうち弟子もやめていく。
鹿十の存在が信蔵を徐々に破滅へと導いていきます。
しかし親ですから放り出すわけにはいかない。
まさしく信蔵の背中にぴったり張り付いた疫病神のようです。
まあ、これほどの疫病神というのは実人生では滅多にお目にかかることはないと思いますが、
ここまで書かれると、あらためて人の心の闇、心の荒廃というものにうすら寒いものを感じます。

「小鶴」

神名吉左右衛門と妻女の登米の夫婦喧嘩は派手で、家中でも有名だった。
ささいなことが原因だが、近所に憚りなく、大声をあげて争う。
だからといって二人の夫婦仲が悪いわけではなく、
夫婦仲良く寺参りに出掛けたりもする。
夫婦にとって悩みは跡取りの子供がいないことだった。
ある日仕事に行った吉左右衛門がひとりの若い娘を連れて帰る。
娘は小鶴と名のったが、そのほかのことは問われても答えることができなかった。
どうやら記憶を失くしているようだった。
夫婦は小鶴を家に住まわせ、実の娘同然に可愛がる。
小鶴は美しい娘だった。
夫婦は小鶴を娘として神名の家にそのまま引き取ることを考え始める。
夫婦喧嘩が原因で養子の話など皆無だった吉左右衛門の家に、
そのうち降るように養子縁組の話が持ち込まれ始める。
小鶴目当てのことだった。
気がかりは、夫婦がいつものように喧嘩を始めようとすると、
小鶴が泣いてそれを制止することだった。
ひとつの縁組が決まりかけた矢先、隣国から二人の武士が訪ねてくるが……

この作品、有り体に言えばかぐや姫伝説が下敷きになっている物語です。
ユーモラスでもあり、
子の無い家に突然やってきた若い娘に思い入れする老夫婦が切なくもある。
癇癪持ちの吉左右衛門が小鶴の前では相好を崩したりする場面、
小鶴を伴って外出し、人から美しく気だての良い小鶴のことを誉められると、
自慢げになる登米の心の動きなど、軽妙な描写で読ませます。
そして二人の武士が訪ねてきたことで明らかになる小鶴の過去。
ある事件のトラウマが小鶴の記憶を失くさせている原因だと判明すると、
吉左右衛門夫婦の喧嘩が派手だということが重要な伏線だということがわかり、思わず唸ってしまいます(笑)
本当にうまく書かれてます。
最後は何もかも思い出し、隣国へ去っていく小鶴を夫婦は見送ります。
たしかにかぐや姫伝説はかぐや姫自身より、
かぐや姫を受け入れ、去られる老夫婦の気持ちの方が切ないですね。

このほかにも拐かしに遭った娘を助けに行くと、
娘はちゃっかり拐かしたやくざ者に馴染んでたという「拐し」、
娘の婚礼の夜、長い間連れ添った妻が、若い頃一日だけ姿を消した。
気がかりだった亭主がそのことを聞くと、妻が意外な告白をする「告白」
大店の美しい妻女が行方不明になるが、三日後に何事も無かったように帰ってくる。
だが妻女は行方不明になる前よりいっそう凄艶さを増していた。
その謎を探るひとりの岡っ引きの姿を追った「神隠し」など、
やっぱ女はコェーわ(笑)の面白さてんこ盛りの短編集です。
文庫の解説で伊藤桂一がモーパッサンのことを引き合いに出してますが、
そういう匂いは確かにしますね。
フランス文学を代表する短編小説の名手モーパッサン。
藤沢周平は小山本周五郎だと言われた時期がありましたが、
思うに小モーパッサンだといっても差し支えないと、
そんな風にも思えるほど良く出来た短編集です。

そのほかの収録作品

「拐し」
「告白」
「三年目」
「鬼」
「桃の木の下で」

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2009-01-12(Mon) 19:06| 藤沢周平の世界| トラックバック 0| コメント 0

風狂の華-北原亜以子「江戸風狂伝」

「江戸風狂伝」


(中公文庫)


新年早々パソコンの故障で、久しぶりの更新となってしまいました。
最近は何をするにもパソコンですから、
無いと本当に何も出来ません(笑)
いかにパソコンに頼り切った生活をしているか痛感させられます。
さて今年の時代小説読書録。
あれこれ読んでまな板に乗せたい作家、作品は数あれど、
本業もあることですし、
順調に更新していくのは難しいとは思いますが、
出来る限り時代小説の魅力を伝えていきたいと思っています。
本年もよろしくお願いします。
今年の口開けは北原亜以子です。
宇江佐真理に続いて二人目の女性時代小説家。
北原亜以子はかなり多作なので、読んでみたい作品もいろいろあります。
人気のある「慶次郎縁側日記」シリーズなんかも楽しみですが、
今回手に取ったのは1997年、第36回女流文学賞の「江戸風狂伝」
江戸の富豪で犬公方徳川綱吉に伊達くらべを挑んだ石川屋六兵衛とその妻およし。
刃傷事件を起こした稀代の天才平賀源内。
伝説のゴシップ作家&講釈師馬場文耕など、
じつに興味深い人物たちの、
その風狂の姿を描いた作品集です。
表題の風狂というのは、風雅がきわまり、
もはや狂気に近いことをいうのですが、
禅宗においては悟りの境涯として重要視されます。

「伊達くらべ」

浅草黒船町に店を構える御用商人石川屋六兵衛は、
江戸に名だたる富豪である。
世は将軍綱吉の時代。
容赦のない性格の綱吉は市中に隠し目付を放ち、
罪あるとしたものを有無を言わせず引っ立てた。
幕臣たちも綱吉の性格に戦々恐々としている。
六兵衛はそんな世の閉塞感にいいしれぬものを感じていた。
ある日六兵衛は妻のおよしに将軍様と伊達くらべをしてみたいと相談される。
以前京都の商人の妻と伊達くらべをして勝ったおよしは、
もう将軍様しか相手はいないという。
比類なき美しさとお洒落好き、
およしは六兵衛にとってかけがえの無い妻である。
しかし将軍様相手では、まかり間違えれば咎人となる。
それでも六兵衛はおよしの心意気を尊重し、
協力を買って出る。

天和元年(1681)5月、将軍綱吉が上野寛永寺に参詣したとき、
上野広小路を通りかかると、ひときわ見事に飾り立て、
自分を迎えている女性が目についた。
彼女は金の簾をたれ、金の屏風を引き回した前に、
美しく着飾らせた7人の女中を従えていた。
調べると浅草黒船町の町人石川六兵衛の妻だという。
綱吉は奢りが過ぎるとして怒り、
六兵衛一家を奢侈の咎で闕所処分(財産没収のうえ追放)の刑にする。
六兵衛の妻の申し立ては「将軍の行列に伊達くらべをしかけたまで」
というのであったが。

この話は戸田茂睡という人の書いた「御当代記」に記載されています。
元禄期は町人の富裕階層が新興の支配階級として台頭してきた頃で、
有り余る金で豪奢な生活をし、妻たちは衣裳を競い合いました。
その衣装くらべを伊達くらべといったんですが、
贅と粋を尽くした伊達くらべは元禄期を代表する社会風俗だと言えます。
その伊達くらべを将軍に仕掛ける。
無謀というか痛快というか(笑)
でもこの小説に描かれた顛末は、
新興支配階級のただの驕慢という感じはありません。
闕所処分覚悟で二人で仕掛ける伊達くらべは、
もう元禄のデカダンスといっても差し支えない。
およしは気高いアンニュイの匂いさえします。
最後に江戸を追われた二人は、
風狂に殉じた満足か、
屈託のない笑顔を浮かべ西へと旅立っていきます。
それがまたなんとも……
なんにも無くなったのにね(笑)

「いのちがけ」

講釈師文耕は語らずにはいられない。
郡上一揆の顛末を農民側から描いた「珍説もりの雫」を引っさげ、
7日間の連続語りに挑戦しようというのである。
郡上一揆には幕府の役人も加担し、
その詮議が行われている最中である。
幕府の政事を批判すれば、下手をすると死罪である。
世間は郡上一揆の噂でもちきりで、
文耕の演じる小屋には大勢の人々が詰めかけていた。
弟子も周囲も決してやり過ぎるなと注意する。
文耕も俺は馬鹿じゃない、登場人物の名前を変え、
うまく誤魔化して演じるさ、と考えていた。
文耕と郡上一揆の関わりは、
江戸で直訴に及ぼうとしていた農民のひとり、
善七を助けたことに始まる。
善七は直訴の前に逃亡して行方不明になっていたが、
その後善七の妹おしずが文耕を訊ねてきて、
今ではわりない仲となっていた。
やがて演目が始まり、
当初誤魔化して演じるつもりだった文耕。
いったん始まれば次々と実名を出して演じ、
小屋は次第に白熱していく。

2000年に緒方直人主演で映画にもなった宝暦郡上一揆。
数ある一揆の中でも、
唯一農民側が勝利したとされるものです。
一揆後には郡上藩は取り潰しになり、
幕府の重職も何人かが罪に問われ、処分を受けています。
のちに講談の主流となる世話物の分野を開拓した講釈師馬場文耕は、
この郡上一揆を扱った「珍説森の雫」を演じ、
さらに本にして売ったかどで捕まり、死罪になります。
この小説、抑えても、抑えても語らずにはいられない、
破滅に向かうと分かっていながら思いとどまることが出来ない。
馬場文耕という生まれながらの講釈師、
そのどうにもならぬ「口舌の業」をうまく描いています。
馬場文耕の行動は、
重箱の隅まで暴き立てずにはおかない、
現代マスコミにも似ていますが、
違うのは言論の自由など露ほども無かった時代に、
死を賭して果敢に権力を批判した精神でしょうか。

他にも浮世離れした池大雅夫妻を描いた「あやまち」、
奇想の浮世絵師歌川国芳を描いた「臆病者」
大身の旗本と遊女の心中で有名な藤枝外記を描いた「やがて哀しき」など、
この作品集、感動できるという類のものではありませんが、
江戸の市井で風狂に生きた人々の特異な姿が印象的で、なかなか面白いです。
まあ少し展開についていけないというか、
もっと言えば話が要領を得ないというか(笑)
そういうところもありますが、
北原亜以子、次が楽しみです。

そのほかの収録作品

「あやまち」
「憚りながら日本一」
「爆発」
「やがて哀しき」
「臆病者」

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2009-01-07(Wed) 22:08| 読み捨て御免!| トラックバック 0| コメント 3

望郷と人情-宇江佐真理「憂き世店-松前藩士物語」

「憂き世店-松前藩士物語」

宇江佐真理「憂き世店-松前藩士物語」
(朝日文庫)


2007年に出版された宇江佐真理の長編小説。
藩の移封でリストラされた夫婦の十五年にわたる江戸の長屋暮らしを、
周囲の人々との悲喜交々の交遊のなかに描いた作品です。
曇天の雲間から時折差し込む陽光のように、
江戸の町並みに差し掛かる、はるか北の松前の風景。
望郷の思いが暗路の灯りのように、過ぎ行く歳月を鈍く照らし出し、
その歳月もまた忘れられない人情に彩られています。
望郷と人情が歳月のなかに切々と交錯し、
小説全体がなにか明るい哀しみのようなものに満ちている。
そんな感じです。
それがこの小説を普通の長屋人情ものから、
一味違ったものにしているのかも知れません。
表題の憂き世とはもともと「辛いことの多い世の中」といった言葉ですが、
転じて「はかなき世の中」になり、
最後には「はかなければいっそ浮かれて暮らそう」という浮世になります。

文化四年。
藩主松前道広が長男章広に家督を譲ったにも関わらず、
いまだに藩政を牛耳っているとの咎で、
蝦夷松前藩は幕府より陸奥国の梁川へ移封を命じられる。
石高も九千石に削られ、大勢の家臣の召し放ちを余儀なくされた。
江戸詰であった鷹部屋席の相良総八郎もその一人だった。
総八郎は召し放ち後、郷里とも音信普通となる。
妻のなみは梁川に移った実家にいったん戻されたものの、
執拗な兄嫁のいびりに耐えられなくなり、
総八郎に会いたい一心で江戸に出る。
何の当てもなかったなみは、人通りが多いとされる浅草寺雷門の前に立ち続け、七日目、奇跡的に総八郎と再会する。
浪人となった総八郎は神田三河町の長屋、徳兵衛店に住み、
内職でやっと生計を立てていた。
徳兵衛店に連れてこられたなみと、
松前藩への帰参を願う総八郎の苦闘の日々が始まる。

この蝦夷松前藩の移封というのは、
実際に起こった幕末に近いころのお話です。
背景にはロシアの脅威がありました。
この頃北海道にはたびたびロシアの船が訪れ
(大黒屋光太夫がロシアから帰還したのもこの頃)
幕府は松前藩では対応が頼りないということで、
松前藩を幕府直轄にし、北方防衛に力を入れたい。
藩主への難癖はそのためだろうと思われます。
十五年後に元の地へ帰封となりましたが、こういうのはかなり珍しいケース。
移封時は相当数の家臣召し放ちはあったに違いなく、
リストラ家臣たちのその後の人生は、いかばかりであったかと思います。
物語はなみを中心に、
夫の総八郎と徳兵衛店を仕切る口が悪いが世話好きのお米、
なぜか長屋内で嫌われているおもん、
長屋のおかみさんたちとその亭主連中。
近所の小間物屋の息子のとん七や、皆が集まる居酒屋の親爺。
そして同じように召し放ちになった総八郎の仲間たち。
こういった人たちの泣き笑いの十五年の歳月が綴られていきます。
なかでもお米ととん七は夫婦の人生になくてはならない人となります。
お米は総八郎となみ夫婦に出来た女の子、友江を孫のように可愛がり、
友江もまたお米おばあちゃんといって祖母同然になつく。
友江は成長するにしたがって、長屋全体をひとつの家のように感じ、
どこの家にも出入り自由な子供として可愛がられる。
こういうこと、昔は普通にありました(笑)
それで共同体というものを学び、自分のポジションも学んだ。
ある意味日本というのはとてもいい風土だったんですが、
残念ながらそういう光景はもう何処にも見当りません。
登場人物の中で特筆すべきはとん七です。
とん七はユーモラスだけど、少年のようにピュアな心の持ち主です。
もとからすこし知的障害者気味でもある。
それが酒の飲み過ぎで中風になり、手足に障害が残っている。
ろれつもうまく回らない。それでも懲りずに酒好きは直らない。
周囲もしょうがないな、と半ば諦め顔です(笑)
35歳になっても未だ独身で、姉夫婦の厄介になっているとん七。
でもお米は息子のように接し、長屋の人間も暖かく見守っています。
夫婦に出来た友江を可愛がり、子守はもちろんのこと、
友江のためだったらもうなんでもやる(笑)
その健気で無私の心根は、
最後にある事件で友江を守って命を落とすことにつながりますが、
とん七というこの人物像、読むものの心に鮮明に焼きつきます。
いや近頃読んだ小説のなかでは忘れがたい出色の人物でしたね(笑)
切なくも日々を生き抜き、貧苦のなかで生まれた子供もやがて成長する。
そして一家を見守る長屋の住人たちとの哀歓の日々のなかで、
藩の帰封を待ちわび、そして諦めかけ、それでもまた望みをつなぐ。
小説は彼らに流れる歳月を、その後とか、十年後とかやらず、
時間軸に沿って丹念に描き出します。
小説の中で歳月が少しずつ流れていく感覚、それがすごくいいのです。
最後に帰参が叶い、故郷に戻ることになった一家。
成長した友江に故郷の野山を指差しながら、
その名前をひとつひとつ教えていくなみを想像します。
一家の歳月を追ってきた読者は、あれからここまで歳月が流れたという感慨を、なみと共有するような気持ちになると思います。
ちょっと沁みた、いい長編小説でした。

余談ですがとん七は映画「たそがれ清兵衛」で下男の役を演じた怪優、
神戸浩をかなり彷彿とさせます。
なぜか(笑)

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2008-12-27(Sat) 02:08| 宇江佐真理の世界| トラックバック 0| コメント 0

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